ごきげんよう、三隈です。
最上さんはどこにいらっしゃるのかしら?
三隈(みくま)とは、帝国海軍が保有していた重巡洋艦「三隈」をモデルとした、『艦隊これくしょん~艦これ~』に登場するキャラクター(艦娘)である。担当声優は中島愛氏。
黒髪のツインテールで前髪は分けてあり、おでこがよくみえる髪型に、最上同様の小豆色のセーラー服を着用している。基本的な一人称は「私」、時折「くまりんこ」というのはご愛嬌である。自分のことをくまりんこ言う辺りちょっと痛・・・いえ、なんでもないです、はい
これでやっとモガミンに追いつけそう。
元々は重巡洋艦であるが、最上型であることから改造すると航空巡洋艦になり、他の重巡洋艦の艦娘とは違い20.3cm(3号)連装砲を持ってくるためこれを目的とした「牧場」を営む提督も存在する。
しかし三隈より出やすい衣笠に改二が実装され、20.3cm(3号)連装砲を持ってくるようになったことから三隈牧場の存在価値が危ぶまれている。とはいえ、レベル30で3号砲を持ってくる三隈と違い、衣笠改二の必要レベルが55であることから完全に終わったかと言われると微妙ではある。また、衣笠そのものもそれほど頻繁にドロップするわけではなく、どちらも一長一短であると言える。
ドロップによる獲得としては出現箇所が4-3だけで、これのために4-3を回る提督が多かった。後に5-2でもドロップされるようになり、そちらのほうが瑞鶴や夕雲といった他のレア艦娘が引けることや、ステージ自体の難易度の低さから今ではそちらのほうを回る提督も多い。とはいえ、初風掘りと並んで三隈掘りは高レベル提督にとっても骨の折れる作業であると言えよう。
2013年12月24日に実装された大型艦建造では最低値での出現が確認されており、資材集めに余裕があるのであればこちらで狙った方が難度は低いかもしれない。
艦これで三隈は改造すると重巡洋艦から航空巡洋艦になるが、史実では重巡洋艦のまま戦没した。これは「鈴谷」「熊野」姉妹も同様である。
「三隈」は1931年12月24日 三菱造船長崎造船所(現・三菱重工長崎造船所)にて、計画排水量8636トン、水線全長190.5m、60口径15.5cm3連装砲塔5基を備えた二等巡洋艦として起工された。名前は大分県を流れる三隈川に由来する
1934年5月、佐世保鎮守府長官や皇族といったお歴々の見守る中で進水した。余談ではあるが二等巡洋艦とは今で言う「軽巡洋艦」にあたる。艦これで重巡洋艦に分類されるのは15.5cm三連装砲塔を20.3cm連装砲塔に変えたことにより、ロンドン海軍軍縮会議規定の主砲6.1インチより大きく8インチとなり対外的には二等巡洋艦だが実質的には一等巡洋艦となったことが背景とされる。
1942年6月5日のミッドウェー海戦には、第二艦隊所属で姉妹共々出撃。
4空母壊滅後、夜戦を企図した司令部の令により、第七戦隊が進出することとなる。しかし、夜半に作戦中止が決定。最上姉妹は反転し、旗艦「熊野」を先頭に「鈴谷」、「三隈」、「最上」と続く単縦陣で第二艦隊との合流を目指していた。この途中で、戦隊は右舷に敵潜水艦を発見。旗艦「熊野」は信号灯により「左緊急45度一斉回頭」を命令したが回避角度が足りないと判断し「緊急左45度一斉回頭」を命令。この際、後続艦の「鈴谷」が左緊急回頭は1度なのか2度なのかの判断に迷い混乱、その間に「熊野」と衝突コースに入り、「鈴谷」は面舵に転じたことにより、単縦陣形から右方向にはじき出された。
「三隈」は「鈴谷」が右方向に去ったことに気づかず、左に曲がる「熊野」を「鈴谷」と思い込み、衝突の危険を感じてさらに左に舵を切った。「最上」は「鈴谷」の離脱に気づかず、くわえて「熊野」を「三隈」と誤認し、左45度1回、左25度1回に変針したあと、右45度面舵に転じて「熊野」に続行した、これにより28ノットで進む「最上」は「三隈」の左舷中央部に衝突する。この時の被害は「三隈」よりも「最上」のほうが被害が酷く、「最上」は左方向に艦首がつぶれ、「三隈」は艦橋から煙突の下に長さ20m、幅2mの破孔が生じ、左舷燃料タンクの破損、油の尾を引くようになる。
羅針盤の妖精栗田少将は『十一時三十分、右45度に浮上中の敵潜を認め緊急回避中、四番艦最上は其艦首を以て三番艦三隈に衝突、最上前進見込み立たず、三隈支障なし。地点…最上援護中』と連合艦隊旗艦「大和」と報告、「最上」「三隈」にトラック島泊地への退避を命令。後に駆逐艦「荒潮」「朝潮」と合流し、退避行動に入る。
だが、先ほど発見していた敵潜水艦が第七戦隊発見の報告をしており、米軍機動部隊が出動し、米軍艦載機が三隈達に襲い掛かる。
この時、「三隈」は駆逐艦2隻を最上の護衛に残し、単独で味方航空機の勢力圏内に移動を開始。これはウェーク島日本軍基地の航空機行動圏内に引き込んで決戦を挑もうという思惑であり、三隻は「三隈」の思惑を感じ取ったと言われる。
米艦載機はまず「最上」を攻撃。「最上」は後部砲塔に深刻な損害を受け、艦中央部で火災が発生、「最上」が炎上したことで撃沈確実と見て、「三隈」への攻撃を開始する。多数の爆弾を被爆した「三隈」は火災により搭載していた酸素魚雷が誘爆し、それが致命傷となる。
「荒潮」が救助に現れるも、米軍の攻撃の手は休まらず、後部砲塔が爆弾で吹き飛ばされ、海面の生存者は執拗な機銃掃射を受けた。「荒潮」は一端退避するも、遠ざかる「三隈」にはまだ攻撃が加えられていたという。
日没後、「朝潮」が救助活動の為に現れたが、既に「三隈」の姿はなかった。
三隈は太平洋戦争において帝国海軍で最初に損失した重巡洋艦となった。
米軍は大破炎上し廃墟と化した三隈の写真撮影を行っており、この写真を分析、最上型の主砲が換装されていることに気が付いたという。
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最終更新:2025/12/08(月) 09:00
最終更新:2025/12/08(月) 08:00
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