大瀧詠一とは、ミュージシャン、勉強家、師匠、福生の仙人である。「大滝詠一」名義でも活動している。
尊敬するフィル・スペクターなど、1950年代~60年代のアメリカンポップスに多大な影響を受けた作風で有名。元々がオールディーズ的な作風のため、山下達郎と同様に時代の風化にも耐えうる楽曲作りに定評がある。
現在はほぼミュージシャンとしての活動を休止しており、長年住んでいる東京都福生市で「勉強家」としての活動をしている。山下達郎のラジオ番組で毎年新春対談をするのが恒例となっている。
1948年、岩手県江刺郡梁川村(現:奥州市)生まれ。
1970年、細野晴臣、松本隆、鈴木茂とロックバンド「はっぴいえんど」を結成。日本語ロックのさきがけとして後世に多大なる影響を残す。
1972年にアルバム『大瀧詠一』でソロデビュー。この時に自身の楽曲の音源管理の杜撰さに衝撃を受け、原盤管理のために「ナイアガラ・エンタープライズ」を設立。以降、自身の発表作や関連作はレコード会社に関わらずナイアガラレーベルからリリースすることになる。
1970年代はCMソング作曲、シュガーベイブ(山下達郎・大貫妙子らが在籍)のプロデュース、音頭をフューチャリングした楽曲の発表、膨大な量のアルバムリリースなど様々な活動をするも一般人気が付いてきておらず、一時は同社の経営難によりニッポン放送から資金援助を受け傘下入りをしていた時期もあった。
1981年に『A LONG VACATION』を発表。大ヒットする。
1980年代半ばからミュージシャンとしての活動を実質的に休止。1997年に12年ぶりにシングル『幸せな結末』を、2003年には6年ぶりのシングル『恋するふたり』を発表するも、現在は過去の音源のリマスタリングや再発を中心に行っている。
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最終更新:2025/12/24(水) 05:00
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