「たとえ最後の1艦になっても、叩いて見せます!」
飛龍(ひりゅう)とは、艦隊これくしょん~艦これ~に登場する、林家こん平師匠日本海軍の空母「飛龍」をモチーフとした艦娘である。CVは上坂すみれ。
おそらく艦これ内においては、単なる正規空母の一隻というより、ミッション【南雲機動部隊を編成せよ!】を達成するための最大の壁として認識されているのだろう。難度が高くない任務の報酬で手に入る「赤城」、レア度がワンランク低い「加賀」「蒼龍」は建造なりドロップなりで出していても、ホロレアの「飛龍」だけがどうしても手に入らないという提督たちの嘆きは、今日もそこら中で鳴り響いている。
同じ二航戦(第二航空戦隊)で、準同型艦の「蒼龍」と同様の着物衣装。色の赤橙は龍の吐く炎、もしくはミッドウェー海戦で沈没する直前に撮影された、炎をあげて燃える本艦をイメージしたものであろう。
空母「飛龍」といえば、何と言ってもミッドウェー海戦と山口多聞提督であり、「飛龍」のセリフにもそれにまつわるものが多く設定されている。
ゲームのステータスでも“ミッドウェー補正”がかかっているのか回避37・運35と、幸運艦「瑞鶴」に次ぐ数値の高さを示している。
建造は横須賀海軍工廠。昭和11年(1936年)7月起工、昭和14年(1939年)7月竣工。
「蒼龍」型の二番艦として計画されていたが、折しもワシントン海軍軍縮条約とロンドン海軍軍縮条約からの脱退によって長年海軍の建艦計画を縛ってきていた制限が無くなったこと、友鶴事件や第四艦隊事件によってそれまでの軍艦の設計思想に修正を迫られたことで、結果的に「蒼龍」とは異なる形状の空母として完成した。
「蒼龍」と最も異なる点は、「蒼龍」では艦の右前方に設置された艦橋が、「飛龍」では艦の左中央に設置された点である。この形状を提案した海軍航空本部は、艦橋を左・煙突を右に置くことで艦のバランスを取ることを期待したようだが、実際に運用してみると、左の艦橋(気流にとっては障害物)と右の煙突の排煙、両方が飛行甲板上の空気の流れの障害となってしまった。
このため次の「翔鶴」型空母からは、再び艦橋も煙突も艦の右側へ置かれるようになった。なお、世界の空母史上でも艦橋を左に置いたのは「飛龍」と、三段甲板から一段甲板へ改修後の「赤城」だけである。
就役後は準・姉妹艦「蒼龍」のいる第二航空戦隊に配属。以後、ミッドウェー海戦まで変わることはなかった。太平洋戦争開戦前年の昭和15年(1940年)の二航戦は、4月に一航戦と共同の福建省爆撃、9月には陸軍の仏印進駐支援のために出撃している。同年11月、二航戦は山口多聞少将を戦隊司令官に迎える。
昭和16年(1941年)4月、空母を集中運用する艦隊として「第一航空艦隊」が編成され、二航戦も配属される。日米開戦が近づき、開戦劈頭の真珠湾攻撃作戦が具体化してくると、航続力が劣る二航戦を作戦から外すことが検討されたが、山口司令官の強い意見が通り、「蒼龍」「飛龍」は所構わずドラム缶を詰め込んで燃料を確保してハワイへ出撃することになった。真珠湾攻撃において「飛龍」は、第一波で九七艦攻18・零戦8、第二波で九九艦爆18・零戦9を放った。
昭和17年(1942年)に入ると、一航艦(南雲機動部隊)は南方攻略のために各地を転戦。4月にはインド洋へ進出し、セイロン沖海戦でイギリス東洋艦隊に壊滅的打撃を与える。この海戦で「飛龍」艦爆隊は、英空母「ハーミーズ」を撃沈している。
インド洋から帰還後、二航戦の旗艦は「蒼龍」から「飛龍」に変わった。真珠湾攻撃以来、二航戦旗艦は「蒼龍」だったが、「飛龍」の加来止男艦長が「飛龍の乗員が寂しがっているので」と進言し、山口は「飛龍」に移ってきたという。あるいはこれが、「飛龍」の運命を変えたのかもしれない。
6月、一航艦はミッドウェー攻略作戦に出撃。6月5日、「飛龍」艦爆隊長・友永丈市大尉を総指揮官とする第一次攻撃隊はミッドウェー島空襲を開始する。攻撃成果不十分とみた友永大尉は「第二次攻撃ノ要ヲ認ム」を艦隊へ発信するが、その直後、重巡「利根」の索敵機は米空母部隊発見を通報してきた。山口は直ちに米艦隊への攻撃を進言するが、帰還してくる第一次攻撃隊の回収と兵装転換を考えた南雲艦隊司令部は逡巡。
その間に艦隊はミッドウェー基地からの敵の反撃と米艦攻の雷撃を受け、被害は無かったものの回避のために陣形が乱れ、「飛龍」は他の空母から離れた位置に偶然移動する。
7時30分頃、南雲艦隊を米艦爆隊が急襲。「加賀」「蒼龍」「赤城」が立て続けに被弾・大火災となり、たちまち戦闘不能に陥る。攻撃を免れた「飛龍」の山口司令官は直ちに「我航空戦ノ指揮ヲ取ル」を宣言。7時58分に小林道雄大尉の第一波攻撃隊、11時30分に友永大尉の第二波攻撃隊を放つ。この攻撃隊には、母艦被弾で帰還できなくなった他の3空母の航空機も混じっていた。
小林隊は“ヨークタウン型”の米空母、友永隊は“エンタープライズ型”の米空母を攻撃。それぞれ「大破あるいは撃沈」を報告する。しかし両隊とも、隊長機をはじめ多くの機が未帰還となった。さらに悪いことに、両隊が攻撃したのは同じ空母「ヨークタウン」で、小林隊の攻撃の後の素早い修理で一見健全な様子に回復した「ヨークタウン」を、後から来た友永隊が別空母と誤認したことに、「飛龍」の方では気づいていなかった。
自隊の航空機をほとんど失い、他空母の航空機をかき集めて第三波攻撃を準備していた14時頃、「飛龍」が見逃していた「エンタープライズ」と「ホーネット」の艦爆が襲いかかる。爆弾4発を被弾して飛行甲板が大破し、爆発・大火災を起こした「飛龍」の救出は不可能となり、6月6日午前0時15分、総員退艦。駆逐艦「巻雲」が艦処分の魚雷を撃って命中したが、沈没は日が昇った後の6時過ぎだった。沈没直前に飛来した空母「鳳翔」の艦載機が、炎上して最後の時を待つ「飛龍」を撮影した有名な写真がある。
山口多聞司令官・加来止男艦長以下、400名余が艦と運命を共にした。
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最終更新:2025/12/08(月) 12:00
最終更新:2025/12/08(月) 11:00
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