アフリートアレックス(Afleet Alex)とは、2002年生まれのアメリカの競走馬・種牡馬である。
偶然の縁から社会に大きく貢献し、自身も逆境をはね除け大きな感動をもたらした米二冠馬。
通算成績12戦8勝[8-2-1-1]
主な勝ち鞍
2004年:ホープフルステークス(GⅠ)、サンフォードステークス(GⅡ)
2005年:プリークネスステークス(GⅠ)、ベルモントステークス(GⅠ)、アーカンソーダービー(GⅡ)
表彰
2005年エクリプス賞最優秀牡馬
父Northern Afleet、母Maggy Hawk、母父*ホークスターという血統。地元米国産馬である。
父は日本に輸入され活躍した*アフリートが米国時代に残した産駒。現役時代は重賞3勝を含む5勝、GⅠでは3着までとそこそこの活躍馬止まりだったが、種牡馬としては複数のGⅠ馬を輩出し成功を収めた。
母は4戦1勝。ファミリーにも活躍馬は多くないが、5代母まで遡るとマルゼンスキーやシルクフェイマスなどと同じ一族ではある。
母父は米国馬で芝GⅠ3勝馬。Horlicksとオグリキャップの世界レコード決着で有名な1989年のジャパンカップで3番人気の5着だった馬であり、何を隠そうHorlicksがこのレースで更新するまで芝12ハロンのワールドレコードを保持していたのがこの馬である。樹立したのが10月なので僅か1ヶ月半の記録だったけど。種牡馬として日本に輸入されたが目立った実績は残せなかった。
ちなみに本馬の2歳下の半妹*カーリンホークは繁殖牝馬として日本に輸入されている。
出生直後に母Maggy Hawkが体調を崩し、生産者の娘(当時9歳)が手ずからミルクを飲ませたという波乱の生まれだった。
血統的にそれほど見所があるわけではなく牧場でも期待はされていなかったようで、デビュー前から譲渡や転売を繰り返され、最終的には7万5000ドルの安値でフィラデルフィア近郊在住の5人による共同馬主団体が購入。偶然にも5人の内2人の娘の名前が「アレックス」だったことから、父名との組み合わせでアフリートアレックスと名付けられた。
デビューは比較的早く2歳6月。ここは僅差の2番人気だったのだが、道中逃げた1番人気馬をマークし、4角であっさりかわすと直線はひたすら後続をちぎる一方。なんと11馬身1/4差をつける大楽勝で初勝利を飾る。続く一般競走は前走の勝ちっぷりから単勝1.2倍の支持を受けたが同じように番手から4角で抜いてぶっちぎり、今度は12馬身差の圧勝。しかも2競走とも5.5ハロン戦でこの着差だから恐れ入る。
続くGⅡサンフォードSはそこそこメンバーが揃ったが1番人気。この競走は前2走よりやや下げて5~6番手の競馬になったがやはり4角で早めに先頭に立ち、後続を置き去りに5馬身1/4差の完勝。3連勝で重賞勝利を果たす。
これでGⅠホープフルSは断然人気。この日は不良馬場が堪えたのか道中なかなか進んでいかずいつものような4角捲りも決まらなかったが、それでも直線は力強く伸び、先行馬2頭をきっちりかわしてクビ差で勝利。4連勝でGⅠ勝利を挙げた。
しかしこの後GⅠシャンペンSは叩き合いに敗れ2着、GⅠBCジュヴェナイルはレース前にアメリカ人馬主に所有権の75%を購入されて英国から遠征してきた初ダートのWilkoに直線完璧に差し切られ2着。2戦連続で敗戦し6戦4勝で2歳を終える。
3歳は一休みして3月に始動。初戦は2番手から悠々と抜け出して快勝するが、2戦目のGⅢレベルSはいつもの伸びが影を潜め6頭立ての最下位に沈んでしまう。どうも肺の感染症にかかっていたのが原因らしかったが、この惨敗でせっかく招聘したトップジョッキーのジョン・ベラスケス騎手にも騎乗継続を断られてしまい、デビューから乗り続けていた若手のジェレミー・ローズ騎手に手が戻った。
再起をかけたケンタッキーダービーのトライアルレースGⅡアーカンソーダービーは2走前までの安定感が支持され1番人気。相手には後にGⅠトラヴァーズSを勝つFlower Alley(*アイルハヴアナザーの父、ラッキーライラックの母父)もいたのだが、2歳時のような中団から早仕掛けの4角先頭で直線ぶっちぎる圧巻の競馬で2着Flower Alleyに8馬身差をつける完勝。全ての不安を払拭しケンタッキーダービーに乗り込んだ。
一度惨敗したとはいえここまで9戦6勝8連対、しかも前走8馬身差勝利、当然1番人気……と思いきや単勝5.5倍の2番人気。しかも単勝1桁オッズが4頭の割れ模様。どゆこと?
……相手もめっちゃ強かったのである。GⅠウッドメモリアルSで17馬身半差とかいう狂気じみた勝ち方をしてきた5戦4勝のBellamy Road、Fusaichi Pegasusの初年度産駒でGⅠブルーグラスSを6馬身差で快勝した5戦3勝のBandini、GⅠフロリダダービーを勝ってきた6戦5勝のHigh Flyと例年なら1番人気になるような馬が4頭もいたのである。ちなみに他にもここまで戦ってきたFlower AlleyやWilkoも穴馬サイドではあるが出走していた。
レースはいつもと違ってインに陣取り、直線で真ん中から伸びて先行馬を捕まえにいく。しかしここで馬群の中から飛び出してきた14番人気Giacomoの強襲を受け、最後の最後に後退。一度はかわした先行馬Closing Argument(20番人気)にも差し返され3着に敗れてしまい、ダービー制覇の夢は断たれた。
気を取り直して二冠目のGⅠプリークネスS。ダービーの上位人気組から7着だったBellamy Roadと19着だったBandiniが離脱し、High Flyは前走10着。GiacomoとClosing Argumentは大穴すぎてフロックを疑われ、他路線組も大物感ある馬はおらず本馬が押し出されるように1番人気となった。
レースはいつもより後方で激しくやり合う先行馬を眺め、向こう正面から徐々に進出。3角で先行集団が力尽きたことで空いた内を突いて一気にポジションを押し上げ、4角で外に切り替えていつも通り突き抜けようと先頭を行くScrappy Tを外からかわしにいった。
しかしここで思わぬことが起こる。追い抜かそうとしたその瞬間、Scrappy Tが突如大きく外によれ、直後のアフリートアレックスと接触したのである。もろに進路をカットされるような形になったアフリートアレックスは大きくつまずき、鞍上のローズ騎手もほとんど前に投げ出されたような状態になった。ギリギリで踏ん張りかろうじて落馬こそ免れたが、ここから突き抜けようかというところで余りに痛いアクシデントに見舞われてしまった……。
が。
僅か5秒後、アフリートアレックスは先頭に立っていた。
アフリートアレックスとローズ騎手は転倒寸前、落馬寸前の状態から瞬時に体勢を立て直すと、接触後そのまま外で粘るScrappy Tの内に進路を切り替えて急追。アフリートアレックスも驚異的な再加速で一気に並びかけていった。そして叩き合いに持ち込むと残り1ハロン余りで競り勝って先頭に立ち、あとは突き放す一方。最終的に4馬身3/4差をつけゴールに飛び込んだ。3着のGiacomoにはさらに5馬身差をつける完璧な勝利であった。一歩間違えば大事故、それでなくても致命的な不利を被ったはずで、通常なら完走さえ危ぶまれる状況からの圧勝劇に観衆は度肝を抜かれたといい、後にファン投票でこの年のMoment of the Yearに選出されている。
さらにアフリートアレックスはベルモントステークスにも出走。High Flyも離脱してしまったので相手になるような馬はGiacomoくらいで、本馬が断然の1番人気に推された。
ゲートは五分に出たがスッと控えて中団後方。そして3,4角半ばで動き出して馬群の間をスルスルと抜け、4角で一列外に出してトップギアに入る。今後は不利を受けることもなく抜群の手応えで直線早々に先頭に立ち、そのあとはもう完全に独壇場。緩めずに追いまくるローズ騎手に応えて後続を思うまま突き放し、2着に7馬身差をつけゴールイン。桁違いのパフォーマンスで米クラシック二冠に輝いた。
その後アフリートアレックスは夏に管骨骨折、さらに秋に脚の無血管性骨壊死(血管障害で骨に血液が回らなくなり壊死に至る疾患)と診断。プリークネスSで不利を受けた際に蹄を負傷したことが原因と考えられ、これ以上の出走は危険と判断され年末に引退となった。エクリプス賞最優秀3歳牡馬は受賞したが、年度代表馬はこの年BCクラシックなどGⅠ4勝を挙げたSaint Liamにさらわれている。
引退後は名門ゲインズウェイファームで種牡馬入り。初年度から複数のGⅠ馬を送り出すなどしばらくは好調だったが徐々に尻すぼみになり、2022年に種牡馬を引退。現在はそのままゲインズウェイファームで余生を送っている。父系は伸びていないが母父としては2023年のサンタアニタダービーでマンダリンヒーローの夢を阻んだPractical Moveが現れており、血統表にはしばらく名を残しそうである。
……と、ここまで書いて、冒頭の「社会貢献」ってなんだ?と思われただろう。
そのエピソードには、もう1人のアレックスの存在が関わっている。
時は遡って、アフリートアレックスがデビューする少し前のこと。馬主グループのメンバーたちは、偶然にも娘と同じ名前のある少女の話を耳にした。
その少女の名前はアレックス・スコット。当時8歳のアレックスは幼い頃から小児癌の一種である神経芽細胞腫に侵され、手術や化学療法を繰り返していた。しかしアレックスは希望を失わず、4歳の頃に同じ小児癌を患う子供達のために何かできないかと考え、寄付金を集めようと思い立ち自宅の庭でレモネードのスタンドを開いた。5歳の頃病状が悪化し、治療のためコネティカット州からフィラデルフィアに移り住み、ここでもレモネードスタンドを始めた。この活動がマスコミにも取り上げられて徐々に広がり、2004年6月12日に通っていた小学校でスタンドを開いた際には全米50州で支援者たちが同様にレモネードスタンドを開き、1日で合計30万ドルを売り上げる一大社会活動になっていた。
この話を聞いた共同馬主のメンバー達は強く感銘を受けた。折しもアフリートアレックスの生産者であるシルバーランド氏が癌の闘病中であり、自分たちも何かをしたいと考え始めていたメンバーたちは、アフリートアレックスが獲得した賞金の一部を小児癌治療研究のために寄付することにしたのである。
アレックスは本馬がデビューした直後の2004年8月に亡くなってしまったが、その後もアフリートアレックスの馬主たちは小児癌研究への支援を続けた。翌年のアメリカ三冠出走時には各競馬場に「アレックスのレモネードスタンド」が立ち、全米中の競馬場でアレックスの両親や支援者が立ち上げた「アレックス・レモネード・スタンド基金」のPR活動が行われた。ケンタッキーダービーの日にはアレックスの母もチャーチルダウンズ競馬場のスタンドに立ちレモネードを販売したといい、この日の売り上げは全米で100万ドルを超える記録的なものとなった。これらの活動が高く評価され、アフリートアレックスの馬主グループは同年のエクリプス賞特別賞を授与された。
現在もレモネードスタンドの活動は続いており、支援を受けた研究事業から実際に小児癌の新薬が開発された例もある。また日本でもレモネードスタンド活動は広まっており、学園祭や地域のイベントなどでよくレモネードスタンドが立っているので、もし見かけたら一杯買ってみてほしい。そしてレモンの爽やかさを味わいながら、短い生涯で大きな足跡を残した少女の存在とともに、あまり語られはしないけど、彼女が遺したものの広がりに少しだけ貢献した一頭の強い馬がいたことも思い出してもらえたら嬉しい。
Northern Afleet 1993 鹿毛 |
*アフリート 1984 栗毛 |
Mr. Prospector | Raise a Native | |
Gold Digger | ||||
Polite Lady | Venetian Jester | |||
Friendly Ways | ||||
Nuryette 1986 鹿毛 |
Nureyev | Northern Dancer | ||
Afleet Alex 2002 鹿毛 |
Special | |||
Stellarette | Tentam | |||
Square Angel | ||||
*ホークスター 1986 鹿毛 |
Silver Hawk | Roberto | ||
Gris Vitesse | ||||
Strait Lane | Chieftain | |||
Maggy Hawk 1994 鹿毛 FNo.5-g |
Level Sands | |||
Qualique 1981 鹿毛 |
Hawaii | Utrillo | ||
Ethane | ||||
Dorothy Gaylord | Sensitivo | |||
Gaylord's Touch | ||||
競走馬の4代血統表 |
なぜその体勢から走り出せるんだ…
掲示板
1 名無し
2023/10/21(土) 16:51:27 ID: QaAgwqb4Ip
アフリートアレックスが受賞したのは最優秀3歳牡馬で、騙馬じゃないんじゃないかな…
2 ななしのよっしん
2023/10/21(土) 22:27:09 ID: YwzxgzHvYC
>>1
訳し方によってそのへん差があるけどそっちのほうがわかりやすいかな
提供: Kintoki
提供: ゲスト
提供: むらさき
提供: わっほっほい
提供: 五月雨
急上昇ワード改
最終更新:2025/04/26(土) 04:00
最終更新:2025/04/26(土) 04:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。