虫プロダクションとは、日本のアニメーション制作会社である。
通称「虫プロ」。
1961年~1973年に存在した旧法人と1977年に旧法人出身者によって設立された新法人の2社がある。
本記事では分割して記述する。
虫プロダクション(旧法人・1961年~1973年)
1961年に「手塚動画プロダクション」として設立。
手塚治虫は幼少時よりウォルト・ディズニーのアニメ映画に親しんでおり、アニメーション制作は長年の夢でもあった。
同社設立以前に東映動画と手を組んでアニメ制作を行ったことはあったものの、自身の手による制作を志し設立した。
1963年に「鉄腕アトム」が放送開始。これが現在のテレビアニメ番組の一般的フォーマットに則って作られた日本最初の作品となった。
1965年には「ジャングル大帝」を製作し、同じく日本初のテレビアニメのカラー作品を世に送り出した。
現在の日本のアニメにおける「制作費を著作権収入や海外輸出などでまかなう」というビジネスモデルの原型を作った制作会社となった。
最盛期には400人の従業員を抱える会社にまで成長したが、人件費の高騰と後続アニメ制作会社の台頭による受注減により業績が低迷。さらに劇場作品の興行も不振であったために資金繰りが悪化。
その結果、1973年に子会社の虫プロ商事と共に倒産した。
わずか12年のみの活動であったが、虫プロ出身者から数々の演出家・脚本家・アニメーターを輩出し、独立した者を中心に設立されたアニメ制作会社も多い。
東映動画・タツノコプロと並び、日本のアニメ産業勃興期に多大な影響を残した会社である。
COMとコミックマーケットの源流
旧虫プロを語る上で、アニメーション制作と共に外すことのできないのが、子会社の虫プロ商事より発行されていた「COM」という漫画雑誌である。
手塚治虫が同誌でライフワークとなった「火の鳥」を長年連載した他、新人漫画家の育成にも力を入れ、数多くの漫画家がこここから巣立っていった。
また、「ぐら・こん」という読者投稿コーナーにおいては、発展途上期であった漫画同人誌も積極的に紹介し、全国のセミプロ読者にも門戸を開くという革新的な姿勢を取った。
1973年の虫プロ商事倒産とともに「COM」も休刊したが、「ぐら・こん」で行われた同人作家の発表・交流の場を継承したいという流れから、米沢嘉博らが中心となって1975年に初開催されたコミックマーケットが誕生することとなる。
虫プロダクション(新法人・1977年~)
アニメーション制作の他、旧虫プロ製作作品の版権管理も行っている。
手塚プロダクションとの関係
同じ手塚治虫によって設立された手塚プロダクションというアニメーション制作会社も存在するが、こちらは元々手塚の漫画制作や版権管理を目的に設立された会社であり、手塚が旧虫プロの経営から離れて同社が倒産する前後より独自にアニメーションの制作も始めた経緯を持つ。
そのため、現存する新虫プロとは直接的な関係が無い会社となっている。
主な出身者
いずれも旧虫プロ時代の出身者。ニコニコ大百科に記事のある者のみ。
虫プロ出身者が創業したアニメーション制作会社
いずれも旧虫プロ出身者。ニコニコ大百科に記事のある会社のみ。
COMとつながりの深い漫画家
関連動画
関連項目
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