「宇喜多秀家」(うきた・ひでいえ 1572 ~ 1655)は、宇喜多直家の子。関が原の戦いで西軍に味方した宇喜多家の大名である。
詳しいことは武将フェチの集まるWikipedia(ウィキペディア)を参照されたし。
最近の戦国武将ゲームにおいて非常に知名度が低いが、豊臣秀吉の五大老の1人で備前岡山57万石の大名。名前は親の直家と秀吉から一字ずつもらって決められたことからわかるように、秀吉とのつながりが深かった。
宇喜多家の家臣団は策謀を得意とした直家が集めた非常に扱いの難しい集団であり、また秀家自身が策謀を得意としなかったために、多くの家臣を失うことになる。それでも関が原の戦いでは東軍の徳川家3万8,000人に次ぐ
1万7,000人を動員し、西軍で最大の戦力を有することとなった。石田三成なんて飾りです。
関が原で敗れた後は八丈島に流され、不自由ながらも穏やかに暮らした。1655年没。享年83。
各所で散見される「泳いで参った!!」ネタの発祥は2ちゃんねるの戦国時代板。
「宇喜多秀家が大阪の陣に参加していたら」「八丈島から泳げって言うのかw」というやり取りの後に投下されたネタ長文に
「宇喜多備前中納言八郎秀家、豊臣家の御危機を聞き、八丈島より 泳 い で 参 っ た !!!」
という一文があり、これにスレ住民が爆笑。コピペとして広がり、
アンサイクロペディにまで書き加えられた結果、現在のように広まった。
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最終更新:2025/12/10(水) 10:00
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