名古屋アベック殺人事件 単語


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ナゴヤアベックサツジンジケン

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名古屋アベック殺人事件とは、1988年2月に発生した強盗殺人事件、少年犯罪事件である。

概要

日本の少年犯罪史において、同時期に起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」と双璧を成すであろう凶悪殺人事件。不良少年グループ6人がアベック(今でいうカップル)2人を暴行・拉致・殺害した事件である。最終的に当時少年だった2人に無期懲役が下された。

犯人グループ

  • 少年K:1968年8月20日生まれ。事件当時19歳6か月。
    山口組系弘道会内暴力団「薗田組」元組員、事件当時はとび職。判決は無期懲役。
  • 少年T:1971年2月5日生まれ。事件当時17歳0か月。
    Kと同じく「薗田組」元組員でとび職。判決は無期懲役。
  • 男a:1968年1月27日生まれ。事件当時20歳1か月。
    「薗田組」組員。判決は懲役13年。
  • 少年b男:1969年4月26日生まれ。事件当時18歳10か月。
    弘道会内暴力団「高山組」組員。判決は懲役13年。
  • 少女c子:1970年7月12日生まれ。事件当時17歳7か月。
    判決は懲役5~10年の不定期刑。
  • 少女d子:1971年1月20日生まれ。事件当時17歳1か月。
    Kと交際・同棲関係。判決は懲役5~10年の不定期刑。

彼らは古くからの知り合いと言う訳ではなく、それぞれの知り合い同士でたまたま集団となっていた。その為、明確なリーダーが存在したわけではないが、犯行の大部分はKが主導した。

ほとんど成り行き任せの犯行であったため、未熟な意地や面子の張り合いで過激な主張をするようになり、誰もそれを止められなかったため、凶悪極まりない惨劇が起こることになった。

バッカン

Kは仲間の不良少年らと、夜間に車中デートをしているアベックに襲い掛かり、暴行のうえ金品を奪い取る行為を度々行っており、これを「バッカン」と呼んでいた。彼らにとってこれは一種の遊び、快楽行為でしかなかった。

1988年2月23日未明、たまたま集まった犯人グループ6人は、Kの提案で「バッカン」を行うことを決める。これが惨劇の幕開けとなった。

金城ふ頭事件

彼らは初め、名古屋港の金城(きんじょう)ふ頭で「バッカン」を行った。手口としてはKの車(こげ茶色の日産・グロリア)と、b男が組から借りていた車(薄茶色のグロリア)でターゲットの車を前後から包囲して、そこを木刀などで襲撃するというものである。

1回目はターゲットに逃げられて失敗するが、2回目の襲撃ではアベックを暴行して現金86000円と腕時計などの物品を強奪した。しかし犯人グループはこれに満足できず、場所を移して再度の「バッカン」を計画する。

大高緑地事件

一行は名古屋市緑区にある「大高緑地公園」の駐車場へと移動し、そこにアベックの乗ったトヨタ・チェイサーが駐車してあるのを発見した。そしてチェイサーの後ろに車を止めて退路を塞ぎ、木刀で襲い掛かった。被害者は慌てて車をバックさせたが、2台のグロリアと衝突した。

被害者男性(当時19歳)と女性(当時20歳)は車から引きずり出され、木刀や鉄パイプ、少女のハイヒールなどで激しく暴行され、チェイサーも破壊された。更に女性は上半身裸にされた上(当時の気温は4度)、T・a・b男により輪姦され、タバコの火を押し付けられるなどの暴行が加えられた。

やがて夜が明けてくると、目撃されるのを恐れた一行は2台のグロリアに男性と女性をそれぞれ乗せて、その場を去った。破壊されたチェイサーはそのまま残された。

拉致、連行

一行はドライブインで朝食をとった。Tが被害者の見張り役となり、残る5人で今後の話し合いがもたれた。話を主導していたのはKとb男で、Kが「男は殺っちゃう、女は売る」「売れなかったら殺す」などと発言した。他3人(a、c子、d子)は本気とは思えず、相槌をうつのみだった。

また、b男は組から借りていた車を破損させてしまったことを心配しており、これは「酔っ払い運転に当て逃げされた」という嘘の言い訳をつくことにした。

こうして、Kが本気なのか分からぬまま、ずるずると事件は進んでいった。

この後、aが「眠い」という理由で別れ、自宅へ帰った。b男は先ほどの車の件で組に連絡する必要が生じたため、彼も離れた。それ以外の4人はホテルで休憩をとることにした。

4人と被害者2人の様子をみてホテルは怪しんだが、警察へ通報はしなかった。しかし不審な動きが目立ったため、Kの車のナンバーをメモしていた。これが後に犯人特定への重大な手掛かりとなった。

b男は組にグロリアを返し、代わりに白のトヨタ・クラウンを借りて再合流しKらと話し合った。しかし別の用事があったため、レストラン「すかいらーく熱田一番店」で合流する約束をして別れた。

2月24日未明、5人はすかいらーくで合流すると、Tが被害者の見張りに残り、4人が入店した。ここでKとb男が話し合って、被害者2人を解放することを決める。しかそれを知らなかったc子が「警察に行くって言ってたよ」と発言したため、あるいは見張り役のTが自分の落ち度で逃げられたと思われたくなかったため、など理由は定かではないが、結局被害者は再び捕まって監禁された。

そして、すかいらーくの駐車場でKは弘道会会長の墓の前で2人を殺害して埋めることを提案し、残る4人も賛同した。後の判決ではここで殺人の共謀が成立したとされている。(そのため、後述するように男性殺害現場にも居合わせなかった男aに関しては、男性殺害の罪には問われなかった)b男は用事があったためここで別れた。

男性殺害

一行は現在の長久手市にある弘道会本家の墓へと移動した。途中、Kの自宅からスコップを持ち出し、凶器のロープを購入している。

被害者男性は正座させられ、その首にロープが巻かれた。命乞いする男性を無視して、KとTが20分間にわたってロープを引っ張りあい、男性は窒息死した。その間、女性はKのグロリアの車中に監禁されていた。男性の遺体はその場に埋めず、グロリアのトランクに積み込まれた。

女性殺害

2月24日日中、Kらはb男と合流して男性殺害を報告する。b男は組の用事があったため再び別れた。男aとは夜に合流する約束をした。

22時過ぎ、aと合流して5人になった一行は死体遺棄場所について話し合った。Kが三重県、伊賀の山中に埋めることを提案して一同は賛同した。

一行は伊賀へと移動、25日未明に女性をパンティ一枚にしたうえで体育すわりの姿勢にして、首にロープを巻き、KとTが両側から30分間引っ張って窒息死させた。そして二人を穴に埋めて証拠隠滅すると、その場を去った。スコップやロープもその後遺棄された。

補足

  • 殺害を決めた時点でいたのはK・T・b男・c子・d子。
  • 男性を殺害したのはKとT。居合わせたのはc子・d子。
  • 女性を殺害したのもKとT。居合わせたのはa・c子・d子。
  • aは男性殺害には関わっていない。
  • b男は殺害を共謀しているが、どちらの殺害現場にもいなかった。

捜査・逮捕

まず金城ふ頭事件で警察が動き出していた。これには目撃者も多く、犯人の車は茶色のグロリアという証言もあった(この時点では特定できず)。

続いて破壊されたチェイサーが通行人に発見された。ここには血の付いたブラジャー、財布、バッグなどが散乱していた。更に車の所有者である女性と、交際相手の男性が行方不明であることが判明した。犯行の類似性などから金城ふ頭と大高緑地の両事件は同一犯とみて捜査本部が置かれる。

そこに先述のホテルから怪しいグロリアに乗った一行が訪れた情報が寄せられ、周辺を徹底的に捜査したところ、(チェイサーとの)衝突跡のあるKのグロリアが発見された。

2月26日、a以外の犯行グループはb男宅で逃亡の支度をしていたが、そこに警察が踏み込み逮捕された。遺体遺棄についても自供したため、遺体が発見された。28日には残るaも逮捕された。

取り調べ・裁判

逮捕後の犯行グループの面々は、自分たちがしたことの重大性がまるで分っていない、全く反省のない態度だった。例えばKは鑑別所の中庭で交際相手のd子を見かけた際、大きな声で呼びかけたりして厳重注意されている。Kの母もKの弁護士も、Kがあまりにもあっけらかんとしていることに驚いている。

裁判開始後もそのような調子で、Kは犯行に至った理由を「格好つけて冗談半分に言った」と述べ、検察官から「冗談半分で人を殺すのか?」と言われて答えに窮している。また、犯人の家族たちも多くが不誠実な対応をとった。

検察は求刑でKに死刑を、Tは死刑とすべきだが少年法の規定のため無期懲役を、aに無期懲役を、残る3人に懲役5~8年の不定期刑(ただしb男は判決時点で成年していれば15年)を求めた。

1989年6月28日、名古屋地裁で判決が言い渡された。Kは死刑、Tは無期懲役、aは懲役17年、b男は懲役13年、c子とd子は懲役5~10年、と厳しい判決が言い渡された。

控訴審

これに対し、Kとaは控訴した。残る4人は控訴せず、刑が確定した。

1996年12月16日、名古屋高裁は一審を破棄し、Kは無期懲役、aは懲役13年とする判決を言い渡した。この判決には大きな反響があった。拘置所のラジオでこのニュースが流れたとき、多くの死刑囚たちが拍手したという(このような行為は懲罰対象)。

その後

被害者遺族は損害賠償を求め、K・c子・d子の家族はこれに応じている(ただしd子の賠償金は滞っている)。一方、T・a・b男の家族は1円たりとも支払っていない。

被害者女性の父はKと個人的に文通している。Kは獄中では非常に模範的な囚人となっており、社会へ復帰したいという気持ちもあるが、世間の目は厳しく、今後釈放されるかは未知数であろう。

対いてaら4人は出所しているが、b男やc子はそれぞれ結婚して子供をもうけている。b男がインタビューに答えた際も、事件のことについては過去の事のような発言をしている(前述のようにb男は賠償金も支払っていない)。

余談

本事件については、ウィキペディアが非常に詳細に書かれているため、もっと詳しく知りたい方はそちらをご覧いただきたい。また、少年事件で死刑ではない事件なので犯人の実名は伏せた(殺人実行犯のKとTはイニシャルとした)。どうしても知りたい方はウィキペディア中国語版を参照されたし(何故か書かれている)。

関連項目

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