真言宗とは、日本における仏教の一宗派。宗祖は弘法大師空海。
天台宗とともにいわゆる密教に属する宗派である。分派が非常に多く、世界遺産となった和歌山県の高野山の他にも各派で本山が存在する。
平安時代の僧・空海が延暦23(807)年の遣唐使により入唐した際、青龍寺で密教を修していた恵果阿闍梨より教えを受け、帰国後に弘仁7(816)年に道場として高野山の金剛峯寺を開創。7年後には天皇から下賜された東寺を本山とした。真言宗の総本山は高野山のイメージが強いが、当初は高野山の方が末寺扱いであった。
しかし空海の入寂(死去)後、しばらくして東寺と高野山の間で本山・末寺争いが起こり、さらには政治不安の影響をもろに食らって高野山が物理的にも精神的にも荒れ果て、宗派の存亡の危機に瀕する。これを憂えた高僧・興教大師覚鑁(こうぎょうだいしかくばん)は教団の立て直しを図り、内輪もめの原因となった東寺と高野山の切り離しを行おうとしたものの失敗。下山して根来寺に入り、自己の理想とする真言教学を確立して行った。この覚鑁による派を「新義真言宗」、対して従来の派を「古義真言宗」と呼ぶ。
のち、戦国時代の戦乱の中で根来寺が豊臣秀吉によって焼き討ちにされたため、新義真言宗の僧侶は奈良の長谷寺と京都の智積院に逃れ、豊山派(ぶざんは)と智山派(ちざんは)の元となった。
江戸時代以前は新義・古義の違いがあるのみであったが、明治に入って政府の宗教政策によって分派・統合が相次ぎ、以前本山と末寺を争った東寺と高野山も互いに派として独立(真言宗東寺派と高野山真言宗)。この他有力な寺院がそれぞれ本山となって派を形成し、現在では多くの派が存在している。
大日如来を本尊とする。名前の通り、太陽の如くあまねく宇宙を照らす真理の象徴とされる。
根本経典は『大日経』『金剛頂経』など。『大日経』は密教の儀式作法など修行の実践法を説くのに対し、『金剛頂経』は密教の理論面を説く。前者を「事相」、後者を「教相」と呼び、この両者を学ばなければ真に修行したことにはならない。また、『大日経』に定義される世界観を「胎蔵界」、『金剛頂経』に定義される世界観を「金剛界」と呼んで区別する(曼荼羅もこの両界のものが一対で作られる)。
密教の根本的な思想である「仏の教えは極めて奥深く簡単には理解出来ない」とする考え方を強く受け継いでおり、サンスクリットを音写した呪文というべき「真言」や梵字を尊ぶ。また印(如来や菩薩の性格を両手で示すゼスチュア)を結んだり、独特の仏具を用いて神秘性の高い法会を執り行ったりもする。
目標は即身成仏、すなわち現世にあって仏となることである。なお地下や穴にこもって断食する即身仏とは全く別なので注意。
また宗祖である弘法大師空海への信仰が篤く、「大師宝号」の名で「南無大師遍照金剛」と弘法大師そのものに帰依する名号が勤行では必ず読まれる。
根本経典は上記の『大日経』『金剛頂経』が中心であるが、これらは僧侶が修行をするための経典であり、いわゆる読経のための経典ではない。
読経でよく使われる経典は有名な『般若心経』である。この他豊山派など新義の派では『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品、いわゆる『観音経』の偈が読まれることがある。
法事や葬儀など僧侶が関わる場合、根本経典の一つである『般若理趣経』が読まれる。性的な譬喩が含まれるため色眼鏡で見られがちであるが、実際には人間の持つ「欲」を昇華させ悟りへ向かう向上心とすることを説く経典である。ただし弘法大師がこの経典を勘違いされると危険と悟って限られた弟子にしか教えなかったことや、過去に性的譬喩をまともに受け取った宗派「立川流」が邪淫の教として弾圧されたことがあったため、関係者はこの経典に対し神経質になっているむきがあり、在家信者に読むな学ぶなと主張する僧侶も少なくない。
この他、経典とは少し性質が異なるが各種真言や陀羅尼がある。特に本尊・大日如来を讃える「光明真言」(おん・あぼきゃ・べいろしゃのう・まかぼだら・まに・はんどま・じんばら・はらばりたや・うん)は非常に尊ばれる。ちなみに真言や陀羅尼は仮名書きが基本である(声明・讃の場合は漢字が当てられることもある)。
密教である真言宗は天台宗とともに、日本の民間信仰である山岳宗教と習合して修験道と深い関わりを持っている。
ただし修験道全体が真言宗の影響下にあるわけでなく、真言宗の世界観を取り入れながら、浄土宗系の思想である浄土思想が一緒に取り入れられるなどごちゃ混ぜ状態というのが実情である。
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最終更新:2025/12/10(水) 13:00
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