ローランド・ラッツェンバーガー(Roland Ratzenburger, Austria, 1960-1994)とは、オーストリア出身のレースドライバーのこと。
概要
1960年生まれ。5歳の時にレースを観戦したことをきっかけにレースドライバーになる思いを持ったが、実際にレース活動を始めるのは大学を中退してからであった。
ヨーロッパでのフォーミュラ・フォード選手権、イギリスF3に参戦するも十分な成績を上げられなかったが、1989年にイギリスF3000で優勝を経験する。その傍らでツーリングカーレースにも参戦した。
1990年に来日し、全日本ツーリングカー選手権(JTC)、全日本スポーツプロトタイプカー選手権(JSPC)に参戦、JTCでは2年連続でクラスチャンピオンを獲得した。1992年から全日本F3000選手権にも参戦し、翌年に1勝を挙げた。
4年間の日本での活動で、日本人ファンが増え、「ラッツェンさん」との愛称で呼ばれるようになっていた。
また、同じく日本にやってきていたジャック・ヴィルヌーブ、エディ・アーバイン、ハインツ・ハラルド・フレンツェン、ミカ・サロなどのドライバーたちとも親交があった。
しかし第3戦サンマリノGPの予選で、ヴィルヌーブコーナーの手前でフロントウィングが脱落、コントロールを失ったマシンはコンクリートウォールに300km/hを超えるスピードで激突、モノコックを突き破るほどの衝撃が襲った。
これによって、彼は頚椎骨折、内臓破裂を負い、ほぼ即死だった。享年33歳。
翌日にはアイルトン・セナがタンブレロコーナーで高速のままウォールに激突して死亡する事故も起きており、イモラの悲劇と呼ばれるようになった。
また、1994年には骨折や意識不明の重体に及ぶ事故も数件発生し、アクティブサスペンションなどのハイテク装備の廃止に伴う安全性への対策の不備(ハイテク装備ありきの空力設計による制御困難なマシンをそのまま使用)が多くの悲劇を生むこととなった。
この事態になったことで、翌年から安全性を重視した規制メインのレギュレーションへとどんどん変更されていくこととなった。
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