トリプティク 単語


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トリプティク

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トリプティク(Triptych)とは、1982年にアメリカで生産されたヨーロッパの元競走馬である。

概要

父リヴァーマンはプール・デッセ・デ・プーラン(仏2000ギニー)、イスパーン賞とGIを2勝し、種牡馬としても活躍馬を多く輩出した名馬。母トリリオンは3歳~5歳の3年間で仏英独米加の5か国に参戦し、GIガネー賞勝ちを含む32戦9勝を挙げた名牝。母父は名種牡馬ヘイルトゥリーズン。
また、トリリオンの牝系は活躍馬が多く、凱旋門賞を連覇したトレヴを筆頭に、トレブル、タマリスク、アモラマ、*ジェネラス、イマジンなどのGI馬がおり、日本に輸入された馬にもフリオーソ、オースミタイクーンなどがいる。
要するにとんでもない良血である。
215万ドルで購入されアイルランドの調教師に預けられた。

2歳の8月、デビュー戦を勝利すると、2戦目は2着だったが3戦目のGIマルセル・ブサック賞を1着。2歳時は3戦2勝2着1回の成績で終える。

3歳になると転厩(といっても同じアイルランドだが)、その初戦の英1000ギニーでは7着に終わる。その次のレースはなんと翌週の愛1000ギニートライアル。ここを勝利するのだが、愛1000ギニーに向かうと思ったら牡馬が出走する愛2000ギニーの方に出走し、なんと2着に2馬身半差つけて勝利。約100回の歴史がある愛2000ギニーで牝馬が勝利したのは現在に至るまでトリプティクのみである。

次はオークスかダービーに向かうかと思ったら、翌週の愛1000ギニーに出走。しかし疲労もあってか5着に終わる。5月中に4競走出走したら疲労がたまるのも当然だろう。しかしまだ休むことはできず、次は2週間後の英オークス。しかしオーソーシャープに6馬身差をつけられ2着に終わる。次は愛オークス……ではなく3週間後の愛ダービーで、ここを5着入線。さすがに2週間後の愛オークスへの出走はせず、次走は2か月後のベンソン&ヘッジズ金杯であった。しかしここでは3着で、以降2戦するも9着→3着で3歳時は9戦2勝で終えた。

4歳で再び転厩し、フランス所属に。さすがに1か月で4競走という3歳時のようなローテーションは組まれなかったが、初戦の5月のガネー賞から11月のジャパンカップまで一切休養なしで11競走に出走。あれ、3歳より出走してる? 成績はラ・クープ(GIII)を勝った以外は全てGIに出走し1着2回(英チャンピオンS、ラ・クープ)、2着2回(エクリプスS、英国際S)、3着3回(KGVI&QES、フェニックスチャンピオンS、凱旋門賞)。これだけのローテーションなのに安定した成績を残しているのがすさまじい。また、ブリーダーズカップ・クラシックにも出走しており6着。ジャパンカップは11着だった。

5歳では10競走に出走。またか……。ここでついに2勝のジンクスを打ち破り、GIを4勝(ガネー賞、コロネーションC、英国際S、フェニックスチャンピオンS)、3着3回(エクリプスSKGVI&QES、凱旋門賞)の成績を残し、1年前に惨敗したジャパンカップに再び挑むため来日した。まずはジャパンカップの前に当時は1800mの国際招待競走だった富士ステークスに出走。単勝1.2倍の圧倒的1番人気だったが、スタート後は中団後方だったのが少しずつ後退し、最終コーナーで1頭だけ少し離れた最後方という位置取り。あれ? と思ったら、直線で驚異的な末脚を繰り出し、なんと2着に5馬身差をつけて勝利した。本番のジャパンカップでは単勝1.8倍の一番人気だったが、直線で前の馬が壁になってしまったということもあり、4着に終わった。

そして6歳、この年に馬主が破産申請し、馬主が変わるという出来事があった。そのためもあってか出走したのは8競走だけだった。勝利したのは2競走(またか)、GIコロネーションSとGIIIプランス・ド・ランジュ賞であった。この年はさすがに衰えが来ていたのか、アーリントンミリオンで10着、凱旋門賞で13着と満足のいく走りができなくなっており、ブリーダーズカップ・ターフ4着を最後に引退したのであった。

競走成績は41戦14勝、GIは9勝したが牝馬限定戦は2歳時のマルセルブサック賞のみで、牡馬相手でも対等に戦うことができた。欧州調教の牝馬でGI8勝は当時の最多記録(現在はゴルディコヴァの9勝が最多)である。
何よりすごいのは日仏英愛米加の6ヶ国で35回もG1に出走したのである。そして無茶ともいえるローテーションでありながら怪我なく走ったトリプティクは”The Iron Lady(鉄の女)”と呼ばれるようになった。

引退後は繁殖入りし、1987~1988年にリーディングサイアーとなったミスタープロスペクターと交配。無事受胎し、どんな子が生まれるだろうと期待されていた。しかし、5月24日に死亡してしまった。死因は牧場を走っていたトラックのライトに驚いて飛び出し、轢かれてしまったというものだった。競馬場では頑健な姿を見せていたトリプティクであったが、最期はあっけないものだった。

血統表

Riverman
1969 鹿毛
Never Bend
1960 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Lalun Djeddah
Be Faithful
River Lady
1963 鹿毛
Prince John Princequillo
Not Afraid
Nile Lily Roman
Azalea
Trillion
1974 鹿毛
FNo.4-n
Hail to Reason
1958 黒鹿毛
Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Nothirdchance Blue Swords
Galla Colors
Margarethen
1962 黒鹿毛
Tulyar Tehran
Neocracy
Russ-Marie Nasrullah
Marguery

クロス:Nasrullah 3×4(18.75%)、Nearco 4×5×5×5(15.63%)、Sir Gallahad 5×5×5(9.38%)

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関連項目

  • 競馬
  • 競走馬の一覧
  • トレヴ
  • フリオーソ

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