シャビ・アロンソ(Xabier 'Xabi' Alonso Olano, 1981年11月25日 - )とは、スペインの元サッカー選手、指導者である。
ドイツ・ブンデスリーガのバイヤー・レヴァークーゼン監督。元サッカースペイン代表。
現役時代のポジションはMF。183cm80kg。利き足は右足。
オビ=ワン・ケノービに似ている。
スペイン・バスク州ギプスコア県トロサ出身。レアル・ソシエダのユース出身であり、1999年にプロキャリアをスタート。以降、リヴァプールFC、レアル・マドリード、バイエルン・ミュンヘンと各国の名門チームで活躍。
リヴァプール時代とレアル・マドリード時代に一度ずつUEFAチャンピオンズリーグ優勝を経験している。特に2005年のCL決勝では「イスタンブールの奇跡」と呼ばれたリヴァプールの歴史的な逆転優勝した際の同点ゴールを決めている。
スペイン代表黄金時代の中心選手の一人でもあり、2010年のFIFAワールドカップ優勝、2008年と2012年のUEFA欧州選手権優勝に貢献している名プレイヤーである。
父親のペリコ・アロンソも1980年代にレアル・ソシエダの連覇に貢献し、元スペイン代表でもある元スター選手である。弟のミケル・アロンソもレアル・ソシエダなどで活躍した元プロサッカー選手。
2017年に現役を引退した後は指導者に転身。2022年よりバイヤー・レヴァークーゼンの監督に就任すると、卓越した手腕を発揮。2023-24シーズンのブンデスリーガでは、バイエルンの12連覇を阻止すると共にリーグ史上初となる無敗優勝という偉業を成し遂げる。加えて公式戦49試合無敗という欧州の新記録までも樹立。欧州を代表する名将として注目されるようになる。
バスク地方の小さな町で生まれ、父親のペリコがバルセロナFCでプレーしていたため幼少期をバルセロナで過ごしている。父が現役を引退した後はサン・セバスチャンへ移住している。この頃、後にアーセナルFCで選手・監督として有名になるミケル・アルテタと知り合い、地元のビーチで共にサッカーの技術を磨いている。その後、アルテタと共にサン・セバスチャンの名門育成機関であるアンティグオコへ入り、才能を見出される。
守備的MFとして頭角を現した後は父が現役時代に活躍したレアル・ソシエダの下部組織へと入団。ちなみにアルテタはFCバルセロナへと移籍しており、9年間苦楽を共にした親友二人はここで別の道を歩むことになる。サッカー選手としての実力を付ける一方、勉学にも力を入れており、15歳のときには英語を学ぶために学校交換プログラムでアイルランドのミース州ケルズの町に行き、そこでゲーリックフットボールをプレーしている。
1999年にはリザーブチームであるレアル・ソシエダBで頭角を現すようになり、このシーズンの12月におこなわれたコパ・デルレイのログロニェス戦では18歳にしてトップチームデビューも果たしている。ちなみに、この1999-00シーズンの最後の10試合は父親のペリコが監督を務めている。
2000-01シーズンは父の意向もあって、経験を積むために同じバスク州のSDエイバルへレンタル移籍する。セグンダ・ディビシオン(2部)で前半戦14試合に出場するが、このシーズンのソシエダは前半戦再開に沈むという深刻な不振に陥っていた。そこで、監督に就任したジョン・トシャックの要望もあって予定よりも半年早くソシエダに復帰。すると、卓越したゲームメイクセンスでチームの攻撃を見事に操り、ソシエダは降格圏を脱出。14位で残留を果たす。
2001-02シーズンには完全にレギュラーに定着。監督のトシャックはアロンソの天才的な才能に頼ったチーム作りをしており、専用のトレーニング方法を作成するほどだった。20歳の若者には過剰すぎる期待にも思えたが、これに見事に応え、中心選手として30試合に出場する。
2002-03シーズンには20歳の若さでチームのキャプテンに就任。開幕当初、2部降格候補の一角でしかなかったラ・レアルの中で、リーグ全体の中ではまだまだ期待の一若手に過ぎなかったが、レイノー・ドヌエ監督の下ラ・レアルは大躍進。アロンソは非常に正確なパスで攻撃を自由自在に操り、4月13日、第29節のレアル・マドリード戦でゴールを決めて勝利するなど[、終わってみればシーズンをクラブがリーグ優勝した1981-82シーズン以来最高の成績である2位で終える成功を収める。個人としても、この年のドン・バロン・アワード・最優秀スペイン人選手に選ばれる。
2003-04シーズンはリーガとCLの二足の草鞋に苦しむことになり、リーガではチームが低調だったこともあって12位と低迷。一方、初出場となったUEFAチャンピオンズリーグではチームをベスト16に引き上げる原動力となった。国際的にも活躍したことでもはやソシエダにアロンソを引き留める術はなく、幼少の頃から育ったサン・セバスチャンの街から旅立つことになる。
2004年にイングランド・プレミアリーグのリヴァプールFCへ1600万ユーロへ移籍。監督のラファエル・ベニテスから高く評価され、加入早々中盤の底でレギュラーを任される。フラムFC戦ではFKからのゴールを決め、移籍後初ゴールを記録。アロンソの精度の高いパスは現地メディアからも高く称賛され、チームにとって欠かせない存在となる2005年1月のチェルシーFC戦で足首を骨折するが、驚異的な回復力によって4月に復帰、UEFAチャンピオンズリーグ2004-2005決勝のミラン戦では同点ゴールを決め、クラブの21年ぶりの優勝に貢献。伝説の夜と評される「イスタンブールの奇跡」の主役の一人となり、移籍1年目にしてビッグイヤー獲得という大きなタイトルを手にする。
2005-06シーズンではスティーブン・ジェラードと共に中盤をオーガナイズムする中心選手としてすっかり定着。2006年1月7日のルートン・タウンFC戦では自陣から60ヤードほどのロングシュートを決めてみせる。この試合、アロンソが自陣からゴールを決めることに200スターリング・ポンドを賭けていたリヴァプールファンがこのゴールで25,000ポンドを得たという逸話がある。そのFAカップでチームは決勝まで進出。足首の怪我で出場が危ぶまれていた決勝のウェスト・ハム戦にもスタメンに名を連ねると、FKからジェラードのゴールをアシストし、優勝に貢献。2シーズン連続でタイトルを獲得する。
2006-07シーズンもとんでもない伝説のゴールを決めてみせる。9月20日、プレミアリーグ第2節のニューカッスル・ユナイテッドFC戦でも70ヤードのロングシュートを記録、このゴールはBBCから「常軌を逸した」と表現され、インデペンデント紙からはクラブ史に残るゴールの一つと評されている。シーズン終了後の2007年6月にはリヴァプールと5年の契約延長にサインする。
2007-08シーズンは主将のジェラードが怪我で不在だったこともあり、本来よりも前目のポジションで起用される。6—0で大勝したダービー・カウンティ戦では2ゴールを決めるなど活躍するが、9月にトレーニング中に負傷を負い、戦線を離脱。復帰後はハビエル・マスチェラーノやルーカス・レイバとのポジション争いに直面するが、唯一無二のプレーメイク能力を持つアロンソに対するベニテス監督の評価は揺るがず、2008年1月12日、ミドルズブラFCとの試合でリヴァプール100試合出場を達成する。
2008年にはクラブが自身の放出を進める動きを見せたが、2008-09シーズンが始まると実力を発揮。10月26日にはスタンフォード・ブリッジでのチェルシーFC戦で決勝ゴールを挙げ、チェルシーの過去4年間(86試合)のホーム無敗記録を破る。開幕当初の騒動を乗り越え、この年マンチェスター・ユナイテッドとの熾烈な優勝争いを演じる原動力となった。
2009年夏、銀河系軍団再構築を目論むスペイン・リーガ・エスパニョーラのレアル・マドリードへ移籍。チームにはすぐにフィットし、当時監督であったマヌエル・ペジェグリーニに信頼を置かれ重要な役割を担う。スペインのマルカ誌にはシーズンのベストイレブンに選出され、スペインプロリーグ機構の選ぶLFPアワード、最優秀MFにノミネートされる。また、いくつかのスペインの報道機関やサポーターからはLa Barba Roja (赤髭)というニックネームもつけられた。
2010-11シーズンからはジョゼ・モウリーニョが監督に就任するが、チーム内での厚い信頼に変わりはなく、中盤のオーガナイザーとして重宝されていた。この年からは背番号を慣れ親しんだ14に変更。シーズンを通してゴールは決められなかったが、ジョゼップ・グアルディオラ監督率いるFCバルセロナに対抗するためには欠かせない必要不可欠なピースとなっていた。モウリーニョからは「不在がチームに大きな影響を与える存在」と評され、公式戦には52試合に出場。コパ・デルレイ優勝も果たし、マドリーでの初タイトルを獲得している。
2011-12シーズンのリーグ開幕前、ホームエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウにFCバルセロナを迎えた2011年のスーペルコパ・デ・エスパーニャでは同点ゴールを記録。2011年9月21日のラシン・サンタンデール戦で、レアル・マドリード100試合出場を達成。このシーズンでもペップ・バルサとの熾烈なタイトル争いを繰り広げるが、シーズン121得点を挙げた攻撃陣の手綱を握り続け、自身のキャリアにとって初となるリーグ優勝を達成。
2012-13シーズンでは、モウリーニョとイケル・カシージャスら中心選手の対立が表面化。ロッカールームの空気が悪くなったなかで自身も怪我で欠場する時期があり、無冠に終わる不本意なシーズンとなる。
2013-14シーズンからはカルロ・アンチェロッティが監督に就任。30歳を過ぎ、ベテランに差し掛かったが、チームにとって重要な存在であることに変わりはなかった。UEFAチャンピオンズリーグでは準決勝まで主力として奮闘。決勝のアトレティコ・マドリード戦には、イエローカードの累積により出場できなかったが、クラブはこれに勝利し自身2度目となるUEFAチャンピオンズリーグ制覇を達成した。
アンチェロッティには重要な欠かせない選手と評価されていたが、フロレンティーノ・ペレス会長の意向もあってアンヘル・ディ・マリアと共にチームを去ることになる。
2014年8月にドイツ・ブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンへ移籍。32歳となっての新天地での挑戦となったが、チームを率いるジョゼップ・グアルディオラ監督の要望を受けての加入となった。このときにペップの師事を受けたことが後の監督キャリアの礎になったと言われている。2014年9月27日、リーグ戦第6節の1.FCケルン戦で206回のボールタッチを記録。同僚のチアゴ・アルカンタラがもっている185回のブンデスリーガ記録を更新した。第8節のヴェルダー・ブレーメン戦にてFKから直接ゴールを決め、これがブンデスリーガ初ゴールとなった。同シーズンのブンデスリーガ優勝に重要な役割を果たし、リーグの年間ベストイレブンに選ばれる。
2015-16シーズンから背番号を3番から14番に変更。2015年12月18日にバイエルン・ミュンヘンとの契約を2017年まで延長したことを発表。2016-17シーズンの開幕戦ブレーメン戦で前半9分にボレーでゴールを決めた。第3節のインゴルシュタット戦でゴールを決め、12月21日のライプツィヒ戦でもゴールを決めたが、このゴールが現役最後のゴールとなった。またこのシーズンでは怪我人が続出したこともあってセンターバックで起用されることもあった。
契約最後の年となった2016-17シーズンは、アンチェロッティと再会することになる。2017年3月9日、自身のTwitterアカウントとクラブの公式サイトで「フットボールを生き、フットボールを愛した。美しいゲームよ、さらば。(Lived it, Loved it, Farewell Beatutiful Game.) 」との言葉とともに現役引退を発表する。現役最後の試合となった5月20日、ブンデスリーガ最終節のフライブルク戦で先発出場、アリエン・ロッベンの先制点をアシストして勝利に貢献、82分にスタンディングオベーションを受け、フランク・リベリーとの交代でピッチを後にする。
2001年にはバスク代表としてデビュー。2002年からスペインU-21代表でプレーしており、2003年4月に初めてスペイン代表に選出。エクアドルとの親善試合にスタメンで起用され、21歳で代表デビューを飾る。2004年6月にはポルトガルで開催されたEURO2004に出場。ウクライナ戦ではスタメンを飾ったが、レギュラー奪取には至らず、2試合のみの出場に留まる。
2006 FIFAワールドカップ ドイツ大会では中盤のレギュラーとして起用され、グループリーグ初戦のウクライナ戦では代表初ゴールを記録している。その後、第2戦のチュニジア戦にもスタメンで出場。ターンオーバーが採用された第3戦は欠場となったが、ラウンド16のフランス戦にもフル出場。しかし、この試合ではジネディーヌ・ジダンを抑えきれず、敗退となる。
EURO2008ではスペイン代表の中盤のポジションには「クアトロ・フゴーネス」と称されるシャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタ、セスク・ファブレガス、ダビド・シルバら豊富なタレントが揃っていたこともあってレギュラーから弾き出される格好に。それでもルイス・アラゴネス監督からは重要な戦力とみなされ、スーパーサブとして途中から試合をクローズする役割を任され、スタメンで出場した第3戦のギリシャ戦ではMOMを獲得。スペインの優勝に貢献している。
監督がビセンテ・デル・ボスケに代わってからは広い視野と展開力を買われ、中盤司令塔のポジションでレギュラーに定着。セルヒオ・ブスケツとのドブレ・ピボーテは守備的すぎるという批判もあったが、チームに安定感をもたらし、2009年のFIFAコンフェデレーションズカップ3位決定戦の南アフリカ戦では延長戦にFKからの決勝ゴールを決めている。
2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ大会では、全試合にスタメンで出場。すっかり定着したブスケツとの「ピボーテ・コンビ」でチームの高いポゼッション率を維持させる。決勝のオランダ戦では前半28分にナイジェル・デ・ヨングからの悪質なファウルによって負傷を負うが、後半43分にセスク・ファブレガスと交代するまでピッチに立ち続け、奮闘。延長戦にイニエスタが決勝ゴールを決め、スペインが勝利し、母国のワールドカップ初制覇に大きく貢献したことになる。ちなみに、デ・ヨングからのタックルについては試合後に「これまでに受けたタックルの中で最悪のもの」と試合後に批判している。
EURO2012でもこれまで通り、中盤の底からゲームメイクをおこなう役割を任され、全試合にスタメンで出場。特に自身にとって代表通算100試合目のメモリアルマッチとなった準々決勝のフランス戦では、ヘディングシュートとPKによる2ゴールを決める大活躍で、代表キャリアのハイライトとも言える試合となった。準決勝のポルトガル戦ではPK戦でルイ・パトリシオにセーブされてしまうが、チームは勝利。決勝ではイタリア相手に4-0で勝利し、代表で3つ目のメジャータイトルを獲得。大会優秀選手にも選出されている。
2014 FIFAワールドカップ 南アフリカ大会でも前試合にスタメンで出場するが、最初の2試合で連敗したことであっさりとグループリーグ敗退が決定。初戦のオランダ戦ではPKによるゴールを決めているが、第2戦のチリ戦ではハーフタイムで交代を告げられている。第3戦のオーストラリア戦で勝利した後、クラブでのプレーに専念するため、この大会を最後に代表を引退することを表明。
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
1999-00 | ![]() |
レアル・ソシエダ | リーガ・エスパニョーラ | 0 | 0 |
2000-01 |
![]() |
エイバル(loan) | セグンダ・ディビシオン | 14 | 0 |
![]() |
レアル・ソシエダ |
リーガ・エスパニョーラ |
18 | 0 | |
2001-02 | ![]() |
29 | 3 | ||
2002-03 | ![]() |
33 | 3 | ||
2003-04 | ![]() |
34 | 3 | ||
2004-05 | ![]() |
リヴァプール |
プレミアリーグ |
24 | 2 |
2005-06 | ![]() |
35 | 3 | ||
2006-07 | ![]() |
32 | 4 | ||
2007-08 | ![]() |
19 | 2 | ||
2008-09 | ![]() |
33 | 4 | ||
2009-10 | ![]() |
レアル・マドリード |
リーガ・エスパニョーラ |
34 | 3 |
2010-11 | ![]() |
34 | 0 | ||
2011-12 | ![]() |
36 | 1 | ||
2012-13 | ![]() |
28 | 0 | ||
2013-14 | ![]() |
28 | 0 | ||
2014-15 | ![]() |
バイエルン・ミュンヘン |
ブンデスリーガ |
26 | 2 |
2015-16 | ![]() |
26 | 0 | ||
2016-17 | ![]() |
27 | 3 |
現役引退後の2017年9月、マドリードに在住しながらラウール・ゴンザレスやシャビ・エルナンデスらと共にUEFAのコーチングライセンスを履修。
2018年8月にはレアル・マドリードのインファンティルA(U-14カテゴリー)の監督に就任。アロンソが指導したチームは、2018-19シーズンにリーグ戦無敗優勝を達成する。
2019年6月1日に3部であるセグンダ・ディビシオンBに所属する古巣のレアル・ソシエダBの監督に就任する。初采配となったホームでのブルゴスFC戦では1-1で引き分けている。2019-20シーズンは前年は12位だったチームを昇格争いに加わる5位にまで引きあげる。このときのチームには後にスペイン代表に選出されたマルティン・スビメンディやトップチームに定着したアンデル・バレネチェアがいた。
2年目となった2020-21シーズンではさらにチームを躍進させ、半世紀ぶりとなるセグンダ・ディビシオン昇格に導く。2021年3月にはボルシアMGから監督のオファーを受けていたが、レアル・ソシエダBとの契約を1年延長する。
セグンダ・ディビシオン(2部)に戦いの場を映した2021-22シーズンだったが、チームは戦力不足だったことは否めず、、最終的にリーグ戦を20位で終えて3部に降格。2022年5月31日、アロンソは自身のTwitterとInstagramにてソシエダBを去ることを発表した。
ソシエダBを退団した後はフリーになっていたが、2022年10月にドイツ・ブンデスリーガのバイヤー・レヴァークーゼンの監督に就任する。トップチームの監督を務めるのはこれが初めてだったのだが、就任してすぐにチームを見違えるほど魅力的なスタイルのチームに変貌させ、監督としての手腕の高さを発揮。結果、就任時は二桁順位にまで低迷していたチームを6位にまで立て直す。また、UEFAヨーロッパリーグでも準決勝にまでチームを導く。
キャンプからチームを見ることになった2023-24シーズンは本領を発揮。パスワークとカウンターを融合させた近代的なチームを作りあげ、ブンデスリーガの前半戦を首位で折り返し、しかも公式戦連続無敗という快進撃を見せる。首位攻防戦となった2024年2月11日の第21節バイエルン・ミュンヘン戦では完璧な内容で絶対王者を3-0で撃破。世界中から称賛を浴びることになる。得点源であるヴィクター・ボニフェイスの長期離脱というアクシデントに見舞われるがチームの快進撃は留まることなく、第29節のブレーメン戦に大勝したことでリーグ戦5試合を残しての独走状態でレヴァークーゼンのブンデスリーガ初優勝を達成。同時にバイエルンの12連覇を阻むこととなる。
5月9日、UEFAヨーロッパリーグ準決勝2ndレグでASローマと2-2で引き分けたことで、1963年から1965年にかけてSLベンフィカが記録していた48試合無敗を更新するヨーロッパ新記録の49試合無敗記録に導く。ブンデスリーガでは結局最終節まで無敗を継続し続け、ブンデスリーガ史上初の無敗優勝(28勝6分け)という偉業を成し遂げる。
ところが、EL決勝ではアタランタBCに完敗し、初の国際タイトルを逃すと共に公式戦の連続無敗記録が51試合で途絶えてしまう。それでも、3日後のDFBポカール決勝では1.FCカイザースラウテルンに勝利し、国内二冠を達成。偉大なシーズンを有終の美で締めくくる。シーズン中には古巣であるリヴァプールやバイエルンの監督に就任する噂が流れるが、早々と留任の意思を表明している。
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 順位 | 獲得タイトル |
---|---|---|---|---|---|
2019-20 | ![]() |
レアル・ソシエダB | セグンダB | 5位 | |
2020-21 | ![]() |
レアル・ソシエダB | セグンダB | 1位 | |
2021-22 | ![]() |
レアル・ソシエダB | ラ・リーガ2部 | 20位 | |
2022-23 | ![]() |
レヴァークーゼン ※ | ブンデスリーガ | 6位 | |
2023-24 | ![]() |
レヴァークーゼン | ブンデスリーガ | 1位 | ブンデスリーガ、DFBポカール |
2024-25 | ![]() |
レヴァークーゼン | ブンデスリーガ | DFLスーパーカップ |
※シーズン途中での就任。
ポジションはアンカー(ピボーテ)。広い視野とレンジが広く精度の高いパスで守備と攻撃を繋ぐ役割を担い、プレーメーカーとして所属する各チームで欠かせない重要なチームの心臓となっていた。
同じポジションのセルヒオ・ブスケツと違って中長距離のパスを持ち味としており、高精度のキックは針の穴をも通すと評されるほど精密だった。アロンソのキックは正確さとパワーを両立させており、ミドルシュートやフリーキックも得意としていた。また、PKの名手としても知られ、クラブや代表でもキッカーを任されることもあった。
アロンソのキックはース時代、強いキックを習得するために練習後も壁にボールを蹴っていたことで培われている。
また、183cm80kgの恵まれた体格も武器であり、フィジカルを活かしたディフェンス能力に定評もあった。競り合いにも強く、ヘディングでの勝率も高い。一方、激しい守備でカードを貰うことも多かった。
フランツ・ベッケンバウアーは「インテリジェンスがあり、完璧に試合を支配することのできる選手。デットマール・クラマーの教え(オフ・ザ・ボールの動き)を完璧にこなすことができる」と評し、ペップ・グアルディオラは「人生で見た中で最高のミッドフィールダーの一人」と評価している。
監督としては緻密な理論派で、レヴァークーゼンでは3-4-2-1のフォーメーションを採用。3バックと2センターハーフの距離を非常に近めに設定し、近い距離感でボールを動かしつつ、相手を食い付かせて裏を取ることを意識付けている。選手の配置も綿密に設計しており、5レーンを有効に使ってボールを動かす。
崩しの局面では2シャドーが頻繁に列を降りたり、ウイングバックと頻繁にポジションと役割を入れ替える。そのためシャビ・アロンソのレヴァークーゼンではウイングバックがゴール前に顔を出して得点に絡む機会が多い。ショートパスにこだわっているわけではなく、相手のプレスに嵌りそうになれば前線にロングボールを放り込むことも選択肢に入れており、状況に応じて柔軟にやり方を変えるチームを作っている。
守備では前線がユルゲン・クロップのリヴァプールがやっていたような外を切りながら中にコースカットプレスしており、中の選手たちは中盤が状況に応じて抑えいに行く。最終ラインは5バックで守っている強みを生かした大胆なスライド守備が特徴的。
掲示板
提供: しつね
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最終更新:2025/03/15(土) 09:00
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