概要
カルデラ湖で、面積61キロ平方メートル、周囲46km、湖面標高401m、最大水深327m、透明度9m。国内12位の面積を誇り、奥入瀬川の上流域に当たる。
八甲田山火山群の活動で地盤が陥没し、現在の輪郭が形成された。周囲を御鼻部山や白地山などの山々が囲む。観光地になっていて、遊覧船が出ている。自然も美しく、森は四季に合わせて彩りを変える。
1936年に奥入瀬川や八甲田火山群とともに十和田八幡平国立公園に指定され、のちに天然記念物にも指定されている。
1955年に町制が敷かれて十和田町が誕生したが、秋田県に同名の町があったので1975年に十和田湖町に改名している[1]。一方で観光地の開発は進み、1963年には猿倉温泉から12kmに渡って温泉を引き、十和田湖温泉郷を設立。他にもスキー場が整備されている。前々から熊野信仰が盛んだった十和田地区はパワースポットとしても有名で、その中でも十和田神社が最たるものだろう。
一式双発高等練習機の引き揚げ
2010年8月、十和田湖の地底調査を行った会社が、湖底に何かが沈んでいる事を確認。
調べてみると、戦時中に日本陸軍が運用していた一式双発高等練習機である事が判明。本機は1942年製造。1943年9月27日、秋田県の能代飛行場から青森県の八戸飛行場に向かっていたところ、エンジントラブルで十和田湖に不時着水。搭乗員4名のうち救助されたのは1名のみだった。このことで歴史的価値が高いことから有志が引き揚げ作業に着手。国の許可を取った上で、2011年3月から開始された。一度は失敗したものの、二度目の挑戦を実施。2012年9月4日に引き揚げられた。沈没から69年もの時間が経過していたが、十和田湖が淡水だった事が幸いして思いのほか腐食は少なかった。修復された一式双高錬は青森県の三沢航空科学館に寄贈され一般公開された。同機は2016年に一般財団法人日本航空協会より重要航空遺産に認定されている。
その後、東京都立川市の企業で同機の製造元の流れを汲む立飛ホールディングスが三沢航空科学館から同期を譲り受け、期間限定で公開された後に保存処理される予定となっている[2]。
関連動画
関連静画
関連項目
脚注
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