稗貫広忠(ひえぬき・ひろただ 1540~1594)とは、陸奥国の大名である。
別名・重綱、家法。
和賀義勝の子。稗貫輝時に子がいなかったため、養子となり跡を継ぐ。
弱体化していた稗貫家と実家・和賀家の統制に尽力し、ある程度安定した治世を行う。
1590年、小田原征伐の時に豊臣秀吉の参陣要請に応じずに戦後改易された。
小田原に赴くことで反乱が発生することを恐れたためともいう。
のちに弟・和賀義忠とともに一揆を起こしたが、奥州征伐軍に敗れて逃走した。
一般的にこの一揆は『和賀・稗貫一揆』とも呼ばれ広忠は無事に行方をくらませることに成功したが、義忠は逃走中に土民に捕まり殺害された。
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最終更新:2025/12/22(月) 06:00
最終更新:2025/12/22(月) 05:00
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