薬研藤四郎とは、刀剣乱舞に登場する刀剣男士の一人である。
CV:山下誠一郎 絵:石商
粟田口吉光作の短刀。藤四郎兄弟のひとり。
名の由来は、石で出来ている薬研を切るほど
「切れ味抜群だが、主人の腹は斬らない」と評判になったことから。
戦場育ちのため、少々医術の心得あり。
(刀剣乱舞絢爛図録より)
短刀男士。刀派は粟田口。
現在身長がわかっている短刀の中ではそれなりに高いようだ。
戦装束のデザインは、粟田口共通の軍服風。太ももが眩しい。
細身の美少年の姿をしているが、主である審神者の事を「大将」と呼ぶほか、口を開くと男気溢れる言動を見せる。
言動の端々に伺える包容力の高さから、俗に「柄ラー」と呼ばれるファンからは「兄貴」の称号を授かった。
長く戦場にいた事もあり、医術の心得を持つ。腰に下げた薬籠や包帯や鋏が入ったポーチを見るに、応急手当に用いるものかと思われる。
また内番衣装では、粟田口共通のデザインとは異なり、白衣を纏って眼鏡をかけている。「さあ……治療の時間だ」(ログインボイス)と囁かれて陥落した柄ラーは相当数に上る。
隊長に指名すると「面倒みりゃいいんだな?わかった」と頼れる台詞を放ち、追い詰められて一騎打ちともなると「さぁ……地金を見せろやぁ!」と吠える。
性能としては、統率が短刀内5位とやや高め。偵察(全体18位・短刀内12位)・隠蔽(全体15位・短刀内5位)が高い一方で、生存・打撃が低めである。
生存に関しては畑当番をこなして地道に上げるしかないが、短刀の本領を発揮する夜戦においては充分な働きを見せる。
一周年を迎えて公開された記念イラストではデカい鯛をどこからともなく調達し、審神者と柄ラーを驚かせた。
これに触発されたMMDerにより、盛大にデカい鯛をぶん回す動画が作られてしまった。
2016年東京ゲームショウにて「極(きわめ)」のシルエットが公開。2016年10月4日、実装された。
(ネタバレにつき反転)修行先は、薬研の最期の主であった魔王・織田信長その人であった。冷静に信長の本質を見極め、運命の地・本能寺に向かう姿を見送ってから、審神者の下へと帰還を果たす。守り刀としての己ではなく、自らの意思で動ける今の身を、審神者の為に役立てる決心をしたようだ。
戦装束のデザインも変わり、左腕だけだった鎧袖が両肩になり、大幅に大きくなっている。また黒の布をマントめいて装備しているが、これは信長が用いた黒母衣衆に由来するものだろうか。また、ステータスも極前よりも格段に伸びている。しかし必殺が全体より低くなった。衝力も低いため、押し出しを狙うのは難しそうだ。
「自殺なんてしたくてもさせないよ」と頼もしいセリフを言うようになった。
鎌倉時代中期の刀工・粟田口吉光作の短刀。
短刀作りの名手として知られており、兄弟が多いのはこの為。
室町時代の守護大名にして室町幕府管領・畠山政長(はたけやままさなが)が所有していた。
明応2年(1493年)、明応の政変と呼ばれるクーデターにおいて、政長は敵軍に包囲され追い詰められる。覚悟を決めた政長が自害しようとした際にこの短刀を用いたが、どういう訳かなかなか腹に刺さらなかった。
怒った政長が短刀を投げ捨てると、傍にあった薬研(薬を磨り潰すのに使う道具)を表裏に貫いたという。これが攻撃時の台詞「柄まで通ったぞ!」の元ネタである。その後、政長は別の差料を用いて自害した。
この逸話から「切れ味が鋭くとも主の腹を切らない忠義の刀」と賞賛され、薬研通(やげんとおし)の名で呼ばれる事となった。
その後足利将軍家に伝来したが、十三代将軍・足利義輝が殺された折に、かの梟雄・松永久秀に奪われる。この短刀を久秀は織田信長に献上し、これを気に入った信長は本能寺の変で命を落とすまで傍においたという。
本能寺の変において薬研藤四郎は焼失したという説が一般的だが、異説ではその後豊臣秀吉の手に渡ったとも、更に徳川将軍家に伝えられたともある。「享保名物帳」には焼身として名を記載されているが、現在、その所在は解らない。
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最終更新:2025/12/07(日) 04:00
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