稲葉篤紀とは、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手である。
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中京高校(現 中京大中京高校)から法政大学を経て、1995年にドラフト3位でヤクルトに入団。アマチュア時代はあまり注目される選手ではなかったが、たまたま息子の試合を見にきた野村克也が稲葉に目を留めたことでヤクルトに指名されたという経緯がある。在学当時は内野手(主に一塁手)を守っていたが、プロ入り後は外野手に転向した。
プロ初打席でホームラン、入団二年目で打率3割達成など、非常に華々しいプロスタートを切ったがそれ以降は怪我にも悩まされ打撃不振に陥った。しかし2001年は3割20本塁打90打点を記録しベストナインを獲得。チームの優勝にも貢献し復活の兆しを見せたが、以降は再び怪我などにより打撃不振に。2004年シーズンオフ、MLB移籍を希望しFA宣言するもメジャー球団からのオファーがなく海外移籍を断念。新天地を求め翌年2月にオファーのあった日本ハムへ移籍した。
移籍(2005)年こそ.271とあまり良い成績ではなかったが、翌年新たに打撃コーチに就任した淡口憲治氏と共に打撃改造に取り組んだ結果、2006年は自己最多の26本塁打を記録(打率も3割越え)し、日本ハム優勝-日本一に貢献。更に2007年には自身初となる首位打者(.334)タイトルを獲得、2008年も3割20本を達成し強打者としての地位を確立。北京五輪・2009WBC日本代表にも選出された。2009年は36歳にして自身初となる3打席連続HRを記録。
2011年以降は故障もあって、登録上は外野手だが一塁手(もしくは指名打者)での出場がほとんどになっている。
2012年は開幕から絶好調で、4月28日の楽天戦で史上39人目の通算2000本安打を達成。同年に同期入団の宮本慎也も2000本安打を達成したが、その日の試合で稲葉は通算250号本塁打を放った。
2012年で40歳と大ベテランの域に入りつつあるが、勝負強い打撃でまだまだチームを牽引し続ける精神的支柱である。
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最終更新:2025/12/10(水) 17:00
最終更新:2025/12/10(水) 16:00
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