西本聖 単語

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ニシモトタカシ

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西本聖(にしもたかし1956年6月27日-)とは、愛媛県出身の元プロ野球選手投手)である。

概要

松山商業高校から、1974年ドラフト外長嶋茂雄率いる読売ジャイアンツに入団。

背番号が26になった3年1977年から、江川卓と共に巨人の一時代を支える。

1981年には18勝を挙げ、沢村賞を受賞。
かしこの年江川投手5冠という圧倒的な成績であり、表向きはチーム優勝への貢献度の差などと発表されたが、江川プロ入り経緯や素行などから記者の個人的感情で西本に票が流れた[1]のではないかと物議が醸され、江川西本ライバルとして意識するようになる。
日本シリーズでは第2戦で史上初の毎回奪三振記録(後に2008年岸孝之も達成)、MVPを受賞した。

後に1983年に敢闘賞を受賞するなど、日本シリーズでの活躍は素らしかった。

1987年ライバルであった江川卓引退すると、翌年1988年4勝に終わる。

1989年には中尾孝義との交換トレードで、加茂重治とともに星野仙一率いる中日ドラゴンズに移籍。
同年大復活を遂げ、20勝で斎藤雅樹と共に最多勝を受賞。
しかし以降は成績を残せず、1993年オリックス・ブルーウェーブに移籍し5勝を挙げたが、交渉が決裂し自由契約に。

1994年巨人に復帰したが、当時コーチだった堀内恒夫西本復帰に猛反対したもあり、一軍登板なしに終わり、現役引退を表明。チームが最終戦まで中日優勝争いをしていたため、公式戦で引退試合も行われなかった。
その後ライバルだった定岡正二の計らいで多摩グラウンドで引退試合が行われた。

引退後は野球解説者2003年阪神タイガース投手コーチ2010年には千葉ロッテマリーンズ投手バッテリーコーチを務め、2011年から2012年まで二軍投手コーチを務めた。

2013年オリックス・バファローズの一軍投手コーチに就任。2014年二軍育成チーフコーチを務めた。

2015年韓国に渡り、ハンファ・イーグルスの一軍投手コーチを務めた。2016年からは解説者に復帰している。

選手としての特徴

西本の代名詞とも言えるのがシュートである。
変化量とキレを重視しており、入団当時の長嶋茂雄監督は「天下一品シュート。これだけで勝てる」と絶賛した。
好調時のシュートは外から内のギリギリまで変化し、他チームでは右打者に「西本が投げるん中から中よりの球は振るな」という導をしていたほどであり、1983年日本シリーズ田淵幸一野球人生で初めてバットを短く持って西本から本塁打を打ち、試合後のインタビューで「あのシュート攻略するためにプライドを捨てた」と語った。

バットの芯を外すことに長けたグラウンドボール(ゴロ)ピッチャーであり、1980年7月25日の対阪神戦(阪神甲子園球場)では被安打12ながら5併殺を取り2失点完投勝利を収め(飛球2、三振2以外全てゴロアウトで巨人内野手は22補殺記録)、1981の日本シリーズ第5戦では被安打13完封勝利を収めている(飛球1、三振4以外4併殺を含め全てゴロアウト)。

通算成績

通算:18年 登板 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 504 122 23 165 128 17 0 .563 2677.0 569 1239 1105 951 3.20

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関連項目

脚注

  1. *当時沢村賞記者による選考・投票で決まっており、これを切っ掛けに現在過去の受賞者からなる沢村賞選考委員会による選考制度となった
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