加古(かこ)とは、帝国海軍が保有していた重巡洋艦「加古」をモデルとした、艦隊これくしょん~艦これ~に登場するキャラクター(艦娘)である。
(CV.大坪由佳)
襟とスカートに青を基調としたセーラー服を着ており、体格はスレンダー。常におへそが見えている。ペロペロしたいお。
性格は姉の古鷹と正反対と言って良く、お調子者で秘書艦としての勤務態度は不真面目。
そして艦娘屈指のねぼすけである。
そのねぼすけ度合いたるや、
というものである。
さらに2015年2月23日のアップデートにより、家具「鎮守府カウンターバー」を使用していると彼女はちゃんぽん朝まで飲み勢(公式名称)であることが判明する。普段から眠たげな理由って間違いなくコレだろとツッコミを入れる提督が続出した。
同じ居眠り仲間には比叡がいるが、全体的に漂うダメニンゲン不真面目さ度合いは比叡など足下にも及ぶまい。並ぶとしたら隼鷹だろうか。
ちゃんぽん朝まで飲み勢に堂々参加と相成った理由は、おそらく加古最後の艦長高橋雄次大佐のエピソードによるもの。若手士官の宴会に呼ばれた際、艦長を酔いつぶそうと次々と盃を差し出してきた若手(複数)に対し「俺も飲むからお前らも飲め」と酒を注ぎ返し、結果一隻一人で全員を撃沈し悠々進撃店から退散。その時に「艦長は小破酩酊しております」と追いかけてきた中尉と一緒に河岸を変えて飲み直した、というエピソードが氏の著書「鉄底海峡」にて紹介されている。
ちなみに高橋艦長曰く「ビールなんざサイダーと一緒だぜ」(意訳)とのこと。
もう一つの特徴は「(元)重巡最弱」という点である。
サービス開始から久しく、装備をすべて外した素の状態での火力上限はわずか49であり、妙高型以降の重巡より20前後、同型艦の古鷹と比べても5低かった。
それどころか軽巡の上限よりも10~20低い有様で、「軽巡以下の火力」「もちろん軽巡以下の雷装」「重巡なので対潜攻撃不能」「軽巡より燃費悪い(重巡の中では燃費がいいのだが…)」「修理時間も長い」と、あらゆる意味で重巡最弱どころか軽巡の下位互換という悲惨な性能になってしまっていた。軽巡が強すぎるだけという説もあるが。
なぜ古鷹より火力が低く設定されていたのかは不明だが、史実での竣工間もない時期の戦闘射撃訓練において、加古は古鷹と比べ至近距離での射撃にもかかわらず古鷹以下の命中率に終わっている(加古:射距離平均13500メートルで90発射撃し命中1発、古鷹:射距離平均16500メートルで134発射撃し命中1.7発)ため、あるいはそれがステータス値の差として反映されたのかも知れない。
いずれにせよこのスペックのため、敵が強力になってくるとほかの重巡よりも苦戦する場面が多くなる事は否定出来ず、砲戦時に
「いっちょあがりー」
「あがってねーよ!」
という突っ込みをした経験のある提督は少なからずいるのでは無いだろうか。
― 夜戦のみ使用可能。威勢のいい掛け声とともに武装をぶっ飛ばす。
加古を擁護すると、そもそも古鷹型と青葉型は艦これに登場する重巡の中で最も年長の4隻であり、それ以降の新鋭重巡と比べると性能が見劣りするのは当然と言え、むしろ加古や古鷹を超えられない連中がいたらその方がまずい。
逆に見劣りしてもなお優秀な先駆者であったため、戦時中も寝たいのに一線で働かされた結果、艦これに登場出来た代わりに損害が増えてしまい「重巡としては弱い」という欠点があらわになってしまったと考えられる。
例として加古と愛宕の新造時排水量を比較すると、加古が7950トンに対して愛宕は11350トン。体重排水量差はなんと1天龍ちゃんを超えてしまう。小型の船体は兵器を積む、装甲を積む、長距離航海する、浸水した際の浮力、いずれにおいても不利である。さらに言えば、その後建造された阿賀野型軽巡は6650トンと加古に迫り、2014年夏イベントで先行実装された大淀型軽巡に至っては8150トンと、排水量だけでいえば加古をあっさり飛び越えてしまう。
こう考えると、逆に古鷹型と青葉型は不利にもかかわらずむしろ健闘していると言える。……のだろうか?
そんなわけで、艦これにおける重巡のポジションの微妙さを象徴するような扱いとなってしまっていた加古だったが、さすがに運営も弱くしすぎたと思ったのか、2013年10月16日のメンテナンス時に大幅なステータス強化が為された。
具体的に言うと、僅か49だった改造後の火力上限は65へと大幅に上昇、同じく54から65に強化された古鷹と同ステータス、かつての利根型と同じだけの数字になった。他の重巡もステータスの底上げが為されたため、重巡の中では弱いというポジション自体は変わらないものの、アップデート以前の、そこらの軽巡洋艦以下という悲惨なステータスからはめでたく脱却を果たした。え? 球磨と長良? ・・・Zzz
そしてさらに、2014年1月15日のメンテナンスで重巡(改)と航巡の火力上限が一斉にわずかだが上方修正され、これに伴い加古の火力上限もなんと70の大台に到達。サービス開始当初から見ると実に21、20.3センチ連装砲3基分にも相当する上方修正がされるに至った。
好きだけど弱すぎて使いづらい、と思っていた提督諸氏は、是非追加の近代化改修を施して前線に投入してあげよう。
黒い艤装と黒インナー、握った拳にはじけるスパークと気合い充分で、これから加古スペシャルでも喰らわせるのか、それとも喰らわせた後の勝利の雄叫びかという様相である。かっこいい。
健康的なおへその露出はそのままに、黒インナーはまき付ける形として古鷹型=黒インナーで統一。左のヘアピンが無くなり、左目が前髪で隠れているのは卯月と古鷹にヘアピンをプレゼントしたからだろうか。
艤装そのものも変更され、改までは右腕の艤装に主砲塔2基だったのに対して改二では左肩側に2基となっている。古鷹は右腕に主砲塔2基のままなので、見た目にもこれまで以上に姉妹で対になっている感じが高まった。
イケメン化してはいるが、普段のねぼすけぶりは変わらず、同時実装の放置ボイスでは「まあこいつを放置したらこうなるよな」とだいたい見当がついていた状況が再現され、戦績表示を見ようとすれば完全に寝落ちするという有様で、中身は紛れもなくいつもの加古である。もちろんスカートだって引っ張れる。
ただし、出撃時や戦闘時の追加ボイスは改二の外見によりふさわしく思えるものが追加されており、「やるときゃやるんだよ」というおなじみのMVPボイスに恥じない……はず。
中破絵はというと、艦これ屈指の露出の少なさだった以前までとはがらりと変わり、姉の古鷹改二同様肌色多め、かつ犯罪的シチュエーションを想起させるSNEG状態となってしまう。この変態野郎が。リアルの生活を轟沈させないためにも中破絵の鑑賞時は周囲に気をつけたい。
なお、形サイズ共に良好そうである。
ステータスは古鷹改二、衣笠改二とほぼ同じ。火力が衣笠改二と同等の78、雷装は単独トップの77のため、微々たる差ながら、このメンテ時点での第六戦隊で最も攻撃的な艦娘となった。帰り道の心配のない艦これ世界の海で、思う存分昼戦に夜戦に活躍させてあげよう。49?そういうこと思い出すと……眠く……zzz
2018年11月16日のアップデートで古鷹と加古は20.3cm(2号)連装砲で装備ボーナスが得られるようになった。2号砲は数を揃えやすいこともあり、このアップデートで古鷹型がより運用しやすくなった。
2021年6月22日アップデート(「激突!ルンガ沖夜戦」終了メンテ)にて、加古のガーリーな梅雨グラが新規実装された。・・・誰や貴様? まあ、ガーリーな古鷹バレンタイングラと並べるといい塩梅ではある。
1922年(大正11年)11月17日に加古型巡洋艦1番艦として起工。命名は兵庫県を流れる加古川より。
重巡(帝国海軍での正式な分類は一等巡洋艦)なのに川の名前が付いている理由は、建造中止となった川内型軽巡洋艦4番艦の名前が流用されたため。
つまり一歩間違えていれば加古は艦隊のアイドルの妹だったのである。カコチャンダヨー
起工は先に行われたが、竣工が2番艦の古鷹より4ヶ月後の1926年(大正15年)7月20日となる。竣工が遅れた理由は、竣工直前にクレーン事故を起こし損傷したためと言われている。
竣工後しばらくは、古鷹、加古姉妹は公式には「加古型」であったが、昭和初期に先に竣工した艦名を型名とするよう改められたため、公式に「古鷹型」となった。
最大の特徴は20センチ単装砲6門を搭載したことで、近代的な巡洋艦への20センチ砲の搭載は世界初である(それ以前に20センチ砲を積んでいた巡洋艦は「装甲巡洋艦」という、横須賀の三笠を一回り小さくしたようなやつ)。
これにより加古は当時の諸外国の軽巡洋艦を圧倒出来る攻撃力を備えている。
カタログ上は。
実際には軽量化のために揚弾機構(下の弾薬庫から砲弾と発射薬を砲塔まで運ばなくてはいけない)の一部にまで人力を用いる設計とした結果、砲塔内においてある数発の弾を撃ち終わると射撃速度が著しく下がり、所定の射撃能力は事実上発揮不可能であった。
想像してみよう。最大時速60キロで波を切る揺れる船の中で、100キロを超える鉄の塊(爆薬入り)を手動で持ち上げるしんどさを。
さすがに偉い人がまずいと思ったのか、改良型の青葉型では機力装填の連装砲を搭載している。
防御力は舷側装甲76ミリであり、後の「妙高」「高雄」と言った重巡洋艦に比べると明らかに見劣りするものの、当時の新鋭軽巡洋艦の装甲としてはごく普通である。
建造された当時はまだ重巡洋艦という概念は無く、加古の目標としたところは「敵国の軽巡洋艦を圧倒出来る超軽巡洋艦」であった。
そして、当時就役していた他国の軽巡洋艦は基本的に15.2センチ(6インチ)砲を搭載している以上、建造当時においてはわざわざ20センチ砲に対応する防御を施す必要が薄かったとも言える。
1936年(昭和11年)7月4日から翌37年12月27日にかけて大規模改装を行う。この際主砲が20センチ単装6基6門から20.32センチ(8インチ)連装3基6門に変更され、青葉型に極めてよく似た外見となるとともに、前述の射撃速度の問題をようやく解決した。
なお、大改装で「加古」と「古鷹」に搭載された連装砲は「足柄」と「羽黒」のお下がりを手直ししたものである。
1939年(昭和14年)11月15日、「古鷹」とともに第6戦隊を編成。40年11月15日に「青葉」が、41年3月1日に「衣笠」がそれぞれ第6戦隊に編入され、この体制で太平洋戦争に突入する。
1942年5月7日、珊瑚海海戦に参加。この海戦で「加古」は太平洋戦争突入後初めて敵に向かって発砲する。
同7月14日、第6戦隊は新編された第8艦隊(三川艦隊)麾下に入る。
8月8日から9日にかけて、第一次ソロモン海戦に参加。戦闘において「加古」に損害は無かった。
しかしカビエンに向け帰投中の8月10日、米軍潜水艦S-44に捕捉される。
このとき「加古」をはじめとする第6戦隊は速度を16ノットに落とし、対潜水艦用の之字運動(ジグザグ航行)も中止して直進している状況だった。
7時6分、S-44は4本の魚雷を発射して即座に反転、待避していった。
見張り員がこちらに向かってくる魚雷の航跡を発見し、直ちに加速、回避行動に入ったが間に合わず、右舷に3本の魚雷が命中。
右に大傾斜を起こし、発電機も停止。全機能を失った加古はそれからわずか35分後に転覆、沈没する。
沈没地点は南緯2度28分、東経152度11分。寝床のカビエンまであと150キロほどのところであった。
9月15日、艦籍より除籍。
加古の最期を看取った高橋雄次艦長(大佐、のち少将)であるが、氏は戦後11年、加古沈没から14年を経た昭和31年、潜水艦S-44の艦長であったムーア少佐(のち大佐)との対面を果たしている。
サボ島(つまり第一次ソロモン海戦)で米海軍が惨敗を喫した後の戦果と言う事で、当時のムーア少佐は一躍英雄となったとの事。
この対面の時にムーア大佐が口にした「お前はいま、私をどう思うか」という質問に対して、高橋氏は
「野球の試合をして負けたと同様に思っている」
と答えたという。
敵の命名による地名を「加古」の戦闘記録の題とする事には、率直のところ、心ひるむものがある。しかし、戦闘いらい二十五年、恩讐は歳月のかなたに去ったのである。
梅雨グラ
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最終更新:2024/12/21(土) 22:00
最終更新:2024/12/21(土) 21:00
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