スパ・フランコルシャン 単語

シルキュイドスパフランコルシャン

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シルキュイ・ド・スパ・フランコルシャン(フランス語:Circuit de Spa-Francorchamps)とは、ベルギー・リエージュ州のスパおよびフランコルシャンの両市にまたがり建設されたサーキットである。

日本では「スパ・フランコルシャン」もしくは略して「スパ」と呼ぶのが一般的である。

概要

ベルギー・リエージュ州南東部のドイツ国境にほど近いアルデンヌの森の中に位置するサーキットで、オー・ルージュを筆頭に地形を活かした高低差のあるレイアウトと美しい風景が特長。

アルデンヌ高地と呼ばれる山岳地帯に位置するため天候が変わりやすく、1周7.004kmと全長が長いためコースの一部分だけ雨が降っていることも日常茶飯事でコンディションの判断が難しいため、しばしば「スパウェザー」と形容される。

現代のF1サーキットの中では貴重になった高速コーナーが多数配置されており、ドライバーの技量と勇気、マシンのエンジンパワーと空力性能、チームの判断力の全てが問われるコースであり、世界中のモータースポーツファンに最も愛されているトラックのひとつである。

コースレイアウト(2007年〜)

本節では、2007年以降のスパ・フランコルシャンのコースレイアウトについて解説する。
コーナー名のカタカナ表記は極力フランス語・ワロン語(フランス語のベルギー方言)に近い記述とする。

ラ・スルス(La Source)

コントロールラインを通過し、短いホームストレートを通過して最初に到達する右の鋭角コーナー。
コーナーの名前は「水源」を意味する。

コントロールラインからラ・スルスまでの距離は約150mと、F1カレンダーの中でスタートしてから最初のコーナーまでの距離が最も短いサーキットである。
そして大きく減速し右に鋭角に曲がり込むため、毎年のように接触事故が起きている。

オー・ルージュ(Eau Rouge)〜レディヨン(Raidillon)

スパを代表する超高速コーナーであり、下りながら小さな左コーナーを通過するとまもなく急な登り坂に転じ右・左の緩やかな複合コーナーを全開で駆け抜けていく。
厳密にはひとつ目の左コーナーがオー・ルージュであり、多くの人が「オー・ルージュ」と聞いて連想する右・左の複合コーナーはレディヨンであるが、多くの場合ひとまとめにして「オー・ルージュ」と呼ばれている。

コーナーの名称は下りから登りに転じる谷底の部分に小川が流れており、この小川の水が鉄分を含み赤色をしていることから、コース脇にオー・ルージュ(フランス語・ワロン語で「赤い水」)という名前のレストランがあることに由来する。
この谷底から一気に登りに転じる部分でサスペンションが圧縮され車体が激しくボトミングすることから、ここでコントロールを失わないように最低地上高を設定するのが定石である。
一方でレディヨンの頂上は左のブラインドコーナーとなっている上、一気に平坦に転じるためフロントの荷重が抜けやすく、トップスピードを重視するあまりダウンフォースを削りすぎるとコントロールを失いクラッシュする可能性がある非常に危険なコーナーである。

F1においては通常スピードトラップはコース上で最高速を記録する地点に設定されるが、スパにおいてはセクター1の計測地点(レ・コームの進入部)が最高速を記録する地点であり、ドライバーの勇気を証明するかのようにレディヨンの立ち上がりにスピードトラップが設定されている。

ケメル(Kemmel)

レディヨンを抜け、緩い右コーナーを通過した先に伸びるコース中最も長いストレートがケメルである。
現代のF1ではラ・スルスの立ち上がりからケメルストレートの終端まで20秒以上もスロットル全開で駆け抜けるためマシンパワーが必要となる。
当然エンジン、パワーユニットに掛かる負荷も大きいため、シーズン中限られた数しか使えないエレメントもこの区間のために新品が投入されることが多い。

レ・コーム(Les Combes)〜マルメディ(Malmedy)

レ・コームはケメルストレートを通過した先にある右・左の複合コーナーで、続く右コーナーのマルメディと共に車速を維持しながらリズム良く通過していくことが求められる。
F1ではここからセクター2に入るほか、コース中最高地点にあるため天候が好転した際にはこの付近からコースが乾き始めることが多い。

レ・コームの名前は「谷」を意味するフランス語に、マルメディはレ・コームを直進した先にある村の名前にそれぞれ由来する。

ブリュッセル(Bruxelles)

下り区間で最初に通過する右に180度曲がる中低速コーナーで、かつてはリヴァージュ(Rivage)と呼ばれていた。
下りながらのブレーキングになるためタイヤをロックさせやすく、ウェットコンディションの際にはこの付近に川ができるため見た目以上に難易度が高いコーナーである。

プーオン(Pouhon)

90度の左コーナーを通過した次に迎える2連続の左コーナーがプーオンである。
下りながら高速で進入するブラインドコーナーであり、わずかに減速して進入しなければならないのだがここも下りながらで荷重のコントロールが難しく、コースアウトしてしまうと大きくタイムを失うためドライバーの度胸とテクニックが試される。
ヘビーウェット時には1つ目と2つ目のエイペックスの間でコースを横切るように川ができるため、ここも注意しなければならない。

ファーニュ(Fagnes)

ファーニュはマルメディから続く下り区間がひと段落した先にある右・左の高速S字コーナー。
プーオンの立ち上がりでドライバーの技量、マシンの空力性能およびセットアップの方向性によって通過速度に差がつくため、意外にオーバーテイクポイントになりやすい。

スタヴロー(Stavelot)〜ポール・フレール(Paul Frère)

ファーニュを抜けた先にある2連続の右コーナーがスタヴローポール・フレールである。
かつては2つともスタヴローと呼ばれていたが、2008年2月に亡くなった偉大なベルギーのレーシングドライバー、ポール・フレールの功績を讃えて2つめのコーナーがポール・フレールに改称された。

スタヴローはブラインドコーナーであり進入が難しく、またポール・フレールはかつて公道だった区間に合流する地点にあるためバンク角がほとんど無く思ったよりもフロントが入って行かない、いわゆる逆バンク系のコーナーで立ち上がりが難しい。
コース幅と縁石を上手く使って車速を維持したまま抜けていくことが重要である。

スタヴローの名前は、かつて合流する公道がやってくる方向(=コースではなく、合流地点から左折した方向)にあるスタヴロー村に由来する。
F1においては、スタヴローとポール・フレールの間にセクター2の計測地点が設けられる。

ブランシモン(Branchimont)

ポール・フレールからしばらく緩い左コーナー混じりの全開区間に入り、シケインの直前に通過する左の超高速コーナーがブランシモンである。
F1、プロトタイプのスポーツカーでは全開で、GTカーではわずかに減速して通過するコーナーで、オー・ルージュおよびプーオンに並んでドライバーの度胸が試されるコーナーである。

ポール・フレールの立ち上がり速度の差でブランシモンの進入直前に並走状態になることが多く、バトル中の駆け引きや周回遅れが絡んだ際にミラーの視認を忘れるミスによる接触事故も度々発生している。

シケイン(Chicane)

スパの最終コーナーで、コース中最大のブレーキングポイントでありオーバーテイクを仕掛けやすい。
かつては左・右の小さなシケインを通過したのち緩やかに右・左と抜けるコース形状がバス停のようであったことからバスストップ・シケインと呼ばれていたが、2007年のコース改修時に現在の形状となってからは単に「シケイン」と呼ばれている。

シケインを通過するとホームストレートに戻り1周となり、現代のF1はこのサーキットを約1分40秒強で駆け抜ける。
セクター1・3でのストレートスピードを重視しダウンフォースを少なめにするセッティング、セクター2の高速コーナーを重視しややダウンフォースを多めにしたセッティングと方向性が分かれるが、他のコースと比べると絶対的なダウンフォース量は小さい部類に入る。

歴史

  • 1921年
    グランプリレース開催のため、スパ周辺の街をつなぐ形で公道コースが設定される。全長14.981km。
  • 1924年
    第1回スパ24時間レースが開催される。
  • 1947年
    第二次世界大戦で中断していたグランプリレースが再開。若干コースが短縮され14.120kmとなる。
  • 1981年
    公道コースがあまりにもスピードが出過ぎて危険なため、現在のレ・コームからポール・フレールの区間の森を切り開いてサーキット区間が建設され、半公道・半常設コースとなる。全長6.968km。
    この年より、F1ベルギーGPの開催地がゾルダーからスパへ移る。
  • 2004年
    バスストップシケインが改修され、一旦緩やかに右に回り込んでから低速で左・右と切り返す形となる。全長6.976km。
    また、この頃にサーキットをバイパスする道路が建設されて、コースが完全に公道と分離された
  • 2007年
    かつての公道部分を中心に、旧態化していたサーキットに大規模な近代化改修が施された。
    具体的にはバスストップシケインを単独のシケインとしこの途中にピットの入口を設けることでピットレーンを延長しピットを広くした他、ラ・スルス外側やオー・ルージュ〜レディヨン、レ・コーム付近のランオフエリアの整備といった改良が加えられた。全長7.004km。

その他

  • ほぼ現在のコースレイアウトが出来上がった1981年に大幅に距離が短くなったとはいえ、1周およそ7kmはF1カレンダー上で最も長いサーキットである。
    そのためレース終了後他のコースではウィニングランが行われるがスパでは行われず、ピット出口からピットレーンを逆走してパルクフェルメに向かう。
  • サーキットの面積が広く高低差も大きいため、現代の高性能化した無線でもピットから遠いマルメディ〜ブリュッセル付近、スタヴロー〜ポール・フレール付近等、一部電波の届きづらい区間がある。
    そのためコースの一部で天候が急変してもドライバーとピットの間で意思疎通が難しいことがあり、スパウェザーによるレースの混乱に拍車をかけることがある。
  • スパ24時間レースではピットの数が足りなくなるため、ラ・スルスからオー・ルージュにかけての下り区間に併設される通称「オールドピット」も併用し、コントロールラインもF1とは異なり同区間に移動される。
    ピット出口もラ・スルスではなくさらにその先、オー・ルージュ〜ラディヨンのコース脇を直進し、丘の上のランオフエリアをやや迂回した上でケメルストレート手前でコースに合流する。
  • 前述のようにかつては半公道・半常設のコースであり、ポール・フレールからコントロールラインを通過してレ・コームまでの区間が公道であった。
    そのため旅行者でもレースイベント期間外であれば、レンタカーを借りてオー・ルージュを走ることが可能であった。
  • モナコ・モンテカルロ市街地サーキットと並んでドライバーの技量が要求されるスパだが、近代レイアウトとなってからはミハエル・シューマッハ(6勝)アイルトン・セナ(5勝)キミ・ライコネン(4勝)がこのコースを得意としている。
    特にライコネンはKERSをいち早く導入した結果扱いづらいマシンとなってしまったフェラーリ・F60で2009年シーズン唯一の勝利を挙げるなど近年では傑出した成績を残している。その結果一部で「スパ王」と呼ばれているとか。
  • F1史上初めてオー・ルージュを300km/h以上で駆け抜けたのはミカ・ハッキネン(マクラーレン/2000年)である。
  • 余談ではあるが、温泉を意味する英語“spa”はこのサーキットがあるスパが温泉地であることに由来する。

記憶に残るF1レース

  • 1989年
    アラン・プロストと2位争いを繰り広げていたナイジェル・マンセルが、ラ・スルスからの立ち上がりでスピードを稼ぐために出口の縁石を意図的に超えてランオフエリアを大回りする、通称「マンセルライン」を発見。
  • 1991年
    前年末にイギリス国内でタクシードライバーと口論になった際に催涙スプレーを使用してしまい傷害の罪に問われていたベルトラン・ガショーの有罪判決がベルギーGP前に確定、代役としてミハエル・シューマッハがデビューした。
  • 1994年
    この年のみ、第3戦サンマリノGPでローランド・ラッツェンバーガーとアイルトン・セナが事故死したことを受け、オー・ルージュにタイヤバリアによる仮設のシケインが設けられる(同年のみ)。
  • 1998年
    大雨の中、一度目のスタートでラ・スルスを立ち上がった直後にデビッド・クルサードがマンホールでスリップしクラッシュ、水煙が立ち上り前方の状況がわからない後続のドライバーが次々と突っ込み、実に12台ものマシンが巻き込まれるF1史上最大の多重クラッシュに発展する。→湯切り大失敗

    二度目のスタートではラ・スルスでまたしてもクルサードがハッキネンに接触、ハッキネンはスピンした上にザウバーのジョニー・ハーバートがハッキネンを避けきれずクラッシュ、両者リタイアに追い込まれてしまう。
    さらにレース中盤、周回遅れとなったクルサードはミハエル・シューマッハに順位を譲ろうとスローダウンしたが、折りからの大雨でこれを視認できなかったシューマッハはクルサードに追突してしまい、シューマッハは3輪でピットに戻ったもののリタイアを余儀なくされる。またお前か。
    この後、怒りがおさまらないシューマッハが鬼の形相でマクラーレンのピットへ抗議に向かう事件が発生。

    大荒れのレースを制したのはデイモン・ヒル、2位にラルフ・シューマッハが入り、ジョーダン・グランプリはチームとして初の優勝を1-2フィニッシュで飾った
  • 2000年
    3年連続で熾烈なチャンピオン争いをしていたミハエル・シューマッハとミカ・ハッキネンの間でレース終盤に激しい優勝争いが繰り広げられたが、40周目に周回遅れのリカルド・ゾンタを挟む形でインに飛び込んだハッキネンがシューマッハをオーバーテイクし、世紀のオーバーテイクと讃えられた。
  • 2008年
    レース最終盤になって突然雨が降り始め、優勝を狙うキミ・ライコネンとルイス・ハミルトンは共にドライタイヤでコース上に留まり滑る路面でコースアウトを繰り返しながら意地のバトルを展開。
    最終的にライコネンがクラッシュしハミルトンがトップでチェッカーフラッグを受けたが、この時のバトルでハミルトンがシケインをショートカットしてアドバンテージを得て、続くラ・スルスでライコネンをオーバーテイクしたことが問題視され、ペナルティを受け3位に降格となった。
    優勝はフェリペ・マッサ
  • 2012年
    スタート直後にロマン・グロージャンがルイス・ハミルトンに対して過剰な幅寄せを行なったため接触、両者ともコントロールを失いセルジオ・ペレス、フェルナンド・アロンソ、小林可夢偉を巻き込む多重クラッシュを引き起こした。
    グロージャンはこの事故を理由に1レースの出場停止と5万ユーロの罰金という非常に重いペナルティを課された。

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関連項目

  • F1世界選手権
  • アイルトン・セナ
  • ミハエル・シューマッハ
  • キミ・ライコネン

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