柳生十兵衛 単語


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ヤギュウジュウベエ

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柳生十兵衛やぎゅう じゅうべえ(1607 ~ 1650)とは、江戸時代の剣豪である。

十兵衛は通称で本名(=諱)は三厳(~みつよし)。通称として他に三十歳頃まで使用していた“七郎”もあるが十兵衛の方が有名。どれくらい有名かというと、歴史をあまり知らない人間でも剣豪といえば宮本武蔵と柳生十兵衛の名前が出てくるぐらい有名。

史料上の十兵衛

生涯

将軍家剣術指南役として名高い剣豪柳生宗矩の嫡子として生まれる。宗矩は将軍の側近として政治面でも活躍した人物であり、十兵衛も父の後継者として幼い頃より剣術を教え込まれると共に、次期将軍家光の側に小姓として務めていた。
しかし20歳の時に何らかの原因で家光の怒りを買って謹慎を命じられ、その後10年以上もの間、公の場から姿を消すこととなる。

十兵衛は生涯に多くの武術書を書いたとされ、その内いくつかは現代まで残っている。それらによると、謹慎させられていた間は先祖代々の所領である柳生の里に引きこもって剣術三味の日々を送っていたらしい。
しかし赦免までの期間が10年の長きに渡った事や、その割に原因である家光の怒りの理由についての記録が全く無い(幕府や柳生家の記録にも「とある事情で」程度の記述しかない)事もあって、諸国を放浪して山賊退治や武者修行に明け暮れていた等の噂が生まれ、これ等が後に様々な伝説や講談などの創作を産むこととなった。

再出仕が許されてからは書院番を務めながら修業の成果を伝書に書き残し、家光が開催した兵法上覧会で剣術を披露するなど家業の剣術の一層の研鑽に努めていた事が記録されている。

宗矩が死去すると、その遺言によって所領12000石は家光の裁量で弟の宗冬と分け与えられ、十兵衛は先祖代々の本領を含む8300石を受けついで家督を継いだ。しかしそのわずか三年後、柳生の里近くの弓が淵において鷹狩りの最中に急死し44年の生涯を終えた。
遺体は検死が行われたが外傷は無く、死因は不明のまま埋葬された。

性格・人物

「弱冠にして天資甚だ梟雄、早く新陰の術に達し、其の書を術作したまう」
(「玉栄拾遺」)

  • 柳生家の家譜『玉栄拾遺』はその人となりを総括して上記のように評している。『玉栄拾遺』には他に「父君(宗矩)が健在の時の三厳は強勇絶倫で皆畏れて従う風があった」ともあり、その気性の荒さを伝えている。
    一方で「家督を継承して以後は寛容になり、政事にも励み、家風を守り、奴婢にも憐みをかけて終世処罰することもなかった」という記述もあり、当主となってからは幾分丸くなったらしい。
  • 宗矩の親友沢庵は、宗矩に「息子達の身持ちが悪いのはお前の普段の行いが悪いからだ」という意味の文を送っている。宗矩は、十兵衛が家光を怒らせて謹慎を命じられた際には(十兵衛が原因と明言こそされていないが)胃痛で倒れてもおり、その生活態度は父の心労となっていたようだ。
    沢庵は十兵衛に対しても「とにかく酒さえ飲まなければ、何事も上手くいくので、それだけは気をつけるように」という内容の手紙を送っており、役目に差し支えかねないレベルで酒癖が悪かったことが伺える。

剣術

  • 現代に残された十兵衛の功績として一番に挙げられるのは著作『月之抄』の存在である。これは流祖の上泉信綱から石舟斎、宗矩までの各代での技法・心法を客観的に記録した武術書で、戦国末期から江戸初期という剣術の過渡期における同一流派内での技術的な変遷が記された、研究者にとっても貴重な研究材料となっている。
  • 剣術の指導も精力的に行っており、諸藩に召し抱えられた者や一流を為した門人の数は(現代において確認できる範囲では)柳生新陰流の歴史の中でも宗矩に次いで多い。中には地方で他流の師範を務めていた者が「十兵衛が新陰流の術を新たにした」という評判を聞いて弟子入りしている文書も残っており、その剣名は諸国にもしられていたらしい。
    この他にも十兵衛が江戸柳生の技法を改良した(あるいは十兵衛以降はあまり進歩や改良がなかった)とする記述は後世の柳生新陰流の伝書等にいくつかあるが、十兵衛自身は自分の工夫について積極的に書き残していないため、具体的に何をどう変えたかはよくわかっていない。
  • 刀を抜く事が容易に許されなくなった太平の世に合わせ、金属製の杖およびそれを用いた杖術を考案している。寛政期に記された柳生新陰流の伝書によれば、この杖術は秘伝として伝わり印可を得た者の中でも限られた者しか学ぶ事ができなかったとある。その事もあって明治維新後に一度は失伝しているが、後に尾張柳生家の手で復伝され現在も伝承されている。

関連人物

  • 柳生宗矩
    父にして剣の師。政治面でも力を振るった事から、創作では剣一筋だった十兵衛と確執があるように描かれる事も多い。 ただし十兵衛は伝書では父について、祖父から受け継いだ新陰流を更に進化させた等と手放しで絶賛しており、(少なくとも史料の上では)剣に関しては畏敬の念を抱いていたよう。
    宗矩の側が十兵衛をどう思っていたかは記録に乏しいが、廃嫡こそしなかったものの所領を兄弟で分割相続するよう遺言を残しているあたり、流派はともかく家を任せる人物としては最後まで不安を感じていたのかもしれない。
  • 沢庵和尚
    江戸前期を代表する禅僧。父宗矩の親友にして心法の師として柳生新陰流(江戸柳生)に多大なる影響を与えた。十兵衛も沢庵から得ることは大きく、著書『月之抄』には沢庵の教えについて書かれた箇所も多い。
    プライベートでも何かと問題の多い十兵衛を気にかけていたようで、十兵衛に酒癖をたしなめる手紙を送っていたり、宗矩から兵法上の事で叱責を受けた十兵衛が泣きついてきた際には両者の間を取り持ったりもしている。
  • 徳川家光
    3歳年上の主君。剣術の上では兄弟弟子にあたる。柳生家の記録『玉栄拾遺』によると13歳で十兵衛が側に仕えて以来、たいそうなお気に入りであったとあるが、十兵衛が何か気に障る事をしたために謹慎を命じたと記録されている。
    その後正式に赦免されるまで10年以上処分は続くものの、家光と宗矩とで交わした手紙の内容等から、処分が下された1~2年後には既に十兵衛への怒りは解けていたと考える研究者もいる。また宗矩の死後には十兵衛を当主に指名もしており、必ずしも十兵衛を嫌っていた訳ではない様子もある。
  • 秋篠和泉守の娘
    妻。出自と十兵衛との間に二人の娘を儲けた事以外の事は不明。『玉栄拾遺』によれば十兵衛の死後その娘達は弟の宗冬が引き取って養育し、成長した後は旗本に嫁いだとあるが、彼女については記述が無い。
    秋篠和泉守は柳生の里近くに住む豪族であるが、大名家の跡継ぎである十兵衛の嫁としては不自然なくらい家格が低いので結婚には何かしらの事情があったのかもしれない。創作に登場する事は著しくまれ。
  • 木村助九郎
    数多い宗矩の弟子の中でも筆頭に挙げられる人物で徳川忠長や御三家紀州徳川家に仕えた。22歳年少の十兵衛からも教えられる事が多かったようで、門弟共々十兵衛の指導を受けている様子を伝書に書き残している。 一緒に温泉旅行に出かけるくらいに仲が良かったらしい。

伝説・創作の中の十兵衛

  • 創作の世界では、父宗矩の命で諸国を旅し、幕府や柳生家に敵対する武芸者や勢力と戦っている事が非常に多い。その話の原型は古く、本人の死後100年たった宝暦3年に編纂された柳生家の記録『玉栄拾遺』では既に証拠は無いと断りつつも修行のために諸国を廻りつつ山賊退治をしていたという噂話を紹介している。
    一方諸国を旅する目的と隠密が結びつけられるのはだいぶ後になってからと見られ、文書として残る物では最も古いものでも大正時代に作られた立川文庫になる。ただし立川文庫は江戸末期から明治の講談師の口述を元に編纂されたものが多いため、その時期には既に隠密説が生まれていた可能性はある。
  • 江戸時代中期に作られた実録物『荒柳美談』等では、鍵屋の辻の仇討を為したことで知られる剣豪・荒木又衛門の師として扱われている。これは事実とするには色々と不自然な点もあり、現代の創作などではそのまま十兵衛の弟子とされる事は少なく、父である宗矩の弟子と翻案されて登場する事が多い。
    荒木は現代では必ずしもメジャーな剣豪ではないが、江戸時代は三大仇討事件の主人公として絶大なる人気を誇っており、その師匠に設定された事は庶民からの十兵衛の扱いに少なからず寄与したものと思われる。
  • 近代以降で創作世界の十兵衛像に影響を与えた作品としては、1956年に作家の五味康祐が発表した小説『柳生武芸帳』がある。この作品で描かれた徳川および天下太平のために謀略を駆使する柳生宗矩と、その下で隠密や暗殺活動を行う柳生一門、そして一門最高の戦力として敵側の剣豪と戦う十兵衛の描写が後世の創作作品に与えた影響は計り知れないものがある。
    この小説はなんども映像化されており、中でも近衛十四郎(松方弘樹のお父さん)が十兵衛を演じた映画作品はシリーズ化するなど人気を博した。その中で採用された刀の鍔で作った眼帯を装着した十兵衛の姿は、十兵衛に限らず後の隻眼キャラのビジュアルイメージに多大なる影響を与えている(原作の十兵衛は片目ではないが)。
  • 修行中に失明したと伝えられることから後世では眼帯片目の姿で描かれる事が多いが、肖像画では両目とも開いた姿で描かれ、本人や周囲が残した手紙や伝書にも全く言及は無い、というか江戸時代に書かれた読み物などにすらない。ひょっとしたら座頭市のように盲目、あるいは見えるけど弱視だったかもしれない。とはいえ片目眼帯の姿がインパクトがあったのか、後世の作品でも名前をもじって剣豪役のモデルによく使われる。
    (後述の関連項目参照。しかし何故か女性率高し

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補足

「信長の野望」(PC)シリーズにおける柳生宗章の能力一覧。

登場する年代が遅いので目にする機会は少ない。近年、年代・寿命無視のオールスターシナリオ(群雄集結)ができた事で再登場した。

  • 註:DLC
軍事能力 内政能力
戦国群雄伝(S1) 戦闘 政治 魅力 野望
武将風雲録(S1) 戦闘 政治 魅力 野望 教養
覇王伝 采配 戦闘 智謀 政治 野望
天翔記 戦才 192(A) 智才 96(C) 政才 20(C) 魅力 50 野望 92
将星録 戦闘 智謀 政治
烈風伝 采配 戦闘 智謀 政治
嵐世記 采配 智謀 政治 野望
蒼天録 統率 知略 政治
天下創世(註) 統率 81 知略 66 政治 6 教養 61
革新 統率 64 武勇 97 知略 32 政治 12
天道 統率 64 武勇 97 知略 32 政治 12
創造 統率 62 武勇 87 知略 44 政治 15

関連項目

  • 日本史の人物一覧
  • 剣豪
  • 柳生(閃乱カグラ)
  • 百花繚乱 SAMURAI GIRLS(柳生十兵衛
  • 新 鬼武者 DAWN OF DREAMS(柳生十兵衛 茜)
  • ハレンチ学園(十兵衛こと柳生みつ子)
  • 十兵衛ちゃん(二代目柳生十兵衛
  • 柳生九兵衛(銀魂)
以下の作品では本人役で登場
  • YAIBA
  • サムライスピリッツ(但し同姓同名の別人)
  • 修羅の刻
  • 魔界転生
    • 十〜忍法魔界転生〜(上記作コミカライズ)
  • Y十M 〜柳生忍法帖〜柳生忍法帳のコミカライズ

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