純文学 単語


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ジュンブンガク

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純文学とは、学術的・娯楽的・商業的な要素よりも芸術的な要素を重視した文学である。

概要

言語によって作られる芸術である文学の中でも特に、芸術的な要素を重視した文学を純文学と呼ぶ。
詩歌、和歌、俳句なども、カテゴリの中に含まれているが狭義では小説が対象となる。

娯楽性・商業性・学術性よりも芸術的な要素を重視した文学が純文学であるが、何を以って芸術的であるとするかは定義されていない。

言ってしまえば、関係者がこれは芸術的だと思っている作品が純文学である。
例え余人には、芸術性の欠片も見当たらない低俗に見える作品でも、関係者が芸術的だと思っている限りそれは純文学である。

明治時代の純文学

文明開化によって西欧文化が流入し、文学も西欧近代小説に影響を受けた。
理論面ではまず、坪内逍遥が『小説神髄』にて
「小説の神髄はまず心理描写を描く事。次に世の中の様子や風俗を描写する事」
「文学はそれ単独で価値を持つ。道徳や功利主義的な面を排除し、客観的描写に務めるべき」
とした『心理的写実主義』を説き、二葉亭四迷が『小説総論』でこれに続いた。

文芸誌では、尾崎紅葉、山田美妙らが文芸結社、硯友社を作り、初の文芸雑誌である『我楽多文庫』を発刊。江戸時代から続く戯作が中心であったが、小説、詩なども盛り込み、同人雑誌の先駆となった。そして幸田露伴が『五重塔』を発表。尾崎紅葉と共に活躍し、『紅露時代』と呼ばれる時代を築く。

明治中期には「抑圧された古典的な価値観からの人間性の解放」を謳った『浪漫主義』も生まれ、森鴎外が外国文学の翻訳、日本初の評論中心文芸雑誌『しがらみ草紙』を発刊。自身も『舞姫』などの小説を執筆するなどの活躍を見せ
その他にも浪漫主義の月間文芸誌『文学界』が発刊。北村透谷が評論『人生に相渉るとは何の謂ぞ』を執筆し「学問の為ではなく、芸術的な要素に重点を置いた文学作品」が純文学である事を定義した。

明治後期では「真実を描く為にあらゆる美化を否定し、現実を赤裸々に暴露する」事を至上とする『自然主義』が発生。
島崎藤村の『破戒』、田山花袋の『蒲団』が発表され、作者が直接経験した事を題材に書かれた小説『私小説』が流行する。

明治時代の純文学は、同好の士の集まりによって作られた同人雑誌によって花開いた。

同人雑誌は書店によっては取り扱うところもあったが、基本的には不特定多数への販売は行われておらず同人雑誌の会員『同人』だけが購入していた。
教育の普及と、活字印刷技術の向上に伴い、文芸誌は増加したが、純文学を取り扱う会社は少なく、一部の純文学は取り上げられ、名を知られるようになったものの、やはり、作家仲間の集まりである『文壇』の中でのみ、話題になる程度のものであり社会的な評価は低いものであった。

大正時代の純文学

大正初期には、暗い自然主義に反発し、武者小路実篤、志賀直哉らが創刊した同人誌『白樺』を中心にして、理想主義、人道主義を謳う作品を執筆した『白樺派』が主流となり、その他にも、生活を芸術化し、官能の享楽を求めた谷崎潤一郎らの『耽美派』。芸術の為の芸術を理想とする森鴎外らの『高踏派』。世俗を超越して人生に余裕を持ち、東洋的な詩美を楽しもうとした夏目漱石らの『余裕派』などが生まれた。

大正中期では、東京帝大系の同人誌『新思潮』を中心に活躍した菊池 寛、芥川龍之介ら『新思潮派』が出現。
中でも芥川龍之介は大正末期から昭和初期にかけ、『新現実主義』として活躍。
『文芸的な、余りに文芸的な』 において「筋の面白さのみが小説の価値ではない」と谷崎潤一郎と論を戦わせた。

大正時代の純文学も、明治時代と変わらず、一般の評価はまったくなく、それどころか何の役にもたたないものとして、まともな生活者は読むべきではないとされており、文壇や、一部の愛好者にのみ評価されるに留まっていた。 

現代純文学における出版会社、マスコミの功罪

その定義から本来商業性とは相容れない純文学であるが、現実的には、商業的な要素と切っても切れない関係となっている。
これは、現代の純文学は「純文学」という名の商品であり、会社の商品として出版する以上商業的にならざるを得ないからだ。

現在の純文学の権威は大手出版社、または新聞社が作り出したものであり、自然発生的に純文学の地位が向上したものではない。
つまり、大多数の人間にとって純文学は戦前と同じく、どうでもよいものであり必要とされているのは権威という名のレッテルであって、その内容に価値を求める事はまず、ない。
この結果、商業出版であろうが、自費出版であろうが純文学は純文学であるはずなのだが、純文学作品を嗜む事は即ち、商業出版社が権威付けた純文学受賞作品及び受賞作家作品を読む事だけを意味するようになった。

出版社とマスコミが、「純文学」をいわば「純文学風大衆小説」に変貌させたとも言えるが、現代社会に於いて、純文学を社会的に牽引して来たのは紛れもなく、書籍の宣伝や、新聞小説の連載もする新聞等のマスコミの広報力と書籍を大量生産し、日本全国に流通させた商業出版社の資本力であると言える。
どんなに素晴らしい作品であっても、書店の店頭に置かれない限り一般市民には純文学を知る機会はない。
一部の人間の間においてのみ評価されていた純文学を広く一般市民の目に留まるようにした点は評価されるべきである。

お薦め作家

森鴎外、夏目漱石、島崎藤村、谷崎潤一郎、芥川龍之介、川端康成、宮沢賢治、太宰治、三島由紀夫、井上靖

取り敢えず、この10人の作品を読めばいいんじゃないかな。

関連項目

  • 文学

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