フェルディナン・ド・ソシュール(1857~1913)とは、スイスの言語学者、言語哲学者で、「近代言語学の父」といわれている。である。
上述の通り、それまでの比較言語学を中心とした歴史文法一辺倒の研究から、新たな近代言語学を誕生させ、構造主義の起源となった人物である、
ソシュールはスイスのジュネーブで生まれ、プロテスタント系の家系の9人兄弟の長男だった。言語学者アドルフ・ピクテとは家族ぐるみの付き合いがあったため幼いころから言語に魅了された。その後印欧語の研究に触れ、1876年にはカール・ブルークマン、ヘルマン・オストホーフといった青年文法学派の学者と研究をするために、ライプツィヒ移り、さらにサンスクリットの研究のためにベルリンでも数か月を過ごした。しかしその一方で彼は青年文法学派の研究に疑問を持ち、秘かに独立心を養っていったのである。
1877年に印欧比較文法に関する研究を発表しはじめ、鼻鳴音の存在を主張し、それを発展させてハーマン・メラーがラリンジャル(喉頭子音)の仮説を立て、イエジ・クリウォーヴィッチがヒッタイト語に実際に発見したのである。こうして「喉音学説」の創始者としてのソシュールの名声が確立したのである。
ソシュールはその後サンスクリットの研究で博士号を取得し、1881年にパリの高等研究実習院でゴート語と古高ドイツ語、リトアニア語、ラテン語、ギリシア語の比較文法の授業を受け持った。この時期はもっぱら教職として仕事を行い、特に何事もなく10年間を過ごしたのである。
そして1891年にジュネーブ大学の比較文法の教授職をとなり、サンスクリットと印欧諸語の教授として一生を終えることになる…のだが1907年ごろから一般言語学と比較印欧語学の授業を受け持つこととなり、1913年の彼の死後、シャルル・バイイ、アルベール・セシュエら彼の同僚が、生徒の授業ノートから彼の授業を復元し、こうして彼の代表作にして言語学から広範な影響を思想界全体にもたらす『一般言語学講義』が発表されたのである。
ソシュールの理論でまず第一にこれまでの言語学は歴史的な通時的研究のみで、同時代的な共時的研究はほとんどされていないという前提から始まっている。彼は一般的に発話、記述される「バロール」の裏側に存在する「ラング」を解き明かすためにも共時的研究を進める必要があると主張したのである。
これだけならともかく、彼の研究が全世界的に影響を与えることとなったのが、ある記号や音「シニフィエ」があらわしているもの「シニフィアン」との関係は絶対的なものではなく、恣意的なものに過ぎないということである。つまりモノが存在してそれに名前が付けられているのではなく、人がモノを認知する記号によってモノが分類され構造が出来上がっていくということなのだ。
こうしたソシュールの言語学は発表後言語学に一大センセーショナルを巻き起こし、哲学においても構造主義の直接の契機として、人類学者クロード・レヴィ=ストロースと並び立つ存在になっているのである。
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最終更新:2025/12/10(水) 09:00
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