コロンバンガラ島沖海戦とは、大東亜戦争中の1943年7月12日深夜から13日にかけて生起した日本海軍vsアメリカ海軍の海戦である。結果は日本の勝利に終わった。
概要
1943年2月にガダルカナル島を放棄して以降、日本は重要拠点ラバウルとガ島の間にあるニュージョージア島に新たな防衛線を敷いた。しかし連合軍の反攻は早く、さっそく6月30日に外郭部のレンドヴァ島へ上陸。わずかな守備隊を蹴散らして魚雷艇基地を設営し、7月5日にはニュージョージア島にも上陸した。同島を死守すべく、日本側は隣のコロンバンガラ島より戦力を抽出した。手薄になったコロンバンガラ島に新たな増援を送るためラバウルから陸軍部隊を派遣する事になり、その輸送及び護衛を帝國海軍の第二水雷戦隊が担当。戦力は軽巡洋艦神通(旗艦)、駆逐艦三日月、雪風、浜風、清波、夕暮、皐月、水無月、松風、夕凪の10隻であった。このうち皐月、水無月、松風、夕凪を輸送隊とし、兵員1200名と物資100トンを分乗。これを旗艦神通率いる警戒部隊が護衛する格好となった。
経過
7月12日未明、第二水雷戦隊はラバウルを出港。コロンバンガラ島を目指して海を漕ぎ始めた。しかしその動きは密林に潜む敵の沿岸監視員によって通報され、アメリカ軍の知るところになる。日本艦隊を迎撃するため、ヴォールデン・L・エインワース少将率いる第36.1任務部隊が派遣され、コロンバンガラ島沖で手ぐすね引いて待ち伏せた。その陣容は軽巡洋艦3隻と駆逐艦10隻であり、日本側の戦力を上回っていた。
22時30分、雪風に搭載された逆探装置がアメリカ軍のレーダー波を探知し、待ち伏せの可能性を感じ取る。その5分後、第36.1任務部隊から放たれた偵察機が日本艦隊を発見。22時45分には第二水雷戦隊も迫り来る敵艦隊を発見し、両軍はグングンと距離を縮めていった。ここで輸送隊の4隻を南西方面に離脱させ、残った艦艇は神通とともに突撃を続けた。
23時3分、ついに目視できる位置にまで近づいた両軍は24kmの距離から砲撃開始。コロンバンガラ島沖海戦の始まりである。5分後、神通は味方の砲撃を支援するため探照灯を照射。しかしこの行為は暗闇の中で自身の姿を浮かび上がらせ、敵の集中砲火を招いた。第36.1任務部隊は姿が丸見えな神通に矛先を向け、あっと言う間に大破させてしまった。艦橋に直撃弾を受け、第二水雷戦隊司令部や艦長、伊崎俊二少将ら幕僚が全員戦死。総員退艦命令を出せる人間がいなくなった。大破炎上しながらも7本の魚雷を発射し、抵抗し続けた。神通の身を挺した行動により、敵艦隊の位置を知った雪風、清波、浜風、夕暮、三日月は23時24分に計31本の酸素魚雷を発射。オーストラリア軽巡のレアンダーに命中し、戦闘不能に追いやった。レアンダーは駆逐艦ラドフォードとジェンキンスに付き添われ、戦域から離脱した。魚雷を発射し終えた駆逐艦群は一旦戦域を離脱、魚雷の再装填を行う。戦場には神通1隻が取り残され、再び集中砲火を受ける。23時48分に喰らった魚雷によって艦体が真っ二つに裂け、後部が沈没。それでも奇跡的に残った前部の砲一門が砲撃し続けた。
その頃、エインワース少将率いる第36.1任務部隊では混乱が生じていた。前衛を担当していた駆逐艦ニコラス、オバノン、テイラーが行方不明になっていたのである。23時56分、旗艦ホノルルのレーダーに右前方から接近する艦影が映った。これが味方なのか敵なのか判別がつかず、第36.1任務部隊の攻撃は止まった。接近する艦影の正体は、魚雷の再装填を終えた第二水雷戦隊の駆逐艦であった。何ら抵抗を受けないまま内懐に飛び込んだ雪風、清波、浜風、夕暮は翌13日午前0時5分に猛然と魚雷を発射。敵襲に驚いたエインワース少将は慌てて回避運動を命じるが、後の祭りだった。旗艦ホノルルと軽巡セントルイス、駆逐艦グウィンに直撃し、いずれも大破状態と化す。混乱によって陣形が乱れ、駆逐艦ウッドワースとブキャナンが衝突事故を起こして2隻とも大破。第36.1任務部隊の戦闘能力は失われた。午前0時30分、第二水雷戦隊は戦域を離脱。エインワース少将は追撃を命じたが、戦意を喪失していたのか命令に従ったのは駆逐艦ライフ・タルボットだけだった。輸送隊4隻はコロンバンガラ島への輸送を成功させ、午前11時40分にブインへ帰投。勇猛果敢に戦った神通は誰もいなくなった海で静かに沈没した。
日本側の被害は軽巡1隻沈没に対し、アメリカ側の被害は軽巡3隻大破、駆逐艦2隻大破、1隻沈没だった。このうちレアンダーは戦線復帰が叶わず、二度と出てくる事は無かった。損害の対比や輸送の成功から、日本の勝利と言えるだろう。
関連項目
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