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星野仙一とは、わしが育てた。日本の元プロ野球選手、監督である。
1968年の「史上空前の大豊作ドラフト」において、1位指名で中日に入団。1974年には初代最多セーブと沢村賞を受賞、巨人のV10を阻止する20年振りのリーグ制覇に貢献するなど、主戦投手として活躍。通算記録は実働14年で146勝121敗34セーブ。ONを擁し黄金時代を誇った巨人相手に35勝31敗と勝ち越すなど、巨人キラーとして名を馳せた。ちなみに、かの有名な宇野勝のヘディング事件の際の投手は星野である。
引退後はNHKの解説者を務めたのち、87年から中日の監督に就任。容赦なく鉄拳制裁を振るう熱血タイプの指揮官として、88年にはリーグ優勝に導く。なお生え抜き監督で中日をリーグ優勝に導いたのは星野が球団史上唯一。91年に一旦退陣するが95年に復帰。大規模な戦力補強を敢行し99年には再びリーグ優勝へと導く。2001年オフ、山田久志に監督の座を譲り退陣。
中日監督退陣直後、野村克也の辞任した阪神の監督に就任。中日からは右腕的存在の島野育夫ヘッドコーチを引き抜き、阪神でも選手の大リストラと積極的な補強に踏み切る。その結果、2001年まで最下位の常連だった阪神を2003年にはリーグ優勝へと導いた。日本シリーズでダイエーに敗退したのち、岡田彰布に監督を譲り勇退する。
その後はタレント・解説者として活動し、2007年に北京五輪日本代表チームの監督に就任する。しかし金メダルを至上命題として挑んだ五輪では、上位3チーム相手に5戦全敗で4位という大惨敗。開幕前の放言もあって各方面からバッシングを浴びるが、一時は2009年のWBC監督候補の最右翼に挙げられ、そのことでまた批判を浴びた。結局星野は辞退し、WBC監督は原辰徳が務めることになった。
星野JAPANからバトンを引き継いだ原監督率いるWBC日本代表は激戦の末、2連覇を果たした。まあ少なからず星野が監督を務めた北京五輪が下地になったのは間違いない。
現役時代から続く巨人への対抗心からか、戦力補強に非常に積極的である。補強と熱血指導によるチーム再建の手腕には定評がある一方で、監督として挑んだ3度の日本シリーズで全て敗退するなど、短期決戦に弱い監督と評されることも多い。北京五輪での敗退はそれを裏付ける格好になってしまった。
また、与田剛や近藤真一といった若手投手を酷使して潰したとも言われ、後述の「わしが育てた」をもじって「わしが壊した」と言われることも。ちなみに岩瀬仁紀は酷使されても壊れなかった投手である。
中日監督退任直後の阪神監督就任や(阪神では現在もシニアディレクターを務めている)、北京での惨敗にもかかわらずWBC監督に推されたことなどは、球界での政治力の強さを伺わせる。また北京五輪開幕前には「金メダルを手みやげに巨人の監督に就任する」などといった話も囁かれていた。
中日・阪神を強豪チームへ押し上げた名将としてのイメージの一方で、暴力的というイメージや政治力の強さを匂わせる部分が混在するため、何かと毀誉褒貶の激しい監督である。
ネット上では、トークショーでの発言が元の「わしが育てた」ネタが定着している。「わしが育てた」の項も参照。
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最終更新:2025/12/09(火) 04:00
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