燭台切光忠(刀剣乱舞)とは、ブラウザゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』のキャラクターである。
CV:佐藤拓也 / イラストレーター:藤未都也
「僕は、燭台切光忠。伊達政宗公が使ってた刀なんだ。
政宗公に対して悪い感情はないけど、名前の由来が、人を斬った時にそばの燭台まで切れたから、ってのはねぇ……。
いくら青銅の燭台とは言え、もうちょっと強そうなものだったらカッコ良かったんだけど」
(刀帳より)
備前長船派の事実上の祖といわれている刀工、光忠の作。
名は、伊達政宗がこの太刀で家臣を斬った際にその勢いで燭台まで斬れたという話が由来。
伊達者で格好の良さにこだわる。
同じく伊達家にあった太鼓鐘貞宗とは「みっちゃん」「貞ちゃん」と呼び合う仲。
(刀剣乱舞絢爛図録)
刀種は太刀。刀派は長船。
右目に眼帯を着けた美青年。左目は炎のような赤と金という特徴的な色をしている。
戦装束は、黒を基調としたタキシード風の洋装に草摺や袖鎧を装備。シンプルながら、上着の裏地には細かい模様が入るなど、洒落た意匠になっている。
内番では黒に赤が差し色のジャージ。黒手袋をはめているが、実は戦装束と内番とでは丈が違っており、こだわりが伺える。
一見するとホスト風、また元の持ち主があの御仁なのでチャラいかと思いきや真逆で、一人称は「僕」、性格も優しく人当たりの良いお兄さんといった感じである。印象の違いに驚いた審神者も多いとか何とか。
「カッコ良さ」にこだわる台詞が多く、主である審神者の格好や振る舞いについても「格好は常に整えておくべきだよ。いつ誰が見ているかわからないからね」「僕がいないからって、適当な服を着てちゃダメだよ?」など、度々言及してくる。
こういった台詞について、声を担当する佐藤拓也氏はニコニコ生放送において『保護者のような目線』とで触れている。なおご本人も、伊達政宗と同じく宮城県の出身という奇妙な縁がある。
イラストレーターの藤未都也氏によると、「ナンバーワンホストのようなイメージ」を指示されてデザインしたとのこと。眼帯は物足りなくて書き足したという。
そのため彼が実際に隻眼かどうかは不明で、二次創作においても多くの解釈に分かれている。またアニメ「刀剣乱舞-花丸-」では料理や入浴でも手袋を外す事はなく、何か意味がありそうな様子。
同じ伊達家にあった太鼓鐘貞宗(刀剣乱舞)を「貞ちゃん」と呼んでおり、本丸で「貞ちゃんはこっちに来てる?太鼓鐘貞宗。通称貞ちゃんだよ」と審神者に尋ねる台詞がある。
これにより、長らく実装が期待されていたが、2016年6月23日に太鼓鐘が実装。実に1年6ヶ月を要した。その太鼓鐘からは「ここには色々刀が居るけど、みっちゃんは居るかい?燭台切光忠、通称みっちゃんだ!」という台詞が聞ける。対になっている台詞も多く、仲は良好な様子。
また、ともに伊達家に伝来した大倶利伽羅(刀剣乱舞)、鶴丸国永(刀剣乱舞)とは旧知の仲。大倶利伽羅からは「光忠」、鶴丸からは「光(みつ)坊」と呼ばれている。
へし切長谷部(刀剣乱舞)とは、手討ち&器物破損が命名の由来という共通点からか、気が合いそうだと述べている。一方で、彼は前の主を嫌っているから話が合わないか、とも言っている。
二次創作ではおかんキャラ、主夫ポジションを築いている。
これは審神者への気遣いのほか、畑当番終了時のセリフが主婦っぽいからと言われている。事実、某イラストサイトではエプロン姿の彼が散見される。これは伊達政宗が自ら台所に立ち、料理を振る舞うほどの料理好きという影響もあるかと思われる。
そんなイメージもあってか、舞台『刀剣乱舞』では、光忠が公演ごとに日替わりで「茶請け」を仲間に出すシーンがある。「おはぎ」「ずんだ」といった所から「鯨の姿煮」と首を傾げたくなるものもあり、即興ゆえのハプニングが続出。パンフレットによると、劇中のメニューは三日月宗近のリクエストらしい。なお、「茶請け」シーンはほぼ全てがDVDに収録されている。
2016年5月17日のアップデートにて、伊達家の刀剣との間に「内番・畑当番」で特殊会話が実装。最近では有機野菜に凝っているらしく、様々なリアクションで返されている。
また、同日より実装された7面「延享の記憶」は、江戸時代中期に細川家と伊達家がある事件に巻き込まれたのを舞台にしており、両家ゆかりの刀剣による回想イベント『九曜と竹雀のえにし』シリーズが開始。
(ネタバレ)歌仙兼定(刀剣乱舞)と大倶利伽羅(刀剣乱舞)の間で一悶着起きてしまい、小夜左文字(刀剣乱舞)と協力して「仲直り」させようと決意。「この体で一番良いのは料理を作れること、次に頭を撫でてあげられること」と小夜に語った。鶴丸や太鼓鐘の協力もあって食材を集めて料理を振舞う一方、復讐に生きる小夜に対して「斬るだけが刃物じゃない」と告げ、「復讐がダメだとは言わないさ」と言いつつ、いつかは心から笑えるよう願う姿が描かれた。
鎌倉時代の刀工・光忠作の太刀。
光忠は長船(おさふね)派と呼ばれる刀工集団の実質的な祖とされ、長船派は備前国を拠点としたことから「備前長船」とも呼ばれる。
鶯丸や大包平などの古備前の流れを受けており、華麗な刃紋が特徴。その為人気が高く、分けても織田信長は光忠の愛好家だった事で知られている。
著名作にはその信長が愛刀とし、本能寺で焼失した「実休光忠」、生駒家に伝来した後に細川家に渡った国宝「生駒光忠」が存在し、その他にも多くの作が国宝・重要文化財指定を受けている。
来歴には諸説あり、信長が集めていた光忠の一振だったともされているが、一次資料の出典は不明。
伊達家伝来の資料によると、慶長元年(1596年)に伊達政宗が豊臣秀吉に御座船を献上した折、秀吉から光忠を拝領したとある。
なおこれには後日談があり、翌日さっそく光忠を差して伏見城の普請場に現れた政宗を見た秀吉が「昨日政宗めにあの刀を取られた!取り返して来い!」と叫び、小姓達に追いかけられた政宗が大笑いしながら逃げるのを「盗人だが許してやろう、さあ早く参れ」と呼び戻す珍事があったと伝えられる。いい年こいて何やってんですかアンタら。
号の由来は、政宗の手に渡った後の話。自分つきの小姓の不行跡を咎めて手討ちにした折、その場にあった青銅の燭台(鉄の燭台とも)まで真っ二つにした事から。
その後伊達家に伝来したが、水戸徳川家の徳川頼房がこれを所望した為、水戸徳川家に渡った。渡った経緯についても様々な説が伝わっており「頼房が『光忠を嫁(婿)に迎えたい』と言った所、政宗が笑ってそのまま進上した」「頼房がかなり強引な手段で持ち逃げした」など細部が異なっている。また、頼房ではなく徳川光圀だったという異説もある。
その後は水戸徳川家で大切に保管されていたが、大正12年の関東大震災で羅災、焼失した。
この時水戸徳川家では燭台切以外にも168振もの刀剣が焼けており、刀剣に関しては最大の被害であったという。管理者が蔵を開けた所、バックドラフト現象によって一気に炎が広がって蒸し焼きになった事、管理者がその時に亡くなっている事が判明している。
長らく現存していないとされていたが、2015年、徳川ミュージアムへの問い合わせがきっかけとなり、焼身の状態で保管されている事が判明。『刀剣乱舞』サービス開始後のビッグニュースとして話題となった。蔵内での保管場所の記録と照合させた事で、その他にも焼失した刀ともども現存が確認されたとのこと。
同年5月17日に限定公開後、7月11日~9月23日に徳川ミュージアムにて一般公開。また、10月10日~12月13日に、羽田空港ディスカバリーミュージアムでも展示。従来焼身の刀は美術品として価値が低いとされており、展示されるのは極めて異例だった。その後、寄せられた寄付金を元に、同年8月から被災した刀の調査を開始。
2016年の「水戸の梅まつり」においては、ゲームとのコラボレーションで立ち絵パネルの展示やポストカードが配布。また同時に焼身となった児手柏(このてがしわ)と共に写しの製作を行う「刀剣プロジェクト」が発表された。燭台切の写しの製作を行うのは長野県無形文化財保持者の刀匠、宮入法廣氏。
これに合わせ、梅まつりにおいて発売された「百年梅酒」の燭台切光忠ラベルが即日完売。売り上げの一部が寄付として寄せられたほか、イベント終了後には通信販売も行われた。
2017年の「水戸の梅まつり」において、更に規模を拡大したコラボレーションが実現。2月18日~3月26日、アニメ「刀剣乱舞-花丸-」とのコラボイベント「花丸遊印録」においてスタンプラリーやオリジナル駅弁、記念グッズの販売が実施。
期間中はスタンプラリーの駅において、佐藤拓也氏による特別案内が放送される。
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最終更新:2025/12/08(月) 22:00
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