ブル中野とは、全日本女子プロレス・WWF(現WWE)に所属していた日本の誇る女子プロレスラーある。通称『女子プロレス界の女帝』
概要
プロレス観戦が好きだった中野は猪木に憧れていたいじめられっ子であった。そんな彼女を見かねた父親は彼女を鍛えるべく、プロレスラーへの道を歩ませたという。
1983年に本名でデビュー、長身とガッシリした体躯を武器に全日本ジュニア王座を獲得。年間100以上にも及ぶ全女の興行の中、ダンプ松本が手を差し伸べたことと自身の努力によりレスラーとしての実力を付けていった。そして、そんな恩人であるダンプ松本、クレーン・ユウらとヒールチーム・極悪同盟を結成。当時、アイドル的人気も兼ね備えていたクラッシュギャルズとのバトルは当時の女子プロレスシーンを大いに盛り上げた。
その後、一時期ではあるがレスラーを引退したダンプ松本の意思を継ぐかのように、彼女は自らをヘッドに据えたユニット、獄門党を結成。グリズリー岩本、アジャ・コング、バイソン木村らと共にトップヒールとして活動。1990年には西脇充子を破り、WWWA世界シングル王座第37代王者に輝く。それまでの全女では、ヒールレスラーによるWWWAシングル王座の獲得は異例中の異例であった。
(1985年のデビル雅美以来5年ぶりの快挙)
全女最強の地位を3年間守り抜いた彼女はいつしか、「女帝」と呼ばれるまでになった。
1992年にアジャ・コングに敗れWWWA王座を手放した後、ブルは目前に迫っていた「25歳」を迎える前に現役続行を宣言。WWF(現在のWWE)へ遠征。トップヒールとしてアランドラ・ブレイズらと戦い、WWF世界女子王座を獲得した。これは日本人としては彼女が今のところ最初で最後であるため、挑戦者が現れない限りは唯一無二の記録として残るだろう。(ゆえにWrestling Observer NewsletterにてWrestling Observer Newsletter殿堂入りを果たしている)ブルはこの他にCMLL世界王座も獲得。日本・アメリカ・メキシコの3大プロレス先進国において世界王座を獲得した女子レスラーは、彼女の他に未だ現れていない。
その後のブルは1994年に帰国して日本の女子プロレスシーンに復帰。神取忍とのミックスマッチに臨み、女子プロ初のチェーンデスマッチを実施、勝利を収める。1996年には再びアメリカへ渡り、WCWのメデューサメンバーらと戦った。
しかし、1997年には左靭帯2本を切り、彼女はプロレスラー人生を終えることになる。
ブルは全女を離脱後、一時はプロゴルファーを目指したが挫折。このときに実践したダイエットについて綴った本を出版、後にリングの魂でのダイエットスクール企画や『魔女たちの22時』出演に繋がることとなる。2010年にはムエタイ選手の青木大輔と入籍している。
中野駅近くに小料理屋「中野のぶるちゃん」をオープンさせ、このまま穏やかにすごすかと思われた2011年、引退式を行わなかったことを悔やんだブルは2012年1月8日、東京ドームシティホールにて引退イベントを行うことを決意。現存する女子団体の興行をくまなく視察した上で、出て欲しい選手に直接オファーをかけていった。ブルはインタビューなどで以下のような心情を明かしている。
私のファンだった方には今のプロレスを知らない人も多いと思う。
引退興行では『今がんばっている女子レスラー』の試合をマッチメイクすることで、
今の女子プロレスを見せていきたい。
そうすることで、今の女子プロレスの面白さをお客様に感じ取ってほしいと思っている。
かくして2012年1月8日、引退興行は敢行された。ブル中野最後の試合から、実に15年が経過していた、この時に。さすがに彼女は体のこともあり、当時の体重に戻した上で引退セレモニーの時だけリングに上がったのだが、カードについては抜かりなし。かつて共にリングに上がった仲間や後輩たちの試合で、会場は大いに盛り上がったという。
引退イベント終了後の11日には都内にて断髪式を敢行し丸坊主に。こうして、青木恵子は「女帝」ブル中野として、レスラー活動にピリオドを打った。現在は夫に誓約した「半年位以内に60kg代に戻す」約束を守るため、再びダイエットに励んでいるとのことである。
憎まれて悔い無し、石投げられて悔い無し、プロレス人生に一切の悔い無し。
【ブル中野引退セレモニーより】
2022年にYouTubeチャンネル「ぶるちゃんねるBULLCHANNEL」を立上げ、主に往年の女子プロレスラー(アジャコングや北斗晶、神取忍やジャガー横田にダンプ松本、マッハ文朱等)とのトークを中心に当時の話を振り返ったり、裏話的な話を行っていたりする。また蝶野正洋や獣神サンダーライガー等男子レスラーや、ロッシー小川等のプロレス関係者等との対談、そして現役レスラーのジュリア等もチャンネルに呼んで、女子プロレス界を盛り上げていっている。2024年4月24日に自身のブログでチャンネル登録者数10万人を達成した事を報告した。
また2020年には肝硬変での入院を、2021年8月は新型コロナウイルスに感染したことを発表し、10日間の自宅待機の事等闘病についても語っている。
ブル中野の功績
ブル中野の活躍により、これまではヒールはベビーフェイスに倒されるというお約束は無くなり、アジャ・コング、バイソン木村の独立を許した上でヒール対決を実現させるなど、次々と女子プロレスの常識を覆す試合を魅せていった。ブル中野が残した功績として、以下のようなものが主にあげられる。
- 「試合で魅せる」ヒールレスラー像の体現
それまでの女子ヒールレスラーは、ラフファイトや凶器攻撃を軸としたファイトスタイルを取ることが多かった。ブル中野の先輩であるダンプ松本は、「極悪同盟」(全女時代)結成時にこのラフなスタイルを体現、完璧なまでに「憎まれ役」に徹することで、当時のヒール像を描いていたと言える。だがブルは「獄門党」結成以後、説得力の高い技・テクニックを積極的に繰り出し、いたずらに凶器だけに頼らないファイトを展開。自身の恵まれた体格を最大限に生かし「試合で魅せる」スタイルを猛烈にアピールした。その高いファイトセンスはファンのみならず、それまで女子プロレスに冷淡だったプロレス専門誌をも振り向かせることに成功。現在までに週刊プロレスの表紙を4度に渡って獲得するなど、女子プロレスの人気向上に貢献した。1990年7月の対豊田真奈美戦後、ブルはこうインタビューに答えている。
ブル「アイツ(ダンプ松本)はただ振り回していただけだろ竹刀を! こっちはプロレスのテクニックがあるんだよ! プロレスの心があるんだよ!」
なお、ダンプとは現在も親交があり、トークショウで喋ったり、時々極悪同盟の興行等でセコンドとしてついていっていたりもする。 - 「25歳定年制」「WWWA王座敗退→引退」の崩壊
全日本女子プロレスは、かつてレスラーに対し「3禁(飲酒・喫煙・異性交際の禁止)」の他に「25歳定年制」を強いていた。 これはレスラーの新陳代謝促進と、レスラー引退後別の人生を歩みやすくするために全女側が定めていた処置であったが、この25歳定年制を初めて破ったのがブル中野である。また、WWWA王座から陥落したレスラーはその後早期の段階で引退する(ないしトップ戦線から退く)のが通例であったが、この前例をもブルは覆した。この行動についてブルには「女子プロレスラーという職業が生涯に渡って向き合えるものにするために、自らがその道を切り開くことで後輩に示す」との思いがあったという。1992年にWWWA王座を手放したブルは翌年1月8日に25歳の誕生日を控えていたが、1993年1月4日の興行で
「お前らが結婚しても子供産んでも、その子供にブル中野のプロレスを見せてやるよ!」
とマイクアピールし、現役続行を宣言した。
その後世界王座獲得や神取との名勝負を実現させたのは既述の通りである。またこの時のアピールでファンに示した約束を、ブルは(試合こそ出来なかったが)2012年の引退興行で果たすことになる。 - 「勧善懲悪」アングルに頼らない対立構造の実現
上記の通りブルは自身のヒールユニット「獄門党」を率いてバット吉永、井上京子、渡辺智子ら名選手を輩出した他、対抗馬として頭角を表したアジャ・コングとバイソン木村によるもう一つのヒールユニット「ジャングル・ジャック」の結成を許した。これにより「ベビーフェイス対ヒール」ではない新しいアングル「ヒール対ヒール」を誕生させた功績は大きい。
当時の全女はこの2大ヒール勢力に加え、北斗晶、三田英津子、下田美馬による「ラス・カチョーラス・オリエンタレス」(ラスカチョ)も台頭、クラッシュギャルズ引退後観客動員を減らしていた全女を立てなおすことに成功した。 - クラッシュギャルズでさえも実現出来なかった「男性ファン」の獲得
上記のような功績と、ブル中野自身による「説得力の高いプロレス」の実践、そしてヒールレスラーであるにも関わらず、対戦相手を気遣ったり、愛のある激を飛ばすなど、ベビー・ヒールの枠を超えた真摯なレスラーとしての姿が共感と爆発的な人気を呼び、結果として全女の会場に大勢の男性ファンが殺到するようになった。
それまでの宝塚のような「女性ファンによる黄色い歓声で包まれる会場」から雰囲気は一変し、まさしく男子プロレスに負けずとも劣らない熱狂的なファン層を獲得するに至ったのである。ブル中野以前のレスラーが男性プロレスファンの獲得に動かなかったわけではなく、クラッシュギャルズ(長与千種・ライオネス飛鳥)も男子プロレスのエッセンスを取り入れたファイトスタイルを実践していたが、実際に呼び込んだのはブル中野、アジャ、北斗晶らの世代であることは間違いない。
もちろん、これらの功績全てが女子プロレスにおいて有意に働いているか否かについては異論もある(世代交代の鈍化・及びそれによる若手台頭の機会の減少、試合内容の過激化によるレスラー生命の短縮傾向など)。しかし、女子プロレスの地位や評価を高め、女子プロレスラーという職業の向上に結実したことが、現在の女子プロレスにおいて多大な影響を与えていることはもはや揺ぎ無いと言っていいだろう。
日本人女子初の快挙
そして、その功績が讃えられることとなり、WWEより殿堂入りが2024年の1月9日に知人を通じてZOOMでブルに伝えられられた。(詳細はこちら)
WWEの殿堂入りは日本人では5人目(他はアントニオ猪木、藤波辰爾、獣神サンダーライガー、グレート・ムタ(武藤敬司)の4人)で日本人女子としては初の快挙となった。
これには師匠であり極悪同盟の長であるダンプ松本も涙を流して喜び、後輩の井上京子も祝福の言葉を述べた。また、グレート・ムタの代理人の武藤敬司は、ブルの功績について述べた後、授賞式に出かける際のアドバイス等を送っていた。(共にABEMAの殿堂入りインタビューより)
2024年の4月6日の日本時間の11時にWWEの殿堂「ホール・オブ・フェーム」にて、名プロデューサーのポール・ヘイマン、バリー・ウィリアムとマイク・ロトンドのUSエクスプレス、アントニオ猪木との異種格闘技戦などで話題になったモハメド・アリに、黒人レスラーの先駆けかつ人種差別撤廃者のサンダーボルト・パターソン、ザ・ロックの祖母で女子プロモーターの先駆者ともいえるリタ・メイビアと並び2番手で表彰された。
表彰にあたり、ブルは受賞前に英語でスピーチする事を公言し、搭乗時は流石に髪が当時の再現とまではいかないものの、顔は左半分に当時にペイントをし、壇上に上がってからは宣言通り全て英語で語られた。
その内容は、当時WWFに関わった際の試合の事や苦労した私生活部分での話、全日本女子でも参戦して暗くを共にしたメデューサ(アランドラ・ブレイズ)やマネージャーをしてくれた故ルナ・バションにお礼を述べ、WWEのファンに感謝とプロレスに関われた喜び、そして生まれ変わってもまたブル中野としてプロレスに関わりたいと熱いメッセージとなった。
得意技
- ギロチン・ドロップ
ブル中野といえばこの技。特に4mもの金網から繰り出したダイビング・ギロチン・ドロップは女子プロレス界伝説のシーンとして知られている。 - ローリング・ギロチン
前に1回転しながら放つギロチン・ドロップ。下記のムーンサルトと同様、ギロチン後にここ一番で放つフィニッシュ・ムーブとして知られる。 - ムーンサルト・プレス
ローリング・ギロチンと同じく、大技を決めてもまだ決め切れない際に使用するフィニッシュ・ムーブ。 - DDT
通常のDDT、リバース式など、柔軟に決めていた。 - ジャーマン・スープレックス
実は若手時代はこれの名手でもあった。ホールド時のしなやかなブリッジは必見。 - パワーボム
これが出たら次は首or喉が危ないと思え。 - ヌンチャク
いわゆる凶器。中期まではよく使用していた。ダブルヌンチャクもできるほど、正確に扱える。 - トペ・スイシーダ(リングから場外へのジャンプ)
100kg以上の体型であるにも関わらずバンバン飛ぶ飛ぶ。
他多数
関連動画
関連項目
- 女子プロレス
- プロレスラー
- 女帝
- ヒール
- WWE / WCW
- ダイエット
- ダンプ松本(伝説のヒール軍団極悪同盟のトップであり師匠)
- アジャコング(元全女の後輩レスラー、金網デスマッチは伝説の試合に)
- 北斗晶(元全女レスラー)
外部リンク
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