この記事では2000年以降の日本囲碁界について記述する。
それ以前の囲碁史はウィキペディアとか見ればいいんじゃないかな?
94年の大竹英雄のTVアジア杯優勝以降、中韓のすさまじい勢いの前に
日本囲碁界の国際棋戦優勝は難しくなってしまう。
その中で98年、99年の依田紀基、2005年の張栩のTVアジア優勝、
2003年の三村智保の準優勝などの明るいニュースもあったが、
結局のところ本格的な日本主催の国際棋戦・富士通杯も
2004年の依田先生の準優勝を最後に韓国の天才棋士陣営(李チャンホ・李世ドル・朴永訓など)や
中国棋士の厚い壁 に阻まれ、それ以降決勝にすら上がる事が許されず、
2004年に棋戦そのものが中止される始末であった
国内棋戦は井山裕太の独壇場と化す。
この年、十段防衛、本因坊奪取、碁聖戦奪取、王座戦・天元戦はストレートで奪取。
無双級の活躍で国内タイトルを獲得しまくる。
その結果、史上初の5冠を達成。
六冠の期待高まる中、名人リーグでは惜しくもプレーオフで羽根直樹に破れる。
結局、名人戦は山下が防衛を決めるが、棋聖戦は挑戦権を獲得。
この年の囲碁界の話題を全てさらう。
ちなみにこの年に結婚。
やはり話題の中心は井山。
新年早々、張栩から棋聖タイトルを奪取。日本囲碁史上初の六冠となる。
7冠(現行主要タイトル全獲得)を期待されるが、結城聡が十段タイトルを奪取。
その後に六冠祝賀会が開催されるという、なんともバツの悪い祝賀会となった。
(結城も挨拶の場で言葉が詰まっただろう)
とはいえその後名人を奪取。
六冠に返り咲き、大三冠も達成。天元・碁聖・王座も防衛し、
来年度の7冠達成が現実味を帯び、期待通り今年度を終了した 。
国際棋戦で活躍する棋士を育てる為、日本ナショナルチーム 『Go碁ジャパン』が組織される。
団長の山城宏9段を初めとし、若手有望棋士を集めてネット碁を中心に活動を開始。
若手選抜棋士と現在のトップ棋士達が対局を重ね、うち数人からはタイトル保持者から一勝を奪うなど成果が出た。
また、日韓ナショナルチーム親善試合なども行われ、精力的に活動する。
その成果か、万年3位どまりのTVアジア杯で井山が優勝。
この中継はNHKで生放送され、
大石の死活、工夫を凝らした布石、早碁ならではの緊張感に日本中の囲碁ファンが注目し、
8年ぶりに日本に国際棋戦優勝の栄冠をもたらした。
この年は国内リーグにも話題が多い。
棋聖戦リーグに趙治勲9段が復帰し、残留。
村川大介七段は名人戦リーグ残留し、さらに棋聖戦Bリーグ1位。
台湾から関西棋院に移籍した余三段は本因坊リーグ入りを果たし、七段昇格。
井山を抜く最年少記録を打ち立てた。
同リーグには更に若手の伊田も進出。
若手・新人の活躍により、囲碁界に新しい波を感じた年であった。
瀬戸さんはニコニコ超会議で遊んでた。
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最終更新:2025/12/09(火) 07:00
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