エディ・ディアス(Eddy Javier Diaz、1971年9月29日-)とは、ベネズエラ出身の元プロ野球選手である。現役時代は広島東洋カープに所属。
丸メガネとアイブラックがトレードマークで、内野をどこでも守れるユーティリティープレーヤーだった。
1990年にシアトル・マリナーズと契約。
1997年にミルウォーキー・ブルワーズにてメジャーデビューするも、16試合のみの出場だった。
1998年オフ、広島東洋カープが正田耕三の抜けた穴を補強するため、守備力の高い外国人選手を補強する目的で契約を結ぶ。背番号は1999年のみ2だったが、2000年からは東出輝裕に譲る形で以降は49となった。
来日後、1999年と2000年の2年間は首脳陣の意図もあり下位打線で起用されていたが、2001年には四球数、本塁打数、出場試合数など自己最高の数字を記録した。特に本塁打数は前の2年間で8本づつだったのが、この年だけで32本と大爆発した。広島の外国人選手の30本以上のホームランは23年ぶり(当時)で、同年同じく在籍していたルイル・ロペスも32本を放ち外国人アベック記録となった。更に元々の強肩を活かした内野守備、三振の少なさも相まってベストナインにも選ばれた。年棒も前の2年間の3000万円から7000万円にアップしたとされていて、当時実家で牧場を経営していたデイァスは、牛を買い増す目標を達成したのだという。
2002年も開幕から順調な滑り出しで、5月には二桁本塁打1番乗りを果たすなどしていたが、故障し登録を抹消されたこともあってこの年に退団した。
その後は韓国、メキシカンリーグで4年プレーした後、2007年からは地元ベネズエラのウィンターリーグで2年プレーし、現役生活18年で引退したとされている。
海外のサイトによれば、引退後はベネズエラのコヘデス州に在住しており、 地元ベネズエラの野球インストラクターを勤めているという。さらにラテンアメリカの環境団体から日本へのスポーツ大使に任命されたと写真つきで報じられている。その際、広島時代について「良い成績を残すことができたし、日本への挑戦は自分の人生の中でも永遠に大切な時間だ」と述べている。
| 球団 | レス | No | プレイヤー |
|---|---|---|---|
| 広島 | 応援歌のピコカキコ一覧#448 | 9814 |
| 通算:7年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| MLB(1年) | 16 | 51 | 50 | 4 | 11 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 3 | .220 | .235 |
| NPB(4年) | 430 | 1600 | 1448 | 166 | 404 | 65 | 220 | 13 | 18 | 11 | 105 | 18 | 164 | 33 | .279 | .333 |
| KBO(2年) | 182 | 709 | 626 | 81 | 164 | 29 | 89 | 7 | 6 | 8 | 54 | 15 | 74 | 20 | .262 | .331 |
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最終更新:2025/12/08(月) 22:00
最終更新:2025/12/08(月) 21:00
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