石川修司とは、ユニオンプロレス所属のプロレスラーである。
2003年にDDTプロレスリングに入団し、同年6月にデビュー。(同期にはマサ高梨、柿本大地)
公称195cmの長身から大きな期待を集めたが、優しすぎる性格が災いしてか期待されたほどの戦績を残せないまま、2005年にはポイズン澤田が再旗揚げしたユニオンプロレスに移籍する。
様々なスタイルのプロレスが混在するユニオンの中で石川も徐々に成長していくが、肝心のユニオンプロレスが赤字続きで高木三四郎社長は団体の解散を検討し、ファンからは「ユニオンはDDTのリストラ部屋。」などといわれるようになってします。
しかし石川と木高イサミの強烈なシングルマッチに心を打たれた高木社長はユニオンプロレスの存続を決定。ここまでユニオンの代表を務めていた武井匡氏の勇退を期に、創設者のポイズン澤田はDDTプロレスリング本隊に復帰。2007年にはナオミ・スーザン代表による、石川修司がエースとして君臨する新生ユニオンプロレスがスタートした。
その後の石川修司はユニオンプロレスにおける絶対的エースとして君臨。2007年には6月にはハワイの戦いの神「Koo」のギミックで初のKO-D無差別級王者に輝く。また、2009年9月には飯伏幸太から「石川修司」として初のKO-D無差別級王者に輝く。その後2010年2月に関本大介に敗れるものの、2011年5月にはディック東郷から再びKO-D無差別級のベルトを奪い、そのまま同年7月のDDT最大のビッグマッチである両国国技館大会でメインを勤めた。また、2012年のDDT日本武道館大会では大日本プロレスの伊東竜二と組み、真壁刀義(新日本プロレス)・HARASHIMA組と戦うことが発表されている。
また、DDT・ユニオン以外では大日本プロレスに定期的に参戦し、外敵として大日本のリングを盛り上げている。2012年5月には大日本のBJWタッグ王者のベルトを入江茂弘とともに巻いている。
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最終更新:2025/12/10(水) 09:00
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