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フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク、通称、F・A・ハイエクとは、20世紀に活躍したオーストリアの経済学者、哲学者である。1974年ノーベル経済学賞を受賞
1929年10月の大暴落の結果、市場経済は人々の信頼を失った。国民は政治の経済への介入を望み、ケインズを擁立するに至る。それに対しハイエクは一貫して政府が経済に積極的に関わる事に反対し、ケインズの「借金をしてでも政府が財政支出をすべき」とする一般理論とは真っ向から対立した。
これに関しては秀逸な動画があるのでこちらを見て欲しい。
ここに出てくるトップダウンとは上意下達、つまり国が経済を動かすことを意味する。反対にボトムアップとは下から上へ、この場合は市場経済を重視することを示す。
論争はお互いに一歩も譲らなかったが、学者として小難しい理屈を並び立てるハイエクと、実業家でもあるケインズの一般人にも分かりやすい政治パンフレットでは国民の人気に差がでるのは当然であった。そしてなによりケインズは「こうすれば不況は直る」と言い、ハイエクは批判するだけで代替案を出せなかった(ハイエクにとっては何もしないことが一番の対策だったのだが)点が決定的になる。結果的にアメリカ政府はケインズの意見を取り入れニューディール政策をとった。
ハイエクは恐慌時の議論では結果的にケインズに敗北したが、70年代には捲土重来しノーベル経済学賞を受賞、80年代からの新自由主義に大きな影響を与えた。例えば、新自由主義の第一人者、ミルトン・フリードマンもハイエクの思想の一部を受け継いでいる。
ケインズの死後、ハイエクは今度は社会主義との議論に熱意を向けた。今でこそ社会主義は廃れた思想ではあるが50年代の世界の知識層は、人間は理性的に管理できるという社会主義を好み、自由至上を主張するハイエクには厳しい目が向けられ、卵をよくぶつけられたという。
ハイエクは社会主義を致命的な思い上がりだとして厳しく批判した。
社会主義の問題点の一つに、目的の合体ができないということがある。
例えば、ある個人が人生の目標を定める時、その人は自分の価値観に従って自由に決めれば良い。しかし、社会主義政府はその個人全員の目標を全て足し合わせなければいけない。そしてその個人間の目標はほぼ確実に相互に矛盾する。会社員が望むものは公務員が望まないし、資本家がしてほしいことは下級農民はして欲しくないものなのだ。結果として国民の一部には恣意的な犠牲を強いることになる。(ハイエクは恣意的な強制を最も嫌った)
そしてもう一つに、社会主義は値段も生産量も国が決めてしまうので、労働者が努力をしなくなるという問題もある。努力しなくても政府が商品を買い取ってくれるのでは、誰も技術革新の為に頑張ろうとはしないだろう。
社会主義を押し進める新古典派(当時の主流学派)は、その理論に「政府は適切である」という前提を置いていた。適切な政府が適切に政治を行えば適切な社会が出来るという理屈だ。しかし、ご存知のように適切な政府なんてものはありえない。政治家だって人間なんだからお金が欲しいし、誰かをひいきしたくなるときもある。
仮に全ての欲を捨て国の為だけを思う聖人が政治家になったとしても、その人物が全知全能の神でない限り適切な政府は成り立たない。全ての国の情報を知ることが不可能であるし、災害などの不確定の未来を予知することはできない。
現実的には、政府は不十分な情報のもと、不十分な未来予想に基づいて、利己的な政治家によって運営される。これによりハイエクは新古典派の「適切な政府」の前提を批判したのだった。
ハイエクはこのような社会主義への反対論をまとめて1944年に「隷従への道」として出版した。
隷従への道は次の動画で簡潔に纏められている。
これは、ドイツにおいてナチスが台頭していく様子を描写したものであるが、現在の日本にも通じるものがあるだろう。
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最終更新:2025/12/07(日) 04:00
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