森野将彦とは、中日ドラゴンズに所属するドアラの中の人プロ野球選手(内野手・外野手)である。
背番号がコロコロ変わる選手で、2014年は7を付ける。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||
1996年のドラフト2位で東海大相模高校から中日に入団。同期には現楽天の小山伸一郎がいる。
ポスト立浪として期待されながらも長らく一軍半の選手だったが、2005年にレフトとして出場機会を増やし、2006年にはついに立浪からサードの定位置を奪い主に5番、6番打者としてレギュラーに定着。リーグ優勝に貢献した。
2007年は中村紀洋の加入と、荒木や福留の故障離脱によりセカンドや外野での出場が多かった。前半戦は5番、福留の離脱後は3番を打ち、97打点を挙げる勝負強い打撃で日本一の原動力となる。
2008年は和田一浩の加入で今度はセンターに回る。また北京五輪代表にも選ばれた。故障離脱と北京出場により96試合の出場に留まるが、前年を上回る打率.321、19本塁打を挙げた。制度変更によりFA権を取得したが、残留を表明し長期契約を結ぶ。
2009年は中村紀洋の移籍により本職の三塁に戻るが、開幕から打撃不振のうえ失策も非常に多くなってしまった。打撃はシーズン中盤から復調し、23本塁打、109打点(リーグ2位)と持ち味の勝負強さを発揮。一方守備では、過去一軍で三塁を守った8年間で通算15失策だったのが、1年でなんと25失策を冒してしまった。
2010年は選手会長に就任。本塁打、打率は前年を下回ったが、全試合に出場。和田一浩とともに貧打のチームの中で主砲として奮闘、リーグ優勝に貢献し、ベストナインに選出された。
2011年は統一球の影響をモロに受けたのかシーズンを通して大不振に苦しみ、滅多に選手を責めない落合監督からも「森野だよ、森野!」と言われる羽目に。7月こそ月間MVPを獲得したものの、打率.232、10本塁打、45打点とレギュラー定着後最悪の数字に終わった。
2012年はプロ入り初サヨナラホームランを記録。4番を任せられたこともあったが、この年も統一球の影響を受け、まともな数字を残せなかった。
2013年は統一球ではなくなり、打率.286、16本塁打と打棒が復活。オフには背番号を7に変更した。
| 中日 応援歌 |
(2013年終了時点)
| 通算:15年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 1488 | 5437 | 4811 | 623 | 1333 | 151 | 670 | 13 | 50 | 44 | 501 | 31 | 808 | 110 | .277 | .346 |
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/10(水) 14:00
最終更新:2025/12/10(水) 14:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。