安徳天皇
(あんとくてんのう 1178年12月22日~1185年4月25日)とは、壇ノ浦に消えた第81代天皇である。
諱は「言仁(ときひと)」。
概要
1178年に、高倉天皇と中宮で平清盛の娘の平徳子との間に生まれる。
※平家物語では女子のごとく描写されている部分があり、浄瑠璃・歌舞伎の義経千本桜では女になっている。
生後まもなく立太子されて1180年に高倉天皇の譲位をうけて満1歳(数え3歳)で即位した。無論、政務を執り行う能力はあるはずもなく、政治の実権は祖父の平清盛が握った。即位とともに平清盛主導で福原行幸による遷都が行われるが、まもなく京都に還行した。
父の高倉天皇と祖父の平清盛が亡くなった後の1183年、源義仲の入京により三種の神器や平家一門と共に都落ちした。屋島の戦いで平家が敗れると西へと逃れ、運命の地壇ノ浦に至った。
壇ノ浦の戦いが、潮の流れが変わった事や、源義経により当時タブーであった船の漕ぎ手への攻撃が行われた事もあって平家の滅亡が決まると、最期を覚悟した祖母・二位尼(平時子)に八尺瓊勾玉・天叢雲剣とともに抱かれ、
わたしをどこへ連れていこうとするのか
と二位尼に問うた。二位尼は、
波の下にも都がございます
と言い、二位尼に抱きかかえられて共に入水した安徳天皇は壇ノ浦に消え、歴代最年少の満6歳(数え8歳)でお隠れになられた。
※九州・四国を中心に入水せずに生きて落ち延びたとの伝説が残る。
当時は「~天皇」という漢風諡号ではなく「~院」がおくられるのが慣例だったが、「安徳天皇」の漢風諡号がおくられた。なお漢風諡号で「徳」の字が使われるのは、鎮魂慰霊目的に限定されている。
逸話
入水の時に共に沈んだ天叢雲剣は草薙剣とも呼ばれ、源氏の必死の捜索に関わらず発見されなかった為、安徳天皇は八岐大蛇の生まれ変わりで、素戔嗚に奪われた天叢雲剣を奪い返した為に見つからないと言われた。
安徳天皇の都落ちにより、異母弟の後鳥羽天皇が即位した為、安徳天皇がお隠れになられるまでの2年間は在位期間がかぶっている。
関連動画
関連チャンネル
関連項目
80代 | 81代 | 82代 |
高倉天皇(たかくらてんのう) 1168~1180 |
安徳天皇(あんとくてんのう) 1180~1185 |
後鳥羽天皇(ごとばてんのう) 1183~1198 |
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