概要
1889年に、大阪麦酒として設立。1892年に「アサヒビール」を発売した。
1906年には、札幌麦酒、日本麦酒(ともにサッポロホールディングスの前身)と合併して大日本麦酒となった。しかし第二次世界大戦後の1949年に、GHQの指導による過度経済力集中排除法が適用され、東日本向けの日本麦酒(「サッポロビール」 「ヱビスビール」のブランドを所持)と西日本向けの朝日麦酒(「アサヒビール」のブランドを所持)に分割された。
アサヒビールは西日本での知名度は高かったものの、東日本に進出後も東京などでは知名度が低かった。さらにサントリーがビールに進出したことでさらに低迷してしまった。
この状況を打破するため、1986年にCIを導入、ビールの味も、苦みの強さよりも味わいや爽快感の強い(コクとキレのある)物へと変化を行った。
さらに翌年、アルコール度数を高め、爽快感をさらに追求した「アサヒスーパードライ」を発売。驚異的なヒットを飛ばし、同社の看板商品となった。1988年には競合他社もドライビールを発売したが(ドライ戦争)、アサヒビールの優位は変わらず、他社は別の形での特長あるビールの開発へシフトした(サントリーモルツ、サッポロ黒ラベルなど)。
1990年代後半に、酒税の改正によって値上がりしたビールに変わって発泡酒が他社から発売されたが、アサヒビールはしばらく発売せず、2001年になって「本生」で最後発デビューした。同年、新生は発泡酒売り上げで2位に入った。また、資本参加していたニッカウヰスキー を子会社化した。
2002年に、協和発酵と旭化成の酒類部門を譲り受け、甲類焼酎やチューハイを発売するようになった。連続式蒸留焼酎(焼酎甲類)の「大五郎」はこのとき協和発酵から引き継いだものである。
2004年には、いわゆる第三のビールといわれる分野に「新生」を投入。当初は大豆ペプチドを使ったものだったが、現在は発泡酒と大麦スピリッツをブレンドした「クリアアサヒ」などを発売している。
2011年に、旧アサヒビール株式会社が持ち株会社としてアサヒグループホールディングスに改称、その子会社として新アサヒビール株式会社が設立された。
関連動画
関連項目
- アサヒ飲料
- ニッカウヰスキー
- オリオンビール(商品の生産、販売で提携関係にある)
- アサヒスーパードライ
- アサヒィスゥパァドゥルァァァァイ
- ドライ戦争
- 酒
- ビール
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