インターネットとは、
のことを指すと思われる。当記事では主にネットワークとしてのインターネットを取り扱う。
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当記事はインターネットの歴史や技術などネットワークとしてのインターネットについての記事です。
以上の内容については当記事は専門記事ではない為、個々の記事にて議論願います。
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世界のインターネット
概要

単語の意味としてのインターネットはネットワーク同士を繋ぐネットワーク(英:internetwork)を語源とするが、多くの場合は世界最大の分散型ネットワークであるthe Internetの事を指す。つまり我々が普段使っている「インターネット」は世界中のユーザー同士が協調して運用する一つの「インターネットワーク」を指す固有名詞である。
パソコン通信は1台のホストコンピュータがサービスを提供するが、インターネットは全世界に分散する組織(AS)がそれぞれに運用・管理するルータやサーバにより通信が可能となっている。また、IPアドレス、ドメイン名等の資源を管理を行い、インターネットの運営に携わる組織(NIC)が存在し、日本の場合はJPNICが存在する。現在は、主にTCP/IPという標準化されたプロトコルを利用しており、様々な媒体からインターネットにアクセスできるようになっている。
なおインターネットの通信に利用される海底ケーブルの基地局は世界中の何点かに集中しており、日本の場合は殆どが千葉県沿岸に陸揚げされている。東京は世界有数のインターネットトラフィック集積地であり、太平洋ルートの通信の多くが日本を経由する事からインターネットにとって重要な拠点であると言える。
歴史
インターネットはアメリカ国防総省が冷戦時代に構築した、実験的な軍事用ネットワーク「ARPANET」(アーパネット)から発展した。ARPANETは、ネットワークの一部が攻撃されても機能が維持できるように、中央集中管理型ではなく分散管理型のネットワークを構築した。
1986年には、学術研究用のネットワーク基盤としてNSFNetが作られ、軍事用のARPANETから分割された。NSFNetは、ARPANETをモデルとしてTCP/IPや関連したプロトコルを使ったネットワークを用いていた。
NSFNetはインターネットのバックボーンとして利用されていたが、政府が出資しているためAUP (Acceptable Use Policy) と呼ばれる利用目的の制限が設けられいていた。そのため、企業が営利目的のために自由に利用することができなかった。
その一方で、日本国内では、1984年に慶應義塾大学・東京工業大学・東京大学がネットワーク接続されたのをきっかけに、国内の大学や企業の研究機関を接続した「JUNET」というネットワークが出来上がり、後に日本におけるインターネットの母体となっていった。
1991年、欧州原子核研究機構(CERN)の研究員ティム・バーナーズ=リーがWorld Wide Webプロジェクトを発表した。このWWWプロジェクトから、HTTP、URI、HTMLといった今日のウェブの基礎が誕生した。
当初、インターネットの各種サービスを利用できるのは、基本的にインターネットに参加している大学・企業の施設内だけで、一般家庭からインターネットに接続することは不可能であった。1993年に一般の企業や家庭に接続口を提供するインターネットサービスプロバイダが登場すると、プロバイダのアクセスポイントへダイヤルアップ接続することで、一般家庭でもメールやNetNews、WWWなどのサービスが利用できるようになった。
その後、1993年11月には日本初の商用ISPがサービスを開始し、日本でインターネットの本格的な商用利用が始まった。アメリカでも先んじで商用利用されていたもののインターネットガバナンスの面でもNSFNetが1995年に民間に委託されて研究機関の手を離れた。1993年にはウェブブラウザのNCSA Mosaicが大ヒットし、1994年にネットスケープという90年代を代表するウェブブラウザも誕生した。
従来はWindows3.1などを複雑な設定でネットに繋がなければならなかった所、1995年にマイクロソフトからWindows95(PPPダイヤルアップ接続に標準対応した)が発売され、インターネットの利用に弾みがついた。
1990年代は、固定電話回線を用いたダイヤルアップ接続が主流だった。しかし、ダイヤルアップ接続ではインターネットに繋ぐ度に電話料金が必要となる上、通信速度が遅いという欠点があった(アナログモデムで最大56kbps)。
そのため、深夜での接続のみ定額となるテレホーダイというサービスを利用する人が多かった。だが、深夜になるとトラフィックが急激に増えるため、インターネットや電話に繋がりにくくなるという現象が起こった。
2000年に入ったあたりからブロードバンドであるADSLが普及し始めた。これにより、インターネットとの常時接続や安価で高速な通信が可能となった。
2001年からは光ファイバー網を用いたFTTHによるサービスが開始された。
日本のインターネット
3行で説明
アカデミックな趣味人の相互互助ネットワークが原点。
匿名性が強く、日本人の趣味である魔改造がインターネットにも及んでいる。
昔から闇鍋、今も闇鍋。
歴史
※人物名は敬称略にて記載。
- 1984年9月
- 日本のインターネットの始まりはJUNETからである。
UUCPによるバケツリレー方式で始まったJUNETは創設者である東京工業大学の先生、村井純が無許可で元の職場の慶應義塾大学との間に引いたアンダーグランドネットワークを基礎とする。
その後、東京大学が1984年10月にそれに加わり、実験ネットワークとして本格的に伸びていった。
- なお、JUNETが引かれたのは1984年9月、そしてNTTが成立したのが1985年4月、この間は電電公社以外が通信線を引くことは法律違反だった。なお、村井純はこのことで多方面から怒られている。
- 1986年1月
- JUNETとアメリカの学術団体CSNETが接続される。このときのプロトコルはまだUUCPである。この時点で国内外へ電子メールが送付可能となり最終的には500近い組織がJUNETに接続したのである。
- 1988年8月2日
- その後NTTを巻き込み日米でTCP/IP転送のデバッグを繰り返し1988年8月2日に初めてIPパケット通信が成功。この日が国を超えたネットワーク網としてのインターネットの誕生日である。その実験のさなかトラブルが起こる。延々とパケットの実験をした結果、国際電話の月額料金が300万円を超えてしまい運営してたJUNETメンバーが大慌てする。インターネットのパケット使い過ぎはもうこの時点で発生しているのである。やむなく、企業も巻き込んで共同研究名目でお金を集めることとし一息つく。その共同研究のプロジェクト名をWIDEプロジェクト、ネットワーク名をWIDEインターネットと名づけた。上記使いすぎに懲りたメンバーによる働きかけが発端で日米間の専用線が引かれ始める。
- 1989年1月
- WIDEプロジェクトがハワイ経由対米専用線接続を確立(64kbps)。
- 1989年4月
- 日本国際通信株式会社(ITJ、後にKDDIの一部となる)が国際専用線サービスを開始。
- 1989年9月
- WIDEインターネットは日米間のIP接続を開始。国際通信可能なインターネットの正式オープンである。
- 1991年
- JUNETからIPドメイン管理を引き継ぐ形で任意団体JPNICが誕生する(現在は社団法人)。
- 1991年10月
- JUNETが発展解消する。
- 1992年12月3日
- WIDEプロジェクトのメンバーの一部がプロバイダ運用のため、株式会社インターネットイニシアティブ企画(のちのIIJ)を設立。
- 1993年11月
- IIJがインターネット接続の商用サービスを開始。商用プロバイダの誕生である。ここから日本での民間のインターネット利用が始まる。
- 1994年3月
- NSPIXP-1が日本初のインターネットエクスチェンジとしてWIDEプロジェクトの手で設置される。場所は東京神田神保町の岩波書店地下、「WIDEプロジェクトネットワークオペレーションセンター」。なお、岩波書店の中に民間とアカデミックの両方を繋ぐインターネットエクスチェンジが設置されたのは、当時民間企業と本格的に繋ぐことに抵抗の多かった学術サイドを村井純が
-
岩波はいーよ。だってアカデミックだもん!(当人談)
- という詭弁で丸め込んだのが原因であるとされる。なお、NSPIXP-1は1999年に運用を終了するまで岩波書店内での運用が続いた。
- 1994年6月
- GOL、ASAHIネットなどその後もISP事業を行う業者によるプロバイダが複数開通する。ネットのダイヤルアップ接続に定額制のものも登場し日本で一般家庭に本格的にインターネットが普及する土壌が揃う。
- 1994年10月
- ウェブブラウザ「ネットスケープ」が公開される。
- 1995年
- Windows95が販売される。接続の容易さからインターネットが爆発的に普及していく。それ以前から普及していたパソコン通信会社、電話会社やその他の通信社のネットワークがつながっていき成長していく。
- 1995年
- 掲示板サイト「あやしいわーるど」が開設される。オウム真理教による地下鉄サリン事件によって大きく広がることとなった。当初はパソコン通信のNIFTY-Serveのサービス(ホームパーティ)から始まり、インターネットに進出した初期は既存の掲示板サービスを利用、後期は「くずはすくりぷと」による独自掲示板でのサービス提供となった。始まりは管理人しばによる掲示板(狭義のあやしいわーるど)だったが、最終的には他の管理者やあやしいわーるどが乱立し、全体の管理者の居ない掲示板群となった。これが広義のあやしいわーるどである。ここでROMやハンドル無固定(空白)、アスキーアートが定着し、これが日本のネット文化として長らく続いていくこととなる。なお、今現在でも広義のあやしいわーるどは存在している。その為、「おまえが心の中で思うかぎり、あやしいは存在しつづけるヽ(´ー`)ノ」とも言われるのである。
- 1997年8月5日
- 掲示板サイト「あめぞう」が開設される。スレッドフロート型掲示板の誕生である。(しばの管理する狭義の)あやしいわーるどの閉鎖にともない人が移動し発展する。
- 1999年4月
- WIDEプロジェクトがIPv6のワーキンググループ設立。日本が先行してIPv6の仕様策定、実証を行うこととなる。
- 1999年5月
- あめぞうのセカンドチャンネルという位置づけで、西村博之によって「2ちゃんねる」が開設される。
- 2000年3月
- WIDEプロジェクトがIPv6の実証終了、仕様完成に伴いワーキンググループを発展解散。
- 2000年9月
- e-Japanが提唱されIT基本法が制定される(公共施設への高速インターネット整備と学校教育の情報化、電子政府の実現、通信と放送の融合(ネットとテレビの融合)、インターネット博覧会の実施)。
- 2000年12月31日
- 経済企画庁の音頭でインターネット博覧会(通称インパク)が1年間実際される。
- 2001年8月
- 2ちゃんねるから派生した画像掲示板として、「ふたば☆ちゃんねる」が開設される。
- 2001年8月
- ふたば☆ちゃんねるのスクリプトを利用する形で海外版ふたば☆ちゃんねること「4chan」が開設される。4chanユーザ(後のanonymous=匿名)の誕生である。
- 2001年10月5日
- 2ちゃんねるに切れた西和彦(アスキーの設立者)が発起人となり「自作自演の排除」「人にやさしい掲示板」の理想を掲げ「1ch.tv」が開設される。閉鎖されるまでの顛末については1ch.tvの記事を参照、気の弱い人は閲覧注意。
- 2002年4月
- 1ch.tvが自宅サーバになる。
- 2006年12月12日
- ニコニコ動画(仮)が実験サービスを開始。
コンセプトは動画の上にコメントをかぶせるというシンプルなものだった。
運営会社のニワンゴの取締役は西村博之、2ちゃんねるの元管理人である。
- 2008年5月12日
- ニコニコ大百科が開設される。
- 2011年3月11日14時46分18秒
- 東日本大震災発生。
震災から17分後に一人の中学生が「ユーストリーム」にNHKの臨時ニュースを無断配信。
運営会社「ユーストリーム・アジア」は遮断しようとするも、TVが見られない人が多数いるかもしれないと思い直しNHKに問い合わせをする。NHKからは「当メールにて許諾する」との返答が戻る(震災当時NHKのサイトはダウン寸前だった)。フジテレビ、TBS、テレビ朝日の民放3社がこれに追随、「ユーストリーム」「ヤフージャパン」「ニコニコ動画」の三つのサイトがさらに呼応する形で緊急放送のリアルタイムストリーム配信を実施した。
「ユーストリーム・アジア」では中川社長の判断で採算度外視、ストリームを絶対に落とすなとの指示が社員に降り、ユーストリームのコンテンツ・デリバリー・ネットワークをフル稼働させ配信サーバを維持した。
長年言われてきた「ネットとテレビの融合」が瞬間的にではあるが成立した瞬間である。
職場にいた人たち、つまりネットしかない環境の人たちもこうしてニュースを見ることができたのである。
また、部分断線やトラブル、ひいては自然災害にも強いインターネットの長所がわかりやすく表出した一件でもある。あの混乱の中において日本のインターネットはインターネットエクスチェンジがダウンするぎりぎりまで耐えたのである。
- 2012年6月
- 違法ダウンロード刑事罰化への対抗としてアノニマス(ハッカー集団)が財務省、自民党、JASRACの公式ウェブサイトをダウンさせる。彼らの発祥は上記の4chanである。
- 2013年7月
- インターネット選挙運動解禁に係る公職選挙法の一部を改正する法律が成立。インターネットを使用した選挙活動が可能になった。
- 2015年4月
- 学校法人花沢学園 明聖高等学校が、日本初のアバターで通える通信制高校「明聖サイバー学習国」を開校する。
- 2015年5月26日
- 公職選挙法改正案が施行。
インターネットを使った選挙運動が次の国政選挙から解禁されることとなった。
- 2016年4月6日
- 「KADOKAWA・DWANGO」が、インターネットによる通信制の高校を開校。沖縄県うるま市に開校する通信制高校であり校名は「N高等学校」
- 2016年4月14日
- 熊本地震発生。今回は日本国内のインターネット網はダウンすることもなく、情報を求める人にとっての有効な道具として動作した。
- 2016年4月1日
- 電力網におけるスマートメーターの運用が始まる。J-300.10方式AがWi-SUN IP。JJ-300.10方式BがZigBee IPといったようにIPが仕様に使われている。平成26年9月時点においては、すべての電力会社が方式AであるWi-SUN IPを基本に補完としてG3-PLCとなっている。
- 2016年12月8日
- KDDI、ビッグローブ買収を正式発表。集約してきたプロバイダーの中でもキャリア系とパソコン通信系の本合統合となる。
インターネットエクスチェンジ
略称はIX。インターネットプロバイダ、インターネットデータセンターが相互接続する場所のことで、文字通りインターネットにおける通信の交差点である。東京・大阪を中心に主要な民間IXの拠点がある他、行政の主導により地方都市にも整備されたが、接続業者はほぼ東京一極集中となっており緊急時に通信不能となるため問題とされている。
物理線の位置
通信をする以上、実際に通信線が敷かれている場所が存在する。通信線自体は数多存在するが、大量に通信できる通信線をきちんと確保するためには専用の土地が必要となるため、結果として日本の社会資本として整備された場所が多くなっている。
以下は一般に把握されている解りやすい基幹回線である。
- 陸上電話通信網
- 旧電電公社、現在のNTTの基幹回線である。専用の土地と電線を保持し通信回線を引いている。
- 高速道路沿線
- KDDIの通信網
- 日本沿岸部光ファイバー網
- 旧電電公社、現KDDIの通信網である。
- 鉄道沿線(新幹線沿線含む)
- 旧国鉄保有地にひかれた専用通信線、日本テレコムを経由して現ソフトバンクの通信網となっている。
- 河川・道路沿線
- 国土交通省が引いた河川・道路管理用の地域光ファイバが毎年段階的に民間に開放されている。
その為、徐々に(公開された)インターネットの一部となっていっている。開放状況はこちら
を参照。
ルートネームサーバ
インターネットの初期に大きな発展貢献をした日本の学術団体WIDEプロジェクトが世界に13存在するルートサーバ群の一つ、Mルートサーバを運用している(ルートネームサーバの詳細についてはDNSの記事を参照)。その為、最悪海外との通信線が全て断絶しても名前解決が出来ることから、国内だけであれば完全なクローズドネットワークとして動作可能となっている。また、Mルートサーバの基本は東京だがバックアップが大阪にあるため、最悪東京がダウンしても大阪が通信できる状態なら動作可能となっている。このことが東日本大震災では通信帯域がパンクするぎりぎりまでインターネットが使用できた一因となった。
日本のインターネットの今後
上記にあるように日本はインターネット初期の頃から基幹となる技術に関与し発展貢献してきた。IPv6化についてWIDEプロジェクトが先陣を切って実験しているのも同様である。また、日本は単位面積当たりの人口数が多いことも相まってインターネット技術の浸透速度が比較的速いという特徴がある。
日本国において本格的な少子高齢化が始まったのはバブル崩壊前夜の1989年からであるが、インターネットの浸透とともにIPをベースとした各種省力化・効率化技術が広まっていった時期とほぼ重なる。つまり少子高齢化で減る労働力を、ネットワーク技術の省力化で多少なり補ってきた側面が多少はあるということある(わかりやすい例で言うならばHPからの宅配再配達指示など)。同様に手紙の配達総量が激減しEメールの情報量が増えているのも同じ流れである。今後、さらに利用できる労働活力が減少していくことが予想される日本において、技術のテストベッドに最適なインターネットとその技術を応用したインフラは重要性を増していくことが想定される。
日本でインターネットが利用されている事例
以下はインターネット、およびIP技術が利用・応用されている事例の一端である。
自衛隊などでつかう防衛情報通信基盤のうち業務系システムが使うオープン系は上記の通常インターネットと接続、作戦系システムが使用するクローズ系はインターネットとは完全につながらないネットワークとして構築されている。
メディア・コミュニケーションツールとしての側面と規制に関する議論
違法な情報のやり取りの様な通信技術に付きまとう宿命的な問題の他、所謂「学校裏サイト」の様なインターネットの登場で表面化した問題からデジタルコンテンツやコミュニケーションツールとしてのインターネットは規制が叫ばれることも多い。
一方でインターネットは通信インフラとしての性質上規制とは相性が悪く、例えば通信内容を解析して操作を加える事は通信の盗聴に該当するため電気通信事業法に抵触する。コンテンツを公開前に審査する行為は公的に定めてしまうと検閲になってしまうため事業者独自の(合意された)規約によってのみ行われる必要がある。また透過的に実施すると手法によってはやはり電通法に抵触する恐れがある。
電通法における通信の秘密の解釈は通信技術を取り巻く情勢とともに事業者と政府の間で何度も調整が行われ変化してきたが、ともすると検閲に該当してしまうため慎重に議論する必要がある。
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