帝国海軍 単語


ニコニコ動画で大日本帝国海軍の動画を見に行く

ダイニホンテイコクカイグン

2.8千文字の記事
これはリビジョン 880126 の記事です。
内容が古い・もしくは誤っている可能性があります。
最新版をみる

大日本帝國海軍とは、かつて大日本帝國に存在していた海軍、海の軍隊である。

タグで動画検索 → 大日本帝國海軍 or 帝國海軍 or 大日本帝国海軍 or 帝国海軍 
あるいは(旧)日本海軍といえばこの帝国海軍をさす。

概要

島国「大日本帝國」を守る大日本帝國海軍は、現在の海上自衛隊と海上保安庁の前身である。

明治4年(1872年)に「陸海軍省」から「海軍省」として設立され、昭和20年(1945年)に解体されることになる。
創設当時は幕府海軍の残余艦艇及び各藩の艦艇を合わせて創設されており、日清戦争における黄海海戦、日露戦争における日本海海戦など主要な海戦に勝利。また幾度かの海軍拡張計画に基づき艦艇を配備し、太平洋戦争突入前で艦艇385隻。航空機3260機の世界有数の海軍組織となっていた。

ちなみに終戦時における実戦参加可能な艦艇数は駆逐艦30隻・潜水艦54隻という有様で、往年の雄姿からは想像もつかないものとなってしまっていた。
(これ以外の艦艇は空襲などにより損害をうけ実戦参加が難しい状態であった。例えば主力艦艇は戦艦「長門」(中破)、軽巡「酒匂」(小破)。空母は「葛城」「隼鷹」も中破の状態。「鳳翔」は無事だったが小型のため実戦には向かなかった。他の艦艇も同様で大なり小なり損害をうけており、沈まなかったもののその大多数が大破着底というかたちである)

帝国海軍を代表する艦艇としては日露戦争における連合艦隊旗艦であり今も横須賀にある「三笠」。46cmサンチ主砲を搭載した戦艦「大和」「武蔵」の他、海軍休日(ネイバル・ホリディ)の間、ビッグ7とたたえられた「長門」「陸奥」、空母の「赤城」「加賀」などがあげられるだろう。航空戦力としては、零式艦上戦闘機、一式陸上攻撃機などがあげられる。

また、大日本帝国陸軍との仲は派閥争い的意味で良くなかった。
組織防衛としては予算の取り合いなどで致し方ないもあるが、仮想敵国や戦争に対する取り組みの相違。航空機の操作方法などの違いなど、第1次世界大戦から始まった総力戦を理解していたのだろうか。と眉をひそめられてもおかしくないほど対立した面もあり、帝国陸軍が帝国海軍に信をおかず揚陸艦まで作ったりするのはいささか貧弱の国力のリソースを無駄に使用していたのではないかと思われる点が多々指摘されている。
その背景には国家戦略の迷走という点もあり、すべての責任を帝国海軍・帝国陸軍が背負うわけではないにしても問題があったと考えてしかるべきだろう。

日本帝国海軍の功罪(複雑な評価)

日本帝国海軍といえば、士官のモットーとして有名な「スマートで、目先がきいて几帳面、負けじ魂、これぞ船乗り」に代表されるように、帝国陸軍に比べると最後までリベラルさを残す努力をした海軍兵学校の気風や、合理的精神などが横溢していたユーモアを理解する組織であった…とされ、戦後は陸軍に比べると海軍による和平工作や、戦争反対への動きなども含めて高評価を得ている話もある。戦後、海軍系人材の多くが日本の再興に尽力したのも一因なのか、通常「海軍善玉、陸軍悪玉論」がわりと一般に知れた話といえるだろう。

とはいえ、そうも言えないという面も多々ある。

たとえば硬直化した人事制度。卒業席次=ハンモックナンバーに囚われた昇進制度のため、戦時において有効な人材活用が行えたか、といわれるとそうではなかった。例外もあり木村昌福提督のように卒業席次の下位でも能力により抜擢を受けたケースがあるが、海軍中央では受けが悪かったのも事実のようだ。また、兵科による指揮序列問題。下士官による水兵に対する私的制裁制度などは海上自衛隊にも受け継がれている悪しき伝統と言えるだろう。

また、科学技術に対する取り組みも明治時代に比べると劣っていると指摘されても致し方ないだろう。無論国内の産業基盤などもあり致し方ない面はあるが、レーダーに対して当初「闇夜の提灯」扱いしたりした点はちょっと…といわれても致し方ない。他にも過剰なスペック要求で迷走してついぞ定まらなかった零戦の後継機問題なと、陸軍における戦闘機の更新を考えると不手際が目立つ。(海軍にはびこった戦闘機無用論が一因でもあったのだが)

致命的な点は、昭和期の日本帝国海軍はどれだけ海軍の本質を理解していたのか。という点である。
資源を産出しない島国である英国、そして日本のような海洋国家にとっての海軍とは外地から資源を運び、物資を搬出する商船を守るべき第一の存在としなければならない。

第一次世界大戦時、日本帝国海軍が師と仰いだ大英帝国海軍からも、日露戦争時の日本帝国海軍の先達からもその海軍の本質を学んだとは到底言いがたいだろう。自国商船団を守るための組織、海上護衛総司令部が設立されたのは戦争も中盤をすぎた1943年というお粗末さで、あげくに貴重な対戦哨戒機である「東海」を要する部隊を目的外の運用に用いてすり潰させるような体たらくである。

巨大な戦艦も空母もすべては商船団と海上輸送路を守るために存在し、日本海海戦のような「決戦」はその方法のひとつでしかないことを忘れ、理想的なファンタジーである「海上決戦」に傾倒し、日米戦が決まるや皮肉なことにその方法を投げ捨てて空母機動部隊などの集中運用に切り替えた。
そして空母や貴重な搭乗員を失ったあとは、島嶼を結ぶかのような「絶対国防圏」を引き決戦にこだわった。海に前線などなく、侵攻ルートは無数にあるということをまったく理解しておらず、アメリカ海軍に蹂躙される結果となった。
(無論、個々の兵士・将官らはよく現地にて戦ったとはいうものの、海軍軍令部をはじめ指導部の無策・無能・不見識さは目に余る。戦間期の艦隊派・条約派の内部抗争も相当にアレだが)

最後にそのことを示す有名なエピソードを記述して終わりとしたい。

戦争末期。沖縄へ「大和」以下第2艦隊を突入させる水上特攻作戦を行うため、大陸から物資を輸送するための護衛艦艇用の重油を取り上げることを知った海上護衛総隊参謀大井篤に海軍士官は海軍首脳部の訓示を読み上げる。

「……ここに海上特攻隊を編成し、壮烈無比の突入作戦を命じたるは、帝国海軍力をこの一戦に結集し、光輝ある帝国海軍水上部隊の伝統を発揚すると共に、その栄光を後世に伝えんとするに外ならず」
「国を挙げての戦争に、水上部隊の伝統が何だ。水上部隊の栄光が何だ。馬鹿野郎」

帝国海軍は確かに自らの存在を後世に伝え伝説と化することが出来たかもしれない。しかしそのために自らが守るべき国を失わせたこともまた事実だということも忘れてはいけない。

 

関連動画

  

関連商品

帝国海軍に関するニコニコ市場の商品を紹介してください。

関連コミュニティ

帝国海軍に関するニコニコミュニティを紹介してください。

関連項目

  • 大日本帝国陸軍
関連記事

子記事

兄弟記事

  • なし

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
東方Project[単語]

提供: おさゆく大好き

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2025/12/23(火) 06:00

ほめられた記事

最終更新:2025/12/23(火) 05:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP