寺原早人(本名:寺原隼人)とは、横浜ベイスターズ所属のプロ野球選手(投手)である。背番号24
2001年の甲子園大会で当時の最速記録154km/hマークするなど大活躍する。
その年のドラフトで中日、巨人、横浜などとの競合の末に福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)が交渉権を獲得、入団する。
ちなみに、抽選に外れた三球団が指名した選手は中日が前田章宏、巨人が真田裕貴、横浜が秦裕二で、後に
前田以外は全員横浜ベイスターズに所属することとなる。
ルーキーで6勝、翌年も7勝と活躍するも、その後2年間勝利を挙げることは出来ず。
2006年にシーズン初登板、初先発で965日ぶりの勝利を挙げ、復活を遂げる。プレーオフでも好投を見せ翌年のブレイクを予感させるが、そのオフに多村仁との交換トレードで横浜ベイスターズに移籍。
2007年は開幕からローテ入りし、5月10日には移籍後初の完投勝利を記録(実は相手のヤクルトは寺原の贔屓球団だったりする)。最終的には規定投球回到達、初の二ケタ勝利など自身最高の成績を残す。
そして、2008年は三浦大輔の出遅れにより開幕投手を務め、先発ローテの一角として定着……のはずが、チーム事情から抑えに転向。しかし、最下位を独走していたこの年のベイスターズでは登板機会そのものがなかなか巡ってこず、いつしか佐々木主浩の現役時代の称号にかけて「ハマのヒ魔人」と呼ばれるようになってしまった。
2009年は前年の抑え転向の影響もあったのか、故障もあって2勝7敗と不本意な結果に終わった。
2010年、気分転換で画数のいいらしい「寺原早人」に登録名を変更した。
実は『ドカベン プロ野球編』の裏表紙を飾ったこともある。
暴投王こと新垣渚とは師弟関係(新垣が兄貴分)で、寺原のトレード移籍で一番ショックを受けたのも新垣である。寺原が移籍した2007年以降新垣は成績が低迷しているが、因果関係は定かではない。
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最終更新:2025/12/10(水) 14:00
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