岡本哲司(おかもと てつじ、1961年3月15日-)とは、和歌山県出身の元プロ野球選手(捕手)である。
| 和歌山南陵高等学校硬式野球部 監督 |
|
|---|---|
| 岡本哲司 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | 日本 |
| 出身地 | 和歌山県有田郡金屋町 |
| 生年月日 | 1961年3月15日 |
| 身長 体重 |
175cm 80kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 捕手 |
| プロ入り | 1984年ドラフト6位 |
| 引退 | 1996年 |
| 経歴 | |
選手歴
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| プロ野球選手テンプレート | |
吉備高校(現:有田中央高校)から神戸製鋼に進み、1984年のドラフト会議で横浜大洋ホエールズに指名される。が、なぜかすぐには入団に至らず、入団したのは1985年のシーズンが終わった11月のことだった。
大洋では若菜嘉晴、市川和正、堀場英孝などの一軍捕手陣に割って入ることはかなわず、4年間で59試合の出場に留まる。1989年に谷繁元信が入団すると競争からはじき出され、オフに二村忠美とのトレードで日本ハムファイターズへ移籍。
しかし日本ハムでも正捕手・田村藤夫や再び同僚となった若菜嘉晴の後塵を拝し、専ら二軍暮らしが続いた。結局実働9年で89試合に出場しただけで、1996年に現役引退。
選手としての実績は乏しかったが、引退後は日本ハムのバッテリーコーチに就任。指導者として実績を積み、白井一幸が一軍に配置転換されたのに伴い2003年から二軍監督に就任。2006年、二軍が最下位に低迷し退任。フロント入りを打診されたが断り、2008年に横浜ベイスターズの二軍ディレクターに就任した。
横浜では2009年、大矢明彦監督のシーズン中の休養もあってか、シーズン最中の6月にフロントから一軍総合コーチに配置転換される。が、チームを浮上させることはかなわず、オフに編成部長としてフロント入り。2011年に再び一軍総合コーチに就任したが、尾花高夫監督の解任とともに1年で退団した。
2013年、信濃グランセローズの監督に就任。
2014年、オリックス・バファローズ二軍監督に就任。2015年シーズン終了をもってオリックスを退団。
2016年には学生野球資格の回復適正認定を受け、故郷の和歌山県の和歌山南陵高等学校が開校したのにあわせて硬式野球部監督に就任。NPBで(一軍・二軍問わず)監督経験のある人物が学生野球を常勤で指導するという珍しい例になった。
2018年の春の県大会終了後、野球部の指揮は総監督の林宣男が執っていて、岡本は退任したという報道もあったが、2019年の大会では変わりなく和歌山南陵高校の監督として報道されており、現在も指揮を執っている模様。
| 通算:9年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 89 | 100 | 95 | 8 | 16 | 2 | 0 | 0 | 5 | 0 | 1 | 1 | 2 | 1 | 13 | 5 | .168 | .192 |
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最終更新:2025/12/06(土) 01:00
最終更新:2025/12/06(土) 01:00
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