するとその頃から月々の雑誌に、従兄の名前が見えるやうになった。信子は結婚後忘れたやうに、俊吉との文通を絶ってゐた。唯、彼の動静は、――大学の文科を卒業したとか、同人雑誌を始めたとか云ふ事は、妹から手紙で知るだけであつた。又それ以上彼の事を知りたいと云ふ気も起さなかつた。が、彼の小説が雑誌に載つてゐるのを見ると、懐かしさは昔と同じであつた。彼女はその頁をはぐりながら、何度も独り微笑を洩らした。俊吉はやはり小説の中でも、冷笑と諧謔との二つの武器を宮本武蔵のやうに使つてゐた。彼女にはしかし気のせゐか、その軽快な皮肉の後に、何か今までの従兄にはない、寂しさうな捨鉢の調子が潜んでゐるやうに思はれた。と同時にさう思ふ事が、後めたいやうな気もしないでもなかつた。
芥川が1920年に発表した、氏の新境地と評された近代心理小説。
小説家を志していた信子の視点から、従兄の俊吉を巡る姉妹の複雑な感情を切なくエレガンスに描く短編。
女子大在学中から作家としての華々しい未来と従兄との結婚を予想されていた信子は卒業後早々と結婚し大阪へと移り住む。
夫との軋轢が生じながらもその留守中を見計らって創作活動を始めるが思いのほかペンは走らない。
秋が深くなるにつれペンを執ること自体まれになってきたころ、母親から従兄と妹が結納を済ませたという知らせが届く。
信子は自分の寂しさは秋と思う。
信子
女子大在学中は周囲から早々と文壇デビューすることを期待されていた才女。
俊吉との会話に付いてこれない照子を見つけると話題を振るなど妹思いだが誰よりもその言い合いに熱心なのは信子自身であった。
俊吉との恋仲を否定しながらも将来的な結婚を匂わせるなど満更でもない様子だったが…
俊吉
信子の従兄。当時の潮流であったトルストイなどには一切興味がないフランス気触れの冷笑家。
飄々とした人物で真面目な信子とは衝突もあったが彼の放つ皮肉や警句を嫌いになれずにいた。
好物は玉子焼き。
信子の夫
口数の少ない小奇麗な男。
粗暴な性質の大阪府民とも分け隔てなく付き合うが結婚生活が続くにつれて女の腐ったようなねちっこい本性を現す。
照子
少し泣き虫で子供っぽいところがある信子の妹。
信子と俊吉三人で街を練り歩く仲だったが二人の高度な会話からはしばしばはじき出されていた。
信子が自分のために俊吉を諦めて縁談を決め、結婚後も想いを捨てきれないでいることを感じ取っている。
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最終更新:2025/01/14(火) 11:00
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