皆川睦雄(1935年7月3日~2005年2月6日)とは、元南海ホークスに所属していたプロ野球選手であり、「最後の30勝投手」である。
76年から77年では阪神、86年から88年には巨人、91年から92年には近鉄で投手コーチを務めていた。
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高校時代、3年生時は県大会の決勝で敗れるなどいつも惜しいところまで勝ち抜くものの甲子園に出場することは叶わなかった。
高校卒業当初は大学に進学する予定だったが、南海などからスカウトが来たことや家庭が貧乏だったこともあり南海ホークスに入団することになる。
プロ入り一年目から登板機会を与えられるものの体力不足もあり結果が残せず、また南海の選手は関西出身者が多かったため山形弁が強い皆川は馬鹿にされぬよう周囲と関わりを減らすために黙々と遅くまでグラウンドで練習を重ねる日々を送っていた。
そんな姿勢が監督の鶴岡一人に評価され、三年目の1956年はシーズン初めに一軍に昇格し、いきなり11勝を挙げる活躍をみせ、さらにコーチの勧めでフォームをサイドスロー気味のアンダースローに変更し新たにシンカーを習得する。
このフォーム改造が功を奏し、57年は18勝、58年は17勝と安定した成績を残すようになり、59年は10勝に終わったものの同僚の杉浦忠や野村克也の活躍もありチームは優勝・日本一となる。
61年には16勝を挙げリーグ優勝に貢献、62年は19勝を挙げて最高勝率に輝く活躍を見せる。
64年から66年まではそれぞれ7勝、14勝、18勝の成績で優勝に貢献し66年は二度目の最高勝率を記録する。
そして67年のオフシーズン、皆川は以前から左の打者を苦手としており、当時パリーグの代表的な打者である張本勲や榎本喜八にカモにされていたため(バッテリーを組んでいた野村克也によれば左の強打者を相手にするときはいつも打ち損じてくれと祈りながらミットを構えていた)そのための対策を野村克也と考えた結果、左打者の胸元に食い込む変化の小さなスライダー(いわゆるカットボール)を習得する。
翌68年のオープン戦、カットボールの試投に選んだ相手はなんと王貞治、言うまでもなく球界最高の左打者である。
そして皆川はカウント0-1から王の胸元にカットボールを投げ込むと、王のバットは「グシャッ」という音と共に詰まらされ、高いフライを打ち上げた。
球界最高の打者を見事に打ち取った事は大きな自信を植え付け、皆川はこの年カットボールを武器に投げまくり惜しくも優勝は逃したものの352と1/3回を投げ、31勝10敗、防御率1.61という自己最高成績で初めての最多勝と最優秀防御率を獲得した。
これ以降プロ野球において30勝を達成した選手はいないため「最後の30勝投手」と呼ばれることになる。
しかしそれまで350どころか300回も投げたことが無かったためこの年の投げ過ぎがまずかったのか、それとも翌年のオープン戦で右手人差し指を骨折したことが影響したせいか、翌年以降は二桁勝利を挙げることが出来ず71年に引退する。
通算成績は221勝139敗、1638奪三振、防御率2.42。
221勝はホークスの球団最多勝利記録でもある。
引退後は阪神、巨人、近鉄で投手コーチを務めた後、朝日放送の解説者として長きにわたって活動した。
2005年、敗血症にため69歳で死去、葬儀では南海の先輩であった岡本伊三美が弔辞を読み、同じく同僚でバッテリーを組みカットボールを開発した野村克也など多くの球界関係者が出席した。
2011年に野球殿堂入り、授賞式には代理で夫人と野村克也が出席し野村は上記のカットボール習得秘話を夫人に披露し、今は亡き皆川を思ったのか涙を流していた。
南海では同期入団の野村克也と非常に仲が良く、部屋も同じだったために試合後は二人でその日の試合での配球などについて語り合った他、上述のカットボールも野村と共に考え練習した結果習得したものである。
皆川の引退時も皆川自身が「ここまで勝てたのは野村のおかげ」と語るほど信頼関係は強かった。
主な球種はストレートのほかにカーブ・シュート・シンカーと上述のカットボールがあり、プロ入り時点では切れ味鋭いシュートを武器にしていたがフォームを改造してからはシンカーを決め球にしており、当時最強の右打者だった中西太は皆川のシンカーを打つことが出来ず「腱鞘炎になったのは皆川のシンカーに豪快な空振りを繰り返したから」と冗談半分に語っていた。
以外にもバッティングも得意で通算12本塁打を記録しているほか、梶本隆夫が9連続奪三振の日本記録を作った際に10人目の打者として対戦したのが皆川でセンターフライを放ち10連続は阻止したという逸話もある。
杉浦忠、ジョー・スタンカなどのエースピッチャーの影でリリーフ中心の二番手投手として長く活躍したためあまり脚光を浴びることはなかったが「細く長く」南海ホークスを支え続けた名投手の一人であることは間違いなく、通算221勝という記録が今もそれを物語っている。
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最終更新:2025/12/08(月) 11:00
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