大友宗麟(おおとも・そうりん 1530 ~ 1587)とは、日本の戦国時代の戦国大名(武将)である。宗麟は出家後の法号であり、本名は義鎮(よししげ)だが、本項目では宗麟で統一する。洗礼名は「ドン・フランシスコ」。
享禄3(1530)年、豊後大友家第20代当主・大友義鑑の嫡男として生まれる。
しかし義鑑が何を思ったのか異母弟・塩市丸に家督を継がそうとした為家臣が謀反、義鑑・塩市丸・塩市丸の生母が死んでしまい(二階崩れの変)家督を継ぐ事になる。義鑑の暴挙の理由は諸説有るが、宗麟の生母が当時の大内家当主・義隆の姉(諸説有り)だったので、大内家の影響力を削ぎたかったのでは?と言う説が一般的。
そこそこ勇猛でそこそこ聡明だった宗麟は優秀な家臣(雷神の化身・戸次鑑連、義理の塊・高橋紹運、紹運の父で三老の一・吉弘鑑理、気象予報士軍師・角隈石宗など)たちの助けもあり豊後・豊前・筑後・筑前と勢力を広げて北九州6カ国の守護となった。
しかしこの宗麟、「わざわざ京都まで行ってナンパしたり」「家臣の奥さんをNTRしたり」「お酒大好きで宴会しすぎて雷神に怒られたり」「キリスト教を保護してたら家中対立がすごいことになったり」「出家の身なのに自分もいつのまにかクリスチャンになってたり」「宗教の不一致で離婚したり」「キリスト教国家建設を目論んで耳川の戦いで大敗したり」とどうにも主君としては困ったお人だったようだ。
ただ悪運だけはあったようで、九州統一を図る島津氏の猛攻に対して(高橋紹運の文字通り捨て身の抵抗も功を奏して)臼杵城で立て篭もって大砲「国崩し」をどかどか撃っている間に秀吉の援軍が到着、九死に一生を得る。
息子大友義統に豊後一国を安堵されたのを見届けて病死。当時の人間としては珍しく、臨終の一言が記録に残っている。
大百科の戦国武将の項目が200を越え、宿敵の島津氏・龍造寺氏が着々と項目を増やし、あまつさえ家臣の戸次鑑連(立花道雪)・高橋紹運・吉弘鑑理・角隈石宗らに遅れてやっとの項目完成である。
二階崩れの変で家督を受け継いでから10年後の永禄3(1560)年、九州北部に勢力を拡大した宗麟は安心したのかすっかり堕落して酒色にふけり、居城に引き篭もって政務を顧みなくなってしまった。
この大友家の一大事を解決したのが戦国の雷神・ベッキーこと戸次鑑連。
なんとベッキーも京都から踊り子(白拍子)を呼び寄せて、御館様に負けないほどのどんちゃん騒ぎを行うことに。
最初は「待て慌てるな あの堅物がそんなことやるわけがない これは孔明の罠だ」と訝しげにしていた宗麟も、どうやら本当に大騒ぎしているらしいということで居城を出てベッキーの屋敷を訪問する。
ベッキーから酒を勧められ、踊り子の当時最新流行の踊りを披露された宗麟はすっかり油断。すると、
そう、やはり孔明の罠だったのです。雷神・ベッキーの長時間に及ぶ説教を食らった宗麟は、とりあえず反省して政務に勤しんだという話(たぶんすぐ戻っただろうけど)。
なお、このときベッキーが大仕掛けのために呼び寄せた踊り子(白拍子)の踊りが今も鶴崎踊りでとして地元で伝わっている。さすが雷神。
戦国時代といえば鉄砲が使用され始めた時代として有名だが、宗麟はポルトガルとの交渉によって大砲を入手し、これを元にして自国でも大砲を鋳造させていたいたことが宣教師の記録から分かっている。また、火器の仕様に必須である火薬(の材料である硝石)を輸入していたという貴重な記録も、同じく宣教師の記録に残っている。
臼杵城防衛戦ではこの大砲を使って島津軍を迎撃した。どうも普通の使い方ではなく、小さな弾丸を多数詰め込んだ特大サイズの散弾銃の様な使い方をしたらしい。
ちなみに宗麟が鋳造させたとみられる大砲が、なぜかロシアに現存している。
こういった事実から、創作物では南蛮かぶれキャラにされたり、大砲関連のスキルを持っていたり、金髪シスターに女体化されたりしている。
他家(大友家)として参加。他の部下たちも大友家として他家にいる。
2.5コスト・武力8統率7、防柵・制圧・魅力と特技を3つ持った鉄砲隊。見た目はガンダムヘビーアームズと見紛う重装備っぷりである。
計略「国崩し」は大筒のダメージを上げる計略。これを使った大筒は、通常より弾が大型になりSEも変化する。筒の残り発射時間が長い程威力が上がる。しかし効果時間があるため敵に占領されたりすると士気4の丸損になりかねない。
とは言え本人は大筒のカウントダウンが速くなる制圧を持っているため、他の制圧武将と併用することでこのリスクを軽減することが可能。総じて工夫の必要な計略である。北条家の猪俣邦憲が大筒カウントの進みを速くする「急造工事」を持っているので北条家と組むことも多く見られる。
なお余談だが部下の高橋紹運、角隈石宗、戸次鑑連、その娘立花誾千代と大友家関係者は全員制圧持ちである。よって主君である宗麟との計略の相性は良くなっている。EXで登場した立花宗茂も制圧持ち。
ただし主君との直接のシナジーがあるかと言えば…
Ver2.0での大筒の変更により敵に占領されてこちらにダメージが跳ね返るということはなくなったが、代わりに効果時間が設定された。また1.2と比較すると大筒のカウントダウンが長くなりダメージも下がっているため、前のような一撃必殺のロマンは薄れている。
南の某チート一族には敵わないが、「天道」以前は政治・統率に秀で、次作「創造」以降の作品では統率より知略面での評価が高くなっている。また、窮地を外交で挽回して来た史実を反映して「大志」では外交能力を示す外政が96とずば抜けて高く、本願寺顕如・北条早雲と並ぶ全武将中6位タイを記録している。
顔グラは「全国版」~「天道」まではハg…スキンヘッドの中年男性風だったが、「創造」からはクリスチャン=南蛮被れと言う事なのか首からロザリオを下げてマントを羽織り、頭頂部だけが禿げ上がった中年男性風に様変わりした。「新生」ではこれに加えて首に襞襟を巻き、南蛮被れ度が更に増している。
作品名 | 軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||||
全国版 | 知能 | 65 | 健康 | 88 | 魅力 | 46 | 野心 | 102 | 運 | 73 | |||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | |||||||||
武将風雲録(S1) | PC | 戦闘 | 76 | 政治 | 83 | 魅力 | 83 | 野望 | 72 | 教養 | 82 | ||||||
DS | 戦闘 | 78 | 政治 | 87 | 魅力 | 83 | 野望 | 72 | 教養 | 82 | |||||||
覇王伝 | 采配 | 85 | 戦闘 | 73 | 智謀 | 77 | 政治 | 82 | 野望 | 83 | |||||||
天翔記 | 戦才 | 152(A) | 智才 | 156(A) | 政才 | 162(A) | 魅力 | 82 | 野望 | 88 | |||||||
将星録 | 戦闘 | 66 | 智謀 | 74 | 政治 | 80 | |||||||||||
烈風伝 | 采配 | 88 | 戦闘 | 54 | 智謀 | 70 | 政治 | 79 | |||||||||
嵐世記 | 采配 | 76 | 智謀 | 65 | 政治 | 76 | 野望 | 94 | |||||||||
蒼天録 | 統率 | 72 | 知略 | 65 | 政治 | 77 | 野心 | 95 | |||||||||
天下創世 | 統率 | 73 | 知略 | 67 | 政治 | 78 | 教養 | 74 | |||||||||
革新 | 統率 | 82 | 武勇 | 71 | 知略 | 75 | 政治 | 87 | |||||||||
携帯版 | 戦才 | 85(鉄砲兵) | 智才 | 73 | 政才 | 85 | |||||||||||
天道 | 統率 | 79 | 武勇 | 69 | 知略 | 78 | 政治 | 93 | |||||||||
創造 | 統率 | 76 | 武勇 | 66 | 知略 | 82 | 政治 | 86 | |||||||||
戦国立志伝 | 統率 | 76 | 武勇 | 66 | 知略 | 82 | 政治 | 86 | |||||||||
大志 | 統率 | 78 | 武勇 | 70 | 知略 | 81 | 内政 | 83 | 外政 | 96 | |||||||
新生 | 統率 | 77 | 武勇 | 69 | 知略 | 81 | 政務 | 89 |
掲示板
76 ななしのよっしん
2021/04/14(水) 19:17:53 ID: Y0SALWdjSb
宗麟もそうだが立花親子や高橋紹運、角隈さんに妙林尼、旦那さんを呪殺しようとする奥さんとこのころの大友家は他の所と比べても頭一つ抜けた個性的なメンツがそろっていて調べていて凄く面白い
77 ななしのよっしん
2021/06/12(土) 00:05:33 ID: cr7GXREkFZ
普通に金銀や硫黄を売ったりして硝石購入とかしてる(硝石を銀で取引した司教宛の手紙有)のに人を売買してたとか言われたり島津軍が大友領で得た捕虜を外国人に売ったこととか擦り付けられたり不憫すぎる
そもそも自前で多少は生産できてたそうだし
78 ななしのよっしん
2021/07/26(月) 00:07:46 ID: cr7GXREkFZ
家臣の妻を寝取ったとかキリスト教狂いとか陰徳太平記(享保年間に吉川家が書いた軍記物)がベースみたい。汚い流石毛利汚い()
実際は宣教師側が中々信じてくれへん…とか日本の文化を無視して布教する宣教師が叱責されたといった教会側の記録があり
重臣に現役復帰してくれと頼まれてしゃーないからもっかい復帰して大友義統の補佐のつもりが息子に八つ当たりされたり、耳川の戦いが薩長肥包囲網の要素あり+カンボジアの貿易船島津に漂着したのが伊東氏が逃げ込んだ影響で何年経っても一向に返還されなかったのもきっかけの一つだったり
一次史料から結構信長みたく実像が違うみたい
提供: サダ@名前変えないで3年耐える
提供: moffy
提供: 弦巻こころ
提供: 志塔喜摘
提供: kanze
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最終更新:2025/04/12(土) 01:00
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