ガルバ / セルウィウス・ガルバ・インペラトル・カエサル・アウグストゥス(紀元前3年~紀元69年)とは、ローマ皇帝である。
概要
ネロ帝に対して蜂起した反乱軍の旗頭。すでに高齢であったが軍部を基盤に反乱を成就させ、短い皇帝位についた。
反乱と悲惨な末路
ローマ南のタラキナ近郊に生まれる。本名はセルウィウス・スルピキウス・ガルバ。
ネロの時代にタラコネンシスの属州総督にあったが、すでに70を超える高齢の人物であった。しかしそんな彼に転機が訪れる。ガリアの属州総督ウィンデクスの皇帝ネロへの蜂起である。ウィンデクス自身に手持ちの軍団がなかった反乱軍であったが、ガルバは野心を抱いてこの反乱に乗っかり、カルタゴ・ノウァで皇帝位を宣言する。
瞬く間に各地の属州総督を味方に引き入れたガルバ軍であったが、ガルバ自身もせいぜい一軍団を率いるに過ぎなかった。しかし皇帝ネロも、ウィンデクスに差し向けた軍団が、その鎮圧後にルフスを旗頭として反乱を起こすなど、とてもではないが軍部を掌握していたとは言えない、ぼろぼろの状態だったのである。
そしてネロが親衛隊長サビヌスに裏切られ、自殺を行うと、ガルバは正式に皇帝として認められた。しかし国庫はすでに空に近く、ガルバは財政再建に従事したが、これが裏目に出る。新皇帝は強欲という評判が立ったのである。おまけに役人たちは、ガルバの愛人イケルスを筆頭にほとんどがガルバのコネでポストにつき、ガルバは次第に軍部・元老院と関係を損ねていったのである。
そして起きたのがライン川方面の上下ゲルマニア軍による蜂起と、アウルス・ウィテリウスの帝位宣言である。ガルバは政権を盤石にするためにすでに亡き実子に代わり、ピソを養子に付けた。しかしピソは政治経験がなく、また軍部への下賜金を与えなかったことから、親衛隊の支持もなかった。
そしてかつてのルシタニア属州総督であるマルクス・サルウィウス・オトがわずか5日後に帝位を宣言する。ガルバは対話を求めたが殺され、ピソも同様に殺害された。ガルバの遺体は後に執事のアルギウスが奪還し、埋葬されたという。
関連項目
- 2
- 0pt