ふん、どうも………………ありがと
満潮(みちしお)とは、大日本帝国海軍の朝潮型駆逐艦3番艦「満潮」をモデルにした『艦隊これくしょん~艦これ~』の登場人物(艦娘)である。CVは宮川若菜。
朝潮型駆逐艦の三女。
見た目的には他の朝潮型同様にサスペンダー付きのプリーツスカートの正統派ロリであることが大きな特徴で、セミショートの髪をお団子付きのツインテールにし、襟には朝潮型では満潮だけの特徴である大きな緑のリボンをつけている。
ネームシップでないコモン駆逐艦ということもあってお目にかかる機会も多いと、これだけ聞けばステータス面はともかく見た目からそれなりの人気があってもおかしくなさそうな艦娘である。
ところがどっこい。満潮について提督たちに聞いてみると「満潮?ウザい」などと、まるで北上さまのような反応の方が多く返ってくる。
理由はただ一つ。ものすごく口が悪いからだ。
表題にある加入時セリフで華麗な先制ジャブを決められた提督がそれでも、と秘書艦にしてつついてみると「うるさいわねぇ」「何それ、意味わかんない」「で、何?」などと、どれがセクハラ対応なのかすらよくわからないワンツーを浴びる。ツンデレとかそういうレベルではない。
じゃあ改造や補給をしてやろうかと思うと「ああそうね!私じゃ力不足って事ね!」と鋭いカウンター。まさか改装して文句を言われるとは。
それでも、と部隊に編入して海戦に連れて行けば「うざいのよ!」とやっと矛先を敵に向けてくれる。そしてMVPを取った満潮を祝福しに行くと「つまらない作戦立てないでよね、ふんっ!」っと真っ向から文句を言ってくる。
ここまで来るとほとんどの提督は「ああ、この子曙と同じ枠か」とひきつった笑いを浮かべながら満潮を部隊から外す運びとなるのである。口は災いの元と言うべきか。
しかし、「折角だから」と傷ついた満潮を入渠させようとすると彼女の態度は一変する。
軽傷ならば「こんなの、ドック入りにはまだ早いわ」と少し嫌がる程度だが、中破を超えると「私の修理中に艦隊全滅とか、やめてよね」と突然しおらしくなる。
それと言うのも、詳しい事情は史実に譲るが大戦中に所属していた『第八駆逐隊』の構成艦が彼女の修理中に相次いで戦没してしまったため。満潮は何もできないまま仲間を失いひとりぼっちになってしまったのである。
その後も満潮は一つの部隊に長くとどまることが出来ず、結局あのレイテ海戦のスリガオ海峡で轟沈してしまった。
こうなると「私、何でこんな部隊に配属されたのかしら?」という加入時セリフからして途端に意味が変わってくる。
また、「こんな過去があれば多少は斜に構えたくなるだろう」と満潮を溺愛する提督も決して少なくない。付き合えば付き合うほど魅力が出てくるとの声も多く、ただの口が悪いだけの艦娘ではないのである。
初見で敬遠してしまった提督各位も、この機に一度彼女を可愛がってあげては如何だろうか。
なお、他の目玉アップデートの陰に隠れがちだが2013年10月23日のアップデートで放置セリフが追加され、補給時のセリフも更新された。この新補給セリフは「ふん!どうも。」といつも通りのつんけんした台詞かと思いきや、その後に「…ありがと」と満潮のセリフでは初めて提督に対して感謝の意を表す言葉が付け加えられており、満潮を可愛がっていた提督からは早くも『やっとデレた!』と喜びの声が上がっている。
なお、この新補給台詞はレベル20以上にして改造しないと出ないので注意。初めてのデレは、満潮を改造レベルまで育てた提督へのご褒美と言えるかもしれない。
もっとも放置時セリフの方は「出るんなら出る、出ないんなら出ない!はっきりしなさいよ!…ったく」といつものノリだったが。
2014年10月24日のアップデートで任務『「西村艦隊」を再編成せよ!』『西村艦隊南方海域へ進出せよ!』にて前回の編成任務から外れていた彼女も加わり、ようやく西村艦隊のメンバーとして揃うことになった(未実装艦の「山雲」も2014年12月26日のアップデートで実装され、「西村艦隊」全艦の実装が完了した。)
満潮は1937年10月、大阪の藤永田造船所で朝潮型駆逐艦三番艦として竣工した。
就航後は姉妹艦の朝潮、大潮と共に第二十五駆逐隊を編成。後に妹の荒潮も編入され、名称も第八駆逐隊に改称される部隊である。
満潮は太平洋戦争ではなく日華事変で初陣を迎える。その後は佐世保に帰投。朝潮型に特有の問題である、共振動によるタービン翼破断の是正工事が行われた。
そして太平洋戦争が開戦。第八駆逐隊と名を変えた満潮たちはマレー第一次上陸作戦、リンガエン湾上陸作戦 アンボン、マカッサル攻略の諸作戦に従事した。
1942年2月、連合国艦隊と第八駆逐隊が戦火を交えたバリ島沖海戦にて、満潮は荒潮とともに損傷した輸送船の護衛のためマカッサルへ向かっていた。そしてその途中、連合国艦隊と戦端を開いた僚艦の朝潮、大潮を救助するために荒潮とともにバリ島へ駆けつけることとなる。しかし、ここで満潮と荒潮は米駆逐艦2隻に遭遇。砲撃戦に入った。
相手は旧式の駆逐艦2隻。当初こそ最新鋭の朝潮型2隻の敵ではないかと思われたが、満潮はこの2隻から命中弾を多数受けて航行不能となる。そのまま荒潮に曳航されてマカッサルへ帰投するハメになったが、その途上でもB-17爆撃機から攻撃を受けてしまう。この頃から満潮の心は荒み始めたのかもしれない。
余談だが、この時満潮と交戦、大破させた駆逐艦の1隻は後に日本軍の手にわたって、数奇な運命を歩むスチュワート(DD-224)であった。
マカッサルにて応急修理を受けるも傷は深く、満潮は横須賀海軍工廠で本格的な修理を施されることとなった。
1942年10月に第八駆逐隊に復帰した満潮はガダルカナル島輸送作戦に従事。しかしわずか一ヶ月後の11月13日にはショートランド泊地にて空襲をうけて損傷してしまう。満潮は再び本土へ修理のために帰還することとなってしまった。
そして、これが満潮にとって第八駆逐隊の姉妹たちとの今生の別れとなった。
再び横須賀海軍工廠に入渠した満潮だが、資材不足のために修理は長引き、翌年11月までほぼ1年がかかった。
この間に姉の大潮が1943年2月、マヌス島沖にて米潜水艦アルバコアの攻撃を受けて沈没。更に長姉の朝潮と妹の荒潮が同年3月のビスマルク海海戦で空襲により沈没と、満潮の修理中に満潮を残して姉妹たちは次々と戦没。こうして、第八駆逐隊は満潮が何もできないまま壊滅してしまった。
第八駆逐隊でただ1隻の生き残りになった満潮は第二十四駆逐隊に編入された。そしてトラック方面を中心に輸送作戦や大型艦の護送任務に従事。1944年3月にはパラオから内地に向かう戦艦武蔵の護衛にも当たった。しかし同月末には沈没艦多数で第二十四駆逐隊も解隊。涼風はたったの三ヶ月だけの戦友となった。
再び行き場を失った満潮は朝潮型、陽炎型の混成部隊である第四駆逐隊に編入されて旗艦を務める事となる。6月のマリアナ沖海戦では三航戦の護衛に従事した。
1944年10月25日、満潮はかのレイテ沖海戦に参加。西村提督の第一遊撃部隊第三部隊に所属し、スリガオ海峡への突入を敢行した。しかし米軍の魚雷艇と駆逐艦隊による待ち伏せにより扶桑が爆沈。満潮自身も駆逐艦マグダーマットの雷撃で損傷し、駆逐艦ハッチンスの追撃を受けて爆沈。第四駆逐隊司令高橋大佐を含む230名が戦死した。
満潮は翌年1月10日に除籍されている。
戦後、「みちしお」の名は海上自衛隊の潜水艦が受け継いでおり、現在でも三代目となるおやしお型潜水艦2番艦「SS-564 みちしお」が就航している。
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最終更新:2024/05/03(金) 02:00
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