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概要
1957年生まれの、福岡県大牟田市出身の漫画家。性別は男性。ギャグ漫画家として知られている。一時期「東京ひよこ」の別名義で漫画を執筆していたことも。著者近影はペンネーム通りに「ツバメ」を擬人化したようなものであり、その実際の人相などはまったくの謎に包まれている。
1975年に週刊少年ジャンプにてデビューしており、デビュー当時は集英社を舞台に格闘ラブコメ漫画などを描いていた。後の秋田書店時代とは若干作風も異なっている。なお、デビュー作については一般には同年の週刊少年ジャンプ49号における「ドラゴン危機一髪」(同名の映画とは無関係な学園ラブコメ漫画)とされているが、同じ年の24号に掲載されている鴨川小五郎名義の「ちいさなマジシャン」であるとする説もある。
両作品とも絵柄は少々似ている程度で、鴨川小五郎が鴨川つばめの別名義であったかは2024年現在も見解が分かれている。但し、両作品のハシラには「大学生」(ちいさなマジシャン)「九州男児の18歳」(ドラゴン危機一髪)とあり、年齢的には矛盾しない。作者コメントはどちらも「初めての掲載で夢心地」(ちいさなマジシャン)、「初めておいどんの漫画が印刷された」(ドラゴン危機一髪)となっており、別人説もある。国立国会図書館には掲載誌が収蔵されているので、興味があれば遠隔複写サービスを利用して検証してみるのもいいかもしれない。
鴨川つばめの名を一躍有名にした作品が、1977年から1979年に週刊少年チャンピオンで連載されたギャグ漫画「マカロニほうれん荘」である。
1970年代、週刊少年チャンピオンは、黄金期を迎えていた。
手塚治虫の「ブラック・ジャック」、水島新司の「ドカベン」、山上たつひこの「がきデカ」、石ノ森章太郎の「番長惑星」、永井豪の「キューティーハニー」……大人気作品ばかりである。そんなそうそうたる顔ぶれの中で「マカロニほうれん荘」の連載を開始したのが、まだ20歳だった鴨川つばめである。
「マカロニほうれん荘」は、斬新なギャグや独特のコマ割り、ロック、ミリタリー、怪獣特撮といった現代で言うサブカル的パロディ要素など、それまでのギャグマンガとは一線を画すもので、少年チャンピオンの中でも異彩を放ち大ヒット、鴨川つばめは一躍人気漫画家の仲間入りをはたした。同時期に月刊少年チャンピオンでは「ドラネコロック」も連載、こちらも好評を博した。
しかしその人気とは裏腹に、若手の原稿料は低く抑える、という当時の編集部の方針で生活は苦しく、さらに人気漫画の連載を続けていくことへのプレッシャーも重なり、1979年にははやくも連載終了を迎える。
その後は、「マカロニほうれん荘」の続編「マカロニ2」など、いくつかの漫画を連載したが、なかなかヒット作品は生まれず。近年、目立った活動は見られてない。
「マカロニほうれん荘」は伝説のギャグ漫画として今でもカルト的な人気を誇っており、2018年5月19日からは、東京の中野ブロードウェイで、1979年7月20日〜8月1日に松屋デパート浅草店で開催されたカラー原画展以来実に39年ぶりの生原画展示会が開催された。
鴨川つばめ本人はなかなか世の中の表側に姿を表さず、「過去を振り返りたくない」と雑誌などの取材も断ってきた。しかし、2011年の東日本大震災を目の当たりにしたことで心境に変化があり、手塚治虫の姿を描いた事実に基づく作品「ブラック・ジャック創作秘話~手塚治虫の仕事場から~」に出演。当時の編集であった阿久津邦彦氏について語っている。ただ、やはり姿はツバメを擬人化したかつての著者近影の姿であり、やはり実際の人相はわかっていない。
彼の曰く、「ギャグ漫画家の才能は、神様が一生の中でくれたたった一本の鰹節のようなもの」だそうである。だが、その一本を「マカロニほうれん荘」という見事な削り節にしてみせたのは、やはり彼が偉大な漫画家である証しではないだろうか。
主な作品
- マカロニほうれん荘
- 作者の代表作。詳細は個別記事へ。
- ドラネコロック
- 暴走族の少年、泉屋しげるとその親父のロックな青春全開の日々を描く。詳細は個別記事へ。
- マカロニ2
- マカロニほうれん荘の続編。
- チュンチュンアレイ
- 武闘家一家の日常(非日常?)をギャグチックに描く。
関連動画
関連項目
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