パルマ・カルチョ1913(Parma Calcio 1913)とは、イタリア・セリエAに所属するサッカークラブである。本拠地はパルマ。ホームスタジアムはスタディオ・エンニオ・タルディーニ。
本項では1913年から2003年までに存在したパルマAC、2004年から2015年まで存在したパルマFC、2015年に創設されたパルマ・カルチョ1913の3つを取り扱う。
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1913年に創設。ニックネームはクロチャーティ(十字軍戦士)とジャッロブルー(黄色と青)。栄光から一転して二度の破産そしてクラブ消滅を経験するという非常に波乱万丈なクラブである。
クラブの歴史は古いものの、広く有名になったのは1990年になってから。1990年にイタリアの大手食品会社・パルマラットがクラブを買収すると、潤沢な資金をバックに多くのスター選手を獲得し、人口20万人未満の地方クラブがわずか10年足らずで8個のタイトルを獲得。当時世界最高峰のリーグと言われセリエAでも強豪クラブにまでのし上がり、「奇跡のチーム」と称された。
だが、2003年に親会社のパルマラットが破産するとクラブは消滅。2004年にパルマFCとして再スタートを切るが、もはやかつてのような強さは失い、普通のプロヴィンツィアのクラブとなっていた。さらには2015年にもクラブは破産しており、セリエDからの再出発を余儀なくされた。現在はセリエAとセリエBを行ったり来たりするエレベータークラブとなっている。
90年代にはジャンフランコ・ゾラやファビオ・カンナヴァーロ、エルナン・クレスポなどが在籍しており、下部組織からは後に世界最高のGKとなるジャンルイジ・ブッフォンを輩出している。
日本人選手では中田英寿が2003年から2005年まで在籍し、背番号10を付けていた。現在は鈴木彩艶が所属しており、欧州4大リーグで初めてピッチに立った日本人GKとなった。
1913年7月27日、パルマ公国出身の音楽家ジュゼッペ・ヴェルディの名を取り、ヴェルディ・フットボール・クラブ (Verdi Football Club) として創設。1925-26シーズンに初めてセリエAに昇格するが、わずか1年で降格した後はずっとセリエBとセリエCの間を行き来するクラブとなり、1960年代にはセリエDにまで沈んでいた。
1968年にパルマACにクラブ名を改称。セリエCに降格した1985年にまだ無名だったアリーゴ・サッキが監督に就任。高い手腕でチームを1年でセリエBに昇格させると、1986-87シーズンのコッパ・イタリアではACミランを破るという大金星を挙げる。このときシルビオ・ベルルスコーニに手腕を認められたサッキはミランの監督に就任し、サッカー界に革命を起こすことになる。ちなみに後任にはこれまた後に革命的な攻撃サッカーで名をはせるズデネク・ゼーマンを招聘している。
1989年ネヴィオ・スカラが監督に就任。1990年にはパルマラット社の代表であるカリスト・タンツィがクラブを買収。強力な支援を受けるようになったチームは1989-90シーズンのセリエBを4位で終え、1926年以来となるセリエA昇格を果たす。
セリエAの舞台に立ったチームはパルマラットの資金力によって大物選手を次々と獲得し、昇格1年目にして6位という成績を残し、UEFAカップ出場権を獲得。1991-92シーズンもリーグ戦を6位で終えると、コッパ・イタリア決勝でユヴェントスを破り、クラブ史上初のメジャータイトルを獲得。1992-93シーズンにはミランの連続無敗記録を止め、UEFAカップウィナーズカップでは決勝でロイヤル・アントワープを破り、欧州でのタイトルも獲得。1994 FIFAワールドカップのイタリア代表にはミランに次ぐ2番目の多さとなる5人の選手を送り込み、イタリアの新興勢力として確固たる地位を築く。
1994-95シーズンにはリーグ戦ではユヴェントスと終盤までスクデット争いを演じ、UEFAカップ決勝でそのユヴェントスと対戦し、ディノ・バッジョの決勝ゴールで勝利。2つ目の欧州のタイトルを手にする。1995-96シーズンには当時まだ17歳だったジャンルイジ・ブッフォンが衝撃的なセリエAデビューを果たし、大きな話題となる。
1996-97シーズンにカルロ・アンチェロッティが監督に就任。この頃エースだったジャンフランコ・ゾラを戦術に合わないことから放出し、ブッフォン、ファビオ・カンナヴァーロ、リリアン・テュラムを中心とした強固な守備をベースとしたチームを作る。攻撃の中心もエンリコ・キエーザとエルナン・クレスポへと一新され、ユヴェントス、インテルと三つ巴の激しいスクデット争いを展開。結局わずかな差でスクデットには届かなかったが、クラブ史上最高順位となる2位でシーズンを終える。
フアン・セバスティアン・ヴェロンが加わった1998-99シーズンにはコッパ・イタリアとUEFAカップの二冠を獲得。2000年代になってチームのスカッドは大きく様変わりし、中田英寿が加わった2001-02シーズンにはリーグ戦では不振に陥ったものの、コッパ・イタリアを優勝。初タイトルから10年目で8つ目のタイトルを手にする。しかし、パルマの栄光の時代はここまでだった。
2003年、親会社であるパルマラット社が破産。クラブは破産管財人の管理下に置かれ、財政難から主力選手たちが続々とチームを去ってしまう。2004年にクラブ名をパルマFCに改め、再出発を図るが財政難からもはや90年代のような勢いはなく、チームは弱体化。2007年にトンマーゾ・ギラルディがオーナーに就任するが、2007-08シーズンに19位と低迷しセリエB降格となる。
1年でセリエAに復帰すると、2010年代に入ってからはセリエAの中堅クラブとして成績も安定するようになり、2013-14シーズンにはUEFAヨーロッパリーグの出場権が与えられる6位でシーズンを終えるなど復活の兆しが見られたが、クラブの財政状況などを理由にイタリアサッカー連盟がUEFAヨーロッパリーグ出場権を剥奪。これに激怒したトンマーゾ・ギラルディ氏が会長職を辞した。
2014年12月には新たにロシア・キプロスの企業へ売却されたが財政状況は改善の兆しが見られず、選手への給与未払いも発覚。2015年2月にジャンピエトロ・マネンティが新会長に就任したが2015年3月にパルマFCの倒産を宣言。
2015年5月からクラブを競売にかけ買い手を探していたが見つからず、2015年6月22日14時を以ってパルマFCは消滅した。
2015年7月27日にパスタメーカーを経営するグイド・バリッラ氏やパルマ市の支援を受けてパルマ・カルチョ1913を創設。新会長にはかつてパルマFCで監督として黄金時代を築き上げたネヴィオ・スカラが就任。2015-16シーズンからセリエD(実質4部)で再スタートを切ることとなる。
2015-16シーズンにセリエD優勝、ロベルト・ダヴェルサが監督に就任した2016-17シーズンにはセリエCで2位に入ると、2017年6月、中国のデスポルツ(Desports)グループ代表の蒋立章がオーナーに就任。2017-18シーズンにはセリエBで2位となり、新クラブ創設から3年での最短コースでセリエA復帰を果たす。
セリエAではさすがに戦力的に厳しいものはあったが、ダヴェルサ監督の手腕もあって2シーズン連続でセリエAに残留する。しかし、2020-21シーズンは監督交代が災いし、リーグでわずか3勝しか挙げることができず、最下位でセリエB降格となる。2021-22シーズンには43歳となったブッフォンが20年ぶりに復帰、2023年に現役を引退する。2023-24シーズンのセリエBで優勝し、3シーズンぶりにセリエAに復帰。
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
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- | 監督 | ファビオ・ペッキア | 1973.8.24 | 2022 | クレモネーゼ監督 | |
4 | DF | バログ・ボトンド | 2002.6.6 | 2020 | パルマユース | |
10 | MF | アドリアン・ベルナベ | 2001.5.26 | 2021 | マンチェスター・シティ | |
13 | FW | アンジュ=ヨアヌ・ボニー | 2003.10.25 | 2021 | シャトールー | |
14 | DF | エメヌエレ・ヴァレーリ | 1998.12.7 | 2024 | フロジノーネ | |
15 | DF | エンリコ・デル・プラート(C) | 1999.11.10 | 2021 | レッジーナ | |
19 | MF | シーモン・ゾーム | 1997.9.11 | 2020 | FCチューリッヒ | |
22 | FW | マッテオ・カンチェッリエーリ | 2002.2.12 | 2024 | エンポリ | |
28 | FW | ヴァレンティン・ミハイラ | 2000.2.2 | 2020 | アタランタBC | |
31 | GK | 鈴木彩艶 | 2002.8.21 | 2024 | シント=トロイデンVV | |
39 | DF | アレッサンドロ・チルカーティ | 2003.10.10 | 2022 | パルマユース | |
98 | FW | デニス・マン | 1998.8.26 | 2021 | FCSB |
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最終更新:2024/12/22(日) 20:00
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