ZH1とは、第二次世界大戦中にドイツ軍が鹵獲した元オランダ海軍ゲラルト・カレンブルク級駆逐艦3番艦ゲラルト・カレンブルクである。1942年10月5日竣工。1944年6月9日、連合軍のノルマンディー上陸作戦を阻止すべく出撃して撃沈された。
ZH1の前身は、オランダ海軍の駆逐艦ゲラルト・カレンブルクである。艦名のZは「駆逐艦」、Hは「ホーランド(オランダの異称)」を意味し、ドイツ語に直訳すると「ツェアシュテーラーホーランドアインス」となる。
ゲラルト・カレンブルク級(ジェラルド・カレンバーグ級とも)はオランダ王立海軍が発注・建造した4隻の新型駆逐艦のグループだった。
1930年代に登場した大日本帝國海軍の特型駆逐艦は、重武装を実現した画期的な艦として世界中の海軍に衝撃を与え、西欧の列強国オランダも例外ではなかった。現行の主力駆逐艦アドミラレン級では対応出来ない脅威と認知したオランダ海軍はイギリスのヤーロー造船所の支援を受けてゲラルド・カレンブルク級を設計。特型駆逐艦の強大な火力に対抗するべく「大きく」「速く」「大火力」をコンセプトにしていた。まず前級アドミラレン型より船体を大型化し、主砲塔を5基に、魚雷発射管も四連装発射管2基に増強。武装は全てイギリスに発注している。艦名のゲラルト・カレンブルクは17世紀のオランダ海軍提督の名から取られた。
よくイギリス海軍のトライバル級駆逐艦と比較され、航続距離と対空兵装の面ではそのトライバル級を上回っていた。
しかし、期待とは裏腹に第二次世界大戦までに1隻も竣工が間に合わず、ドイツ軍のオランダ侵攻によって拿捕される事となる。船体や装備を解析した結果、主砲、推進器、主砲及び魚雷の射撃管制システムに問題があると指摘されたが、本艦独自の設計と自軍の艦艇と比較するため多くの変更は加えられず、対空兵装をボフォース製からドイツ製に換装した程度に留めた。
諸元は排水量1604トン、全長107m、全幅10.6m、最大速力37.5ノット、搭載重油330トン、乗員158名。武装は45口径12cm Mark6連装速射砲2基、同単装速射砲1基、ボフォース4cm単装機関砲4基、ヴィッカース12.7mm単装機銃4基、53.3cm四連装魚雷発射管2基、機雷24発搭載可能。
1944年6月9日のZH1の喪失を以ってゲラルト・カレンブルク級は全滅した。
1938年10月12日、ロッテルダムのRDM造船所で起工。ちょうど1年後の1939年10月12日に進水式を迎えるが、残酷な事に世界情勢は完成まで待ってはくれなかった。
1940年5月10日にドイツ軍はオランダ本国へ侵攻。造船所があるロッテルダムはオランダ軍が堅持していたものの、5月14日にハインケルHe111爆撃機54機による猛爆を受けて市街地が灰燼に帰し、抗戦の意思を挫かれたオランダ政府は降伏。船体こそ完成していたが艤装工事が終わっていなかったゲラルト・カレンブルクは、いずれ進駐してくるであろうドイツ軍に鹵獲されるのを防ぐため、5月15日に完成を待たずしてニューウェ運河のウォーターヴェーク内で自沈。ロッテルダム港の入り口を塞ぐ閉塞船となった。
オランダが降伏した後の7月14日、ドイツ軍は船体を浮揚したのちRDM造船所に曳航して工事を再開。その際に「Zerstorer(駆逐艦)」と「Hollant(オランダ)」から頭文字を取ってZH1と命名された。合計で4門の12cm/45 Mark6単装砲がドイツ軍に鹵獲されているが、このうち1門はZH1のものだった。
本来は1942年3月4日に就役する予定だったものの下士官の深刻な人手不足により遅延。10月5日(10月11日説あり)にようやく就役を果たし、正式にドイツ海軍へ編入される。就役直後の試験航行では37.5ノットを記録した。10月25日にロッテルダムを出港して翌日ハンブルクへ到着。ブローム&フォス造船所で数日間整備を行い、バルト海にて実験用艦艇として運用される。しかし12月31日に生起したバレンツ海海戦で旗艦Z16を喪失したのを機に第5駆逐艦戦隊へ編入。実戦投入される事となる。
1943年1月18日にハンブルクのブローム&フォス造船所へ入渠、3月末まで簡単な修理を受けた。4月11日、ゲドザー近海でデンマークの蒸気船ドウロと衝突事故を起こしてドウロが沈没、ZH1は軽傷で済んだ。6月、ZH1は残工事を終えるべく再びハンブルクのブローム&フォス造船所に入渠するが修理中に空襲を受けて損傷、10月まで戦闘には不適と判断されてしまった。この修理の際に艦橋上にFuMO24/25レーダーを装備。8月末にシュヴィーネミュンデへ回航し、10月中旬頃に戦闘準備を終えた。
ZH1はビスケー湾とフランス西海岸で活動する第8駆逐艦戦隊へ転属し、ハンス・エルドメンガー大佐の指揮下に入る。
1943年10月31日、Z27とともにキールを出撃してボルドーに向かう。11月2日にロッテルダムへ寄港してSボートの護衛を受ける。翌3日にドーバー海峡手前のダンケルクまで進出するがドイツ占領下フランスへ辿り着くには警戒厳重なイギリス本国の眼前を通る必要があった。イギリス海峡を強行突破する時に敵の沿岸台から砲撃を受け、その破片により両艦とも僅かな損傷を負う。11月5日にはキャプ・ダンディファー沖で英魚雷艇の襲撃を数回受けるも反撃して撃退に成功。ル・アーブルを経由して11月15日にボルドー近郊のジロンド河口へ到着した。
日本の勢力圏からヨーロッパに向かっている封鎖突破船オソルノを確実に帰国させるためベルナウ作戦が発動。12月24日正午に第8駆逐艦戦隊所属のZH1、Z23、Z24、Z27、Z32、Z37、第4水雷艇戦隊所属の水雷艇T22、T23、T24、T5、T26、T27はボルドーを出撃してビスケー湾へと進出する。しかし近隣では封鎖突破船を撃滅しようとイギリス艦隊も展開しており、空と海から監視の目を光らせていた。
翌25日正午、連合軍のサンダーランド飛行艇2機に追い回されるオソルノを発見して合流。更に空軍のユンカースJu88が護衛に加わり連合軍機の襲撃を対空機銃で撃退。12月26日にジロンド河口まで護衛に成功するも、入港時に沈没した機雷原突破船21号ノスターの残骸に触れてオソルノの船底が12mに渡って裂かれる事態が発生、物資の流出を避けるため自ら座礁する。ともあれオソルノは最後に成功した封鎖突破船となった。
オソルノに続いてヨーロッパ大陸へ近づいているアルステルウーファー(封鎖突破船)から救援要請が入り、休む間もなく12月27日に第8駆逐艦戦隊は出撃。ところが、ビスケー湾を通過中にZH1は復水器の問題で機関が停止して航行不能に陥ってしまい、魚雷艇T25に曳航されてジロンド河に帰投。結局アルステルウーファーは合流前に撃沈された挙句、帰路のビスケー湾で待ち伏せしていた軽巡グラスゴーとエンタープライズの襲撃を受け、水雷艇T25とT26、旗艦Z27を喪失した。12月31日、イギリス空軍はオソルノを爆撃で破壊しようとしたが、視界不良によって失敗に終わる。
1944年2月に修理完了。修理と並行して対空兵装も強化された。
3月9日、遣独潜水艦作戦により遠路はるばるやってきた日本海軍の伊29がビスケー湾に到着。翌10日朝、Z23や水雷艇T27、T29とともに伊29と合流して護衛を開始する。午後には5機のユンカースJu88が上空援護に現れた。暗号解析で伊29の動向を読んでいたイギリス軍はドイツの勢力圏へ入られる前にどうにかして撃沈しようと試み、ポートリース基地から第248飛行隊を出撃させてケープペーニャス沖で襲撃を仕掛けてきた。まずモスキート6機が出現し、伊29は潜航退避、ZH1ら護衛艦艇やJu88が応戦する。午後からは別の航空隊所属のボーファイター、B-24リベレーター合計10機以上が襲来、1機のJu88を撃墜される被害を受けたが、3月11日午前7時に伊29がロリアンへ入港したため無事護衛成功となった。
3月16日から20日にかけて水雷艇や魚雷艇とともに北ブレトン沖で船団護衛任務に従事。3月後半はビスケー湾を往来するUボートを援護。既にビスケー湾の制空権は連合軍に握られており、Uボート側は出撃する際に数隻固まって弾幕を張ったり、U-Flakと呼ばれる対空兵装をガチガチに固めたUボートをトラップとして紛れさせるなど涙ぐましい努力を払っていた。以降はブルターニュ北部での護衛任務や訓練、試験航海に従事。
6月6日、連合軍がノルマンディーへ上陸したとの凶報が飛び込んだ。西部方面を担当するテオドール・クランケ中将は第8駆逐艦戦隊の駆逐艦ZH1、Z24、Z32、水雷艇T24にブレストへ向かうよう命じ、敵艦隊の迎撃を試みる。この無線通信を傍受した連合軍は、イギリス空軍第144飛行隊とカナダ空軍第404飛行隊のブリストル・ボーファイターによる空襲を二波に渡って実施、Z32が2発のロケット弾を受けたものの反撃の対空砲火で1機を撃墜。6月7日に全艦ブレストへの進出を済ませた。現地でZ24とZ32の対空兵装強化を急ぎ行った。
6月8日夜、第8駆逐艦戦隊は第40掃海艇隊の護衛を受けて出発。現地のドイツ軍陣地を支援する目的でシェルブールへ前進するが、この通信も連合軍に傍受され、航路上に英第10水雷戦隊を送り込んで来た。
1944年6月9日午前1時23分、フランス北西部のウシャント岬沖で8隻の駆逐艦からなる英第10水雷戦隊はレーダーでバッツ島北東30マイルを航行中のドイツ駆逐隊を捕捉。敵から砲撃を受けた事でドイツ側も気付き、ZH1を含む駆逐艦群が4本の魚雷を発射、ウシャント岬沖海戦が勃発する。
魚雷を発射した直後、英駆逐艦アシャンティとターターから集中砲火を浴び、機関室の主蒸気管が切断されて電力を失った他、船体水面下に命中した砲弾により前部ボイラー室が浸水。ZH1は闇夜の中で大破漂流状態に陥ってしまった。戦闘能力を失ったZH1にアシャンティとターターは興味を失くし、次にZ24へと攻撃を仕掛けた。
漂流しながらもZH1は果敢に後部銃座でターターを攻撃し、煙突底部に置かれていた塗料に引火させて小規模火災を発生させる。思わぬ反撃をしてきたZH1にアシャンティは魚雷2本を発射。このうち1本が直撃して艦首が吹き飛ばされるも、今度は前部主砲による砲撃で決死に喰らい付き、アシャンティに1発の命中弾を与えた。更にZH1は魚雷4本を手動操作で一斉に発射。しかし魚雷は全て外れ、行動の自由さえも失っていた事からクラウス・バーコス艦長は自沈を命令。艦内の爆雷を起爆して午前2時40分に自沈した。
戦闘中にバーコス艦長を含む士官3名と乗組員36名が死亡。士官1名と乗組員27名を乗せた救命艇がフランス沿岸に漂着し、残りの140名はイギリス軍に救助された。
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