ロシア名サハリン。
概要
18世紀間宮林蔵によって樺太が島であることが発見され、樺太とユーラシア大陸の海峡を間宮海峡と名付けられている。
近代以前はニヴフ、ウィルタ、アイヌといった民族がすんでおり、その後ロシア民が流入し樺太は日本ロシアが混在している地域であったが、千島樺太交換条約によって、千島列島は、日本領土、樺太はロシア領土と確定された。
その後日露戦争が勃発し日本は樺太全土を占領。1905年のポーツマス講和条約によって、樺太島の南半分が日本領土、北半分がロシア領土とされた。第二次世界大戦による1945年の日ソ中立条約破棄によるソ連侵攻以来南側もソ連→ロシア連邦が実行支配をしている。樺太守備隊の奮戦と千島列島を守備していた日本軍の奮戦により北海道まで侵攻されなかったが、日本軍はシベリアに抑留され、民間人は自決する等の悲劇が起こった。
その後日本は、サンフランシスコ平和条約によって南樺太はウルップ島以北と同様に放棄したとしているが、サンフランシスコ平和条約にはソ連が参加していないためロシア領土という根拠はないという主張もある。
日本政府は北方領土とは違い領土返還要求をしておらず、領事館を樺太に置くなど実質的にロシアの領土と認めており、北海道の地方金融機関の支店も樺太島に設置している。
ちなみに樺太島の北は石油天然ガス地帯で、ロシアと日本との共同開発への協議が続いている。
交通
日本統治時代は、北海道島北端の稚内より、樺太南端のコルサコフ(大泊)まで鉄道連絡船が出ていた。稚内港に残る防波堤アーチは土木学会選奨土木遺産および北海道遺産として大切に保存されている。
その後、近年フェリー航路として再就航されたが、ふたたび運転を止めている。
島内交通としては、縦断する鉄道路線が存在する。日本からキハ58形気動車などが譲渡されたこともあったが、整備がままならず放置されている。
また、日本統治時代に渡ったD51形蒸気機関車が一両動態保存されている。日本国内を含めても本線上を走れるD51は他に498号機一両しかなく貴重な存在である。
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