ポツダム宣言とは、第二次世界大戦末期に発表された、連合国が大日本帝国に対して降伏を要求する宣言である。
概要
1945年7月26日に宣言された。主にアメリカ合衆国が策定し、アメリカ合衆国・イギリス・中華民国の各国首脳(ハリー・S・トルーマン、ウィンストン・チャーチル、ハゲ)の名義において発表されている。
これを受け、日本政府はこの宣言の受諾に関する検討に入った。国家の主権、国体、皇室、領土などを維持できるのか否かなどについて文面をよく吟味したようだ。
「ドイツの場合と比べて文面がやさしくね?」「『全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し』って書いてあるけど、これってつまり軍隊を無条件降伏させればいいよってことで、うちの国自体が無条件降伏しなくてもいいってことじゃね?」「これを逃してドイツみたいなことになりたくないよ。ドイツは酷いことになってるぜ」と、希望的観測も交えつつ前向きに検討している外務省の公文書も残されている。[1]
だが内容検討に時間を取られ、またソ連に対して連合国との和平交渉仲介を持ちかけるなどしていたこともあり、結果的に受諾の決断は遅れていった。
なお、当時の外務大臣東郷茂徳や駐ソ連大使佐藤尚武は政府の決定に従って対ソ和平工作を試みていたものの、ソ連側がこの交渉に応じる可能性については否定的に考えていたという。8月4日には佐藤から東郷に対し「ポツダム宣言受諾に関する佐藤意見」という電信が発せられているようだ。
その後、結局ソ連は8月8日に対日宣戦布告。8月9日に満洲に侵攻する。
8月10日、日本はポツダム宣言の条件付き受諾についてスイス外交官を通して連合国に通達。8月14日には正式にポツダム宣言の受諾を連合国に通告した。
名前の由来
いわゆる「ポツダム会談」中に発表されたことから。この会談は1947年7月から8月にかけて連合国に降伏したドイツのポツダムにあるツェツィーリェンホーフ宮殿にアメリカ、イギリス、ソ連など連合国を構成する主要国が集まって第二次世界大戦の戦後処理を話し合ったもの。
ただしこの「ポツダム会談」で各国で話し合ってポツダム宣言の内容を決めたというよりも、ほとんどの部分をアメリカ単独で策定しイギリスや中華民国はそれを確認して了承したというのが実情らしい。実際、宣言の署名者に名前を連ねている中華民国政府主席の蒋介石はポツダム会談には参加していない。
ポツダム会談で話し合って決定した内容は「ポツダム協定」としてまとめられている。こちらはポツダム宣言と名前が似ているので取り違えやすい。
米、英、支三国宣言
(1945年7月26日ポツダムにおいて)
- われら合衆国大統領、中華民国政府主席およびグレート・ブリテン国総理大臣はわれらの数億の国民を代表し協議のうえ日本国に対し今次の戦争を終結するの機会を与うることに意見一致せり
- 合衆国、英帝国および中華民国の巨大なる陸、海、空軍は西方より自国の陸軍および空軍による数倍の増強を受け日本国に対し最後的打撃を加うるの態勢を整えたり
右軍事力は日本国が抵抗を終止するに至るまで同国に対し戦争を遂行するの一切の連合国の決意により支持せられかつ鼓舞せられ居るものなり
- 蹶起せる世界の自由なる人民の力に対するドイツ国の無益かつ無意義なる抵抗の結果は日本国国民に対する先例を極めて明白に示すものなり
現在日本国に対し集結しつつある力は抵抗するナチスに対し適用せられたる場合において全ドイツ国人民の土地、産業および生活様式を必然的に荒廃に帰せしめたる力に比し測り知れざるほど更に強大なるものなり
われらの決意に支持せらるるわれらの軍事力の最高度の使用は日本国軍隊の不可避かつ完全なる壊滅を意味すべく又同様必然的に日本国本土の完全なる破壊を意味すべし
- 無分別なる打算により日本帝国を滅亡の淵に陥れたる我儘なる軍国主義的助言者により日本国が引続き統御せらるべきか又は理性の経路を日本国が履むべきかを日本国が決意すべき時期は到来せり
- われらの条件は左の如し
われらは右条件より離脱することなかるべし
右に代る条件存在せずわれらは遅延を認むるを得ず
- われらは無責任なる軍国主義が世界より駆逐せらるるに至るまでは平和、安全および正義の新秩序が生じ得ざることを主張するものなるを以て日本国国民を欺瞞しこれをして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者の権力および勢力は永久に除去せられざるべからず
- 右の如き新秩序が建設せられかつ日本国の戦争遂行能力が破砕せられたることの確証あるに至るまでは連合国の指定すべき日本国領域内の諸地点はわれらのここに指示する基本的目的の達成を確保するため占領せらるべし
- カイロ宣言の条項は履行せらるべく又日本国の主権は本州、北海道、九州および四国ならびにわれらの決定する諸小島に局限せらるべし
- 日本国軍隊は完全に武装を解除せられたる後各自の家庭に復帰し平和的かつ生産的の生活を営むの機会を得しめらるべし
- われらは日本人を民族として奴隷化せんとし又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざるもわれらの俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰加えらるべし
日本国政府は日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去すべし
言論、宗教および思想の自由ならびに基本的人権の尊重は確立せらるべし
- 日本国はその経済を支持しかつ公正なる実物賠償の取立を可能ならしむるがごとき産業を維持することを許さるべし
ただし日本国をして戦争のため再軍備をなすことを得しむるがごとき産業はこの限りにあらず
右目的のため原料の入手(その支配とはこれを区別す)を許可さるべし
日本国は将来世界貿易関係への参加を許さるべし
- 前記諸目的が達成せられかつ日本国国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有しかつ責任ある政府が樹立せらるるにおいては連合国の占領軍はただちに日本国より撤収せらるべし
- われらは日本国政府がただちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言しかつ右行動における同政府の誠意につき適当かつ充分なる保障を提供せんことを同政府に対し要求す
右以外の日本国の選択は迅速かつ完全なる壊滅あるのみとす
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脚注
- *ポツダム宣言受諾に関する交渉記録 | 日本国憲法の誕生 (国立国会図書館)
- *JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B02032979100、大東亜戦争関係一件/戦争終結ニ関スル日蘇交渉関係(蘇連ノ対日宣戦ヲ含ム) 第二巻(A-7-0-0-9_55_002)(外務省外交史料館)