アレクサンドル・ルカシェンコとは、芋掘りおじさんベラルーシの大統領である。
ロシアの西、ウクライナの北に位置するベラルーシ共和国の政治家であり、建国後の1994年に行われた大統領選挙で勝利して以来一貫して大統領の座にある。だがその背景には不正選挙や反政府又は自由主義者の不当な拘束など疑惑が多くあるため「ヨーロッパ最後の独裁者」の異名を持つ。
ロシアとの緊密な関係でも知られ、1990年代は彼の国と連邦国家実現に大いなる関心を示し、一時はロシア・ベラルーシ連盟国創設条約締結にまでこぎつけていた。しかし、その後ロシアの大統領に就任したプーチンのベラルーシの一方的な併合とも取れる発言に反感を抱いた為、経済的な提携に留まりそれ以上について特に進展は見られない。
だが、天然ガスや石油をはじめとする資源や、先程あげた数々の権威主義的な行動による西側諸国からの制裁強化による輸出の大幅な制限の為、ロシアへの依存は大きく、それらの代償の代表的な例として2022年のウクライナ侵攻においてはベラルーシ南部国境からキーウに向けてロシア軍を進軍させることを了承している。
2023年5月には戦勝記念日の記念式典後より、ルカシェンコの危篤や急死疑惑が浮上。プーチンによる暗殺疑惑も持ち上がっていたが程なく無事が確認される。
2023年6月のプリゴジンの乱では、モスクワに迫りくるワグネルに対して仲介を受けて立ち、自国に迎え入れる形で矛を収めさせることに成功する。まあ無駄になったんだけど
食糧対策か、はたまた動員体制の一環か、2022年10月には子どもは健康のため芋掘りすべしという発言をした為、一部ではルカシェンコを芋掘りと結びつけるイメージが浸透している。なお、ルカシェンコ自身も国民と共に手づからジャガイモの収穫に勤しむ写真や動画が存在する。
酒や煙草はほとんどやらず、趣味はサッカーとアイスホッケー。特にアイスホッケーの熱の入りようは国内にアイスホッケー場を多数整備するほどで、1998年の長野五輪の際も公式での来日を警備上の理由で断られたため、非公式で来日している。
1954年に母子家庭の子として生まれる。教育大学で歴史学士と社会科教員の資格を得た後、通信教育で農業アカデミー経済学部で、農業経済学学士を取得。それと同時並行で1975年よりソ連の国境部隊で軍歴を持ち、1977年に共産党のコムソモールに所属。ソ連の構成員として活動を開始した。
1979年にソビエト連邦共産党と白ロシア(ベラルーシ)共産党の党員として認められ、1982年にソ連軍を退役するとコルホーズ(集団農場)の副会長、1985年にはベラルーシ北部のゴロデツに所在するソフホーズ(国営農場)の所長に就任。共産党の党員としては順当なキャリアを積み重ねる。
1990年に白ロシア共和国最高会議代議員選挙(地方議会の選挙に近い)へ出馬し、当選。程なくしてソ連が崩壊し、政局が混迷するとルカシェンコはそこにあった腐敗を次々と糾弾して雄弁な論客として定評を得る。そして、1993年4月に腐敗防止委員会の暫定委員長に選出され、そこでベラルーシの事実上の指導者になっていた最高会議議長のシュシケヴィチをはじめとする70名を公金の私的流用で告発。後にこれは証拠不十分とされたが、その疑惑は人気を落とすに十分で、不信任案を可決されてシュシケヴィチは議長職の辞任を余儀なくされた。ルカシェンコはこれで大きな国民からの人気を得た。
ソ連崩壊直後のベラルーシは諸事に追われていたが、1994年初頭にようやく憲法制定にまでこぎつけ、6月と7月に民主的な大統領選挙を行うことを布告。ルカシェンコはこれに出馬し、他にはシュシケヴィチや首相をつとめたケビッチなど6名の候補者がでたが、第1回選挙では2位のケビッチと2倍以上の得票率を得て決選投票へ進み、2回目選挙では得票率の80%にあたる420万票に対し、ケビッチは74万票と6倍近い大差をつけて勝利。これでルカシェンコは大統領に就任し、ベラルーシのトップに登りつめた。
ベラルーシが当初制定した憲法ではアメリカに倣ってか多選を認めていなかった。しかし、ルカシェンコは自身の政権を延長させる為、2004年にその制限を外す国民投票を実施、8割弱の得票を得て改憲に成功した。しかしこれはアメリカの大きな反発を買い、当時の大統領、ブッシュJrは「最悪の独裁国家」として打倒すべき対象として強く非難した。
不正選挙疑惑や西側からの非難を受けながらも、それでも2010年に4期がはじまるまではどうにかこうにかベラルーシを中所得圏まで持っていったり、価格統制による低物価など経済は堅調であった。しかし、2011年に無理な国による給与設定(月500ドル)や、大きな財政赤字などが遂に限界に達し、ルーブル切り下げの噂もあってベラルーシの人々が矢継ぎ早にドルやユーロへの両替を行い始めた。
これが起こると当然ベラルーシは外貨準備高を切り崩さざるを得なくなり、深刻なインフレが発生。一時はインフレ率が100%を超え、当初500ドル相当だったベラルーシルーブルは350ドル相当にまで落ち込んでしまった。この混乱そのものは借り換えの実行などにより1年以内におさまったが、ベラルーシのインフラなどを担う国営企業がロシアに買収され、事実上乗っ取られるのではないかという危惧が広まることになった。ルカシェンコ当人は「ギャング共に我々の国を売り渡しはしない」とこれを否定したものの、ベラルーシのロシアへの依存の高まりは明白であった。
2020年のベラルーシ大統領選挙ではルカシェンコが当選し、6期目を勝ち取ることに成功した。しかし、アメリカの国務長官ポンペイオ(当時)は「自由でも公平でもない」と評しており、ベラルーシ国内では参加者総数が50万人という大規模なデモ活動が発生。欧州議会はルカシェンコに対してペルソナ・ノン・グラータ(受け入れ拒否)とみなしてベラルーシの大統領と認めない声明を出したり、米英加の3カ国も大統領選の結果を認識しないなど大きな騒動になった。また、反政府側の独立系メディアの世論調査を根拠にした主張によれば3%の得票しか得てないことから「サーシャ3%」という蔑称あだ名がつけられている。サーシャはアレクサンドルの愛称。
これは結局、ベラルーシ警察によるゴム弾や催涙ガスによる徹底的な弾圧で鎮撫したが、西側諸国はおおむね何らかの制裁や強い非難を行っており、我が国の外務省も「状況を強く注視する」という懸念を表明している。
2022年のウクライナ侵攻においては、概要の通りベラルーシ領からのロシア軍の進軍を容認しており、開戦初頭のキーウ侵攻に加担した。2023年7月には前々から疑問が上がっていたロシアの戦術核配備について「自分たちへの侵略があれば」という留保つきで、それを発射することは否定しない発言を行っている。
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最終更新:2025/12/10(水) 15:00
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