ガチャ・・・ カタカタカタッ・・・ ガシャン!
カタカタッ ガガガッ・・・ カチッ ガチャン! ドシャ・・・
「・・・ああ、こんなニコニコ大百科の場末で、何してんだい?編集者さん?」
「ログイン中のところすまないね・・・ 今、記事を新規に制作中でね・・・ ニコニコ大百科に記事を作っているんだ」
「こんな内容しかない記事を、かい?」 「仕事だから、な・・・」
「・・・」
「・・・ああ、その、なんだ・・・」 「なにか?」
「いや・・・その、参考までに聞きたいんだが、ちょっとした個人的な好奇心なんだが、
納得のいく記事が作れなかったらどうするつもりだい?いや・・・それよりも作り上げられたとしても、
この記事を誰も見に来なかったとしたら? あんたはどう思って・・・ そんな苦労をしょいこんでいるんだ?」
「・・・そうだな、わたしは『?の表示が百になること』だけを求めてはいない。
『結果』だけを求めていると、人は立て逃げやコピペをしたがるものだ・・・・・・
近道した時、真実を見失うかもしれない。 やる気も次第に失せていく。
大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。向かおうとする意志さえあれば、
たとえ今回は不十分な出来でしかなかったとしても、いつかはこの記事も
本当の完成へと辿り着けるだろう? 真実へ向かっているわけだからな・・・ 違うかい?」
真実に向かおうとする意志とは、漫画「ジョジョの奇妙な冒険」に登場した台詞である。
ジョジョの奇妙な冒険・第5部「黄金の風」で登場する台詞にして、「吐き気を催す邪悪」などと並ぶ同ストーリーのメインテーマの1つ。「真実へ向かう意志」「真実に向かう意志」などと表記される事もあるが、指し示す内容は全て一緒である。
登場人物の1人・アバッキオのかつての同僚警官が発した台詞として有名。もっとも、この言葉についてを説明するにはまず、アバッキオの生い立ちを説明するところから始める必要があると思われるので先にこちらについて記載する。「レオーネ・アバッキオ」の記事も参照願う。
子供の頃から正義感に溢れていた彼は、高校を卒業後は純粋たる正義感から警察官になるのだが、職務をこなしていくうちに「命がけで悪人を捕まえても、社会はカネさえ積まれればその悪党を寛大にも釈放してしまう」といった社会の矛盾に気づきはじめ、やがてその考えは「自分が悪党を捕まえても、どうせ社会に対して保釈金を支払って出てくるだけだ。ではそれを支払うのが『オレ』か、それとも『裁判所と弁護士』にか」という考えへと変わっていくようになり、自らも賄賂をもらう事で悪事を働く犯罪者を見逃すようになってしまう。
しかしある晩、老人の家に強盗が入ったという知らせを受け先輩の警官と共に駆けつけたアバッキオはそこでかつて自分が賄賂を受け取った犯罪者と再会、「自分を逮捕すれば、アンタが賄賂を受け取っていた事も明るみになるぞ」と諭されアバッキオが怯んだ隙を狙い犯人は隠し持っていた銃を発砲、同時に分かれて行動していた先輩警官が「何してるアバッキオッ!そいつ銃を持っているッ!」とアバッキオを庇い撃たれて殉職してしまう。
この一件でアバッキオの未来は閉ざされ、汚職警官として罰を受けだけではなくそれが原因となって同僚を死なせてしまった事で一生外す事のできない十字架を背負い、身も心も暗黒へと堕ちていくのだった。
やがてブチャラティ達と出会いギャングの世界に身を置く事になるが、その後組織を裏切ったブチャラティと共に「過去のあらゆる足跡を消してきている」組織のボスの正体を暴くために行動。トリッシュの記憶に従いサルディニア島までやってくると彼のスタンド能力「ムーディー・ブルース」でボスの過去の姿を再現できるあと一歩のところでボスの手にかけられ力尽きてしまう。
だがその次の回では、心臓を貫かれ絶命したはずのアバッキオがケガも完治した状態でどこかのカフェテラスで1人、食事をとっている。そこに警察官が、近くで発生した殺人事件の証拠品を探すために犯人の指紋が付いているとされる粉々のガラス瓶の破片を探しにやってくるところから、このエピソードが始まるのである。
- (ビン捨て場のガラスくずを眺めながら)「そんな中から、探す気かい?」
- 「仕事だから、な・・・」
- 「・・・ああ、その、何だ・・・」
- 「何か?」
- 「いや・・・その、参考までに聞きたいんだが、ちょっとした好奇心なんだが、もし見つからなかったらどうするつもりだい? いや・・・それよりも見つけたとしても、犯人がずる賢い弁護士とかつけて無罪になったとしたら。あんたはどう思って・・・そんな苦労を背負い込んでいるんだ?」
- 「そうだな・・・ わたしは『結果』だけを求めてはいない。『結果』だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ・・・近道した時『真実』を見失うかもしれない。やる気も次第に失せていく。
大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。向かおうとする意志さえあれば、たとえ今回は犯人が逃げたとしても、いつかはたどり着くだろう?真実へ向かっているわけだからな・・・違うかい?」- 「・・・羨ましいな。以前オレは・・・警官になりたいと思っていた・・・子供の頃から・・・ずっと立派な警官に・・・なりたかったんだ・・・。かつてあんたのような“意志”を抱いていた事もあった・・・でもだめにしちまった・・・オレって人間はな・・・くだらない男さ、何だって途中で終わっちまう。いつだって途中でだめになっちまう・・・」
- 「そんな事はないよ・・・アバッキオ」
- 「え?・・・」
- 「お前は立派にやってるじゃあないか・・・“意志”は同じだ・・・お前が警官になったばかりの時抱いていたその“意志”は・・・今・・・お前のその心の中に再び戻っているのだよ・・・アバッキオ」
- 「なんでオレの名を・・・知っているんだ? ・・・そういや・・・あんた・・・前にどこかで会った事が・・・ある」
- 「・・・・・・」
- (何かを思い出しながら)「もう行かなくては・・・オレは仲間の所に戻らなくては・・・!!」
- 「忘れたのかアバッキオ!?お前はあれに乗ってここに来たのだ。 ここは終点なんだ・・・もう戻る事はできない」
- 「あ・・・あんたは・・・!!そうだ!!あんたはッ!! あんたはオレがワイロを受け取ったせいで撃たれて殉職した・・・!!」
- 「アバッキオ・・・ お前は立派にやったのだよ・・・そう・・・わたしが誇りに思うくらい立派にね・・・」
その後ストーリーの舞台が現実世界の、アバッキオの死体を見下ろすジョルノ達へと移っていく。即ち、上記のエピソードはアバッキオの死後の世界でのやり取りだったのだ。
しかしアバッキオは死の直前にボスの素顔のリプレイをすんでのところで完了しており、それを残された仲間達に託すことができた。そしてそれが元となってブチャラティ達はボスの素性を追うために行動を開始する。そしてアバッキオの行動と意志はその後、ブチャラティや彼らの協力者として合流したポルナレフと共にジョルノへと託され、ディアボロ(組織のボス)との最終決戦におけるキーワードとなった。
現実世界においても、学校しかり職場しかりニコニコ動画しかり「他人と比較される」「成功を急かされる」「結果を要求される」「それによって近道を進む事を強いられる」日常生活の中で、このメッセージにはアバッキオだけではなく、数多くの読者・ジョジョファンの魂が救われたはずではなかろうか。 涙無しには読めないエピソードだけに、「ジョジョの奇妙な冒険」全編を通しても屈指の名シーンであるとの声も名高い。
人生に息苦しさや焦りなどを感じてきたら、またこのエピソードを読み返してみよう。
生き残るのは・・・ この世の「真実」だけだ・・・ 真実から出た『誠の行動』は、決して滅びはしない・・・
ブチャラティは死んだ・・・ アバッキオも、ナランチャも・・・
しかし彼らの行動や意志は、滅んではいない・・・ 彼らがこの「矢」をぼくに手渡してくれたんだ・・・そしてお前の行動が真実から出たものなのか・・・・・・
それともうわっ面だけの邪悪から出たものなのか? それはこれからわかる。あんたははたして『滅びずに』いられるのかな? ボス・・・
「目先にぶら下げられた結論や偽りのゴールに飛びつく事なく、真実を探求する」というテーマはジョジョの奇妙な冒険に限らずミステリーやサスペンス、探偵(刑事)等を題材とした多くの作品で用いられているものである。
以下に、幾つかを紹介。
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最終更新:2025/12/09(火) 07:00
最終更新:2025/12/09(火) 07:00
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