柳瀬明宏(やなせ あきひろ)とは、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(投手)。
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1983年7月8日生まれ、広島県廿日市市出身。
如水館高校時代は捕手で、龍谷大学に進んでから投手に転向。関西六大学リーグ新記録となる1試合18奪三振をマークするなど活躍した。同学年で同一リーグの京都産業大学の平野佳寿とはライバル関係だった。2005年の大学・社会人ドラフト6巡目で福岡ソフトバンクホークスに指名され入団。背番号56。
ルーキーイヤーの2006年はシーズン終盤に一軍昇格すると、10試合で防御率0.68という好成績を残し、プレーオフ第1ステージでは2試合連続で勝利投手に。プロ未勝利の投手がポストシーズンで勝利を挙げるという史上初の記録をマークし、文字通り彗星のように現れ一気にヒーローとなった。
前年の活躍から2007年はセットアッパーとしての働きが期待されたが、いまひとつ不安定な投球が続き、44試合で4勝1敗2セーブ9ホールド、防御率3.33とそこそこ程度の数字に収まった。翌2008年は30試合に登板したが炎上が目立ち、防御率5点台に終わる。
2009年は3試合に登板したのみで、右肘を痛め手術。翌年も再び右肘にメスを入れ、一軍登板無しに終わる。オフに戦力外通告を受け、故障から復帰できるまで育成選手として契約することになった。背番号は131に変更。
2011年は育成選手としてリハビリを続け、2012年にようやく実戦復帰。一軍の中継ぎが手薄になったこともあって6月7日に支配下選手として再登録を果たす。背番号は以前の56が既に埋まっていたため54になった。翌日には一軍登録されると、13日の中日ドラゴンズ戦で1点リードの7回表ツーアウト2塁といういきなりピンチの場面で3年振りの一軍復帰登板。谷繁元信に四球を出したものの続く高橋周平を三振に打ち取り、試合後にお立ち台に上がった。その後は森福允彦・岡島秀樹へ繋ぐセットアッパーとして主に起用され、高い奪三振率をマーク。最終的に35試合で0勝1敗15ホールド2セーブ、防御率1.63。奪三振率は12.09と好成績を挙げ、見事に復活を果たした。
140キロ台後半の直球と落差の大きいフォークが武器。新垣渚と顔が似ている。
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最終更新:2025/12/07(日) 04:00
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