高島忠夫とは、日本の俳優、司会者である。1960年代から1980年代まで多くの番組の司会を務め、俳優以上に司会者としてのポジションを築いた。本名は高嶋忠夫(読み方は同じ)。
概要
1930年に現在の兵庫県神戸市に生まれる。旧制中学時代の同級生に、小松左京、國弘正雄がいる。
1952年、新東宝の第1期ニューフェースとして映画俳優デビュー。同社の人気俳優となった。
新東宝倒産後は東宝の映画にも出演した。
その後テレビに活動の中心を移し、俳優の他にテレビタレントとしても活動の場を広げていく。
「アメリカ横断ウルトラクイズ」(日本テレビ)の総合司会、「クイズ・ドレミファドン!」(フジテレビ)の司会、「クイズ!年の差なんて」(フジテレビ)のアダルトチームキャプテンなど多くのバラエティ番組に出演。その他、TBS以外の在京民放テレビ・ラジオキー局が共催していた「日本歌謡大賞」の司会、「ゴールデン洋画劇場」(フジテレビ)の映画解説、妻の寿美花代と共に「ごちそうさま」(日本テレビ)の司会も長きに渡って務め、1970年代~1990年代前半には日本を代表する司会者の一人として広く知られた。
しかし1990年代後半になると徐々に司会番組が減り、加えて母の入院などの心労が加わったことで鬱病に陥ってしまう。このためすべての芸能活動を中断し治療に努めた。2003年から少しずつ復帰し、2007年に完治に至った。
その後は時折テレビ番組のゲスト等で出演するようになったが、高齢もあり2010年代以降は息子の高嶋政宏・高嶋政伸に活躍の場を譲るように表舞台から姿を消していった。
2019年6月26日、老衰のため88歳で逝去。
家族
エピソード
- 寿美花代とは1963年に結婚し、すぐ長男をもうけたが、生後5ヶ月で家政婦に殺害された。
- 1995年の阪神淡路大震災で、神戸市の実家が全壊した。
- スペイン人の歌手、フリオ・イグレシアスの大ファンで、家族ぐるみでつきあっている。
- 代名詞といえる「イェーイ!」というフレーズは、「クイズ・ドレミファドン!」で生まれた。同番組ではテンションの高い司会が人気を呼び、時には暴走気味になることもあった。
- 「クイズ!年の差なんて」ではアダルトチームのキャプテンを務めたが、NGワードを多くだした。また、思わず答えを口にしてしまい、司会の桂三枝(現:六代目桂文枝)に怒られることもあった。
- 「ゴールデン洋画劇場」では25年以上に渡り長らく映画解説を務めた。そのため「ゴールデン洋画劇場=高島忠夫」というイメージが定着しているが、実は2代目解説者である。初代解説者は前田武彦が担当していたが、「夜のヒットスタジオ」で起こした「共産党バンザイ事件」の余波でフジテレビの全出演番組を降板させられたため急遽高島忠夫に交代している。
- 「ごちそうさま」では、25年にわたって夫婦で共演した。そのほかのテレビ番組やCMで共演することも珍しくはなかった。
主な出演
テレビ番組
- ゴールデン洋画劇場(フジテレビ) 1998年に一時降板、翌年に復帰するが2001年で「ゴールデンシアター」にリニューアルするのと同時に正式降板した。
- ごちそうさま(日本テレビ) 妻の寿美花代とともに1972年の番組開始から1996年3月まで司会を務めた。
- クイズ・ドレミファドン!(フジテレビ)
- クイズ!年の差なんて(フジテレビ)
- アメリカ横断ウルトラクイズ(日本テレビ) 第12回まで総合司会を務めた。
- 日本歌謡大賞(日本テレビ・フジテレビ・テレビ朝日・テレビ東京) 第4回から司会を務めた。
ラジオ番組
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 1
- 0pt